【連載】めろん。66
・綾田広志 38歳 刑事㉓
光を失くした黒い瞳が眼窩から飛びだしそうだった。綺麗に死のうと思ったのか、口の中にものを詰め込んだまま大城はぶら下がっていた。
「そんな……うそだ」
再会がこんな形で果たされることは望んでいなかった。それは……大城もそうだったはずだ。こんなところに閉じ込められては悲観せざるを得なかったとはいえ、家族も道連れとはお前らしくないじゃないか。
語りかけようとするが声はでなかった。ただ二度と瞬きをすることもない、見開いたままの瞳を見つめながら呆然と立ち尽くすほかない。
頭が真っ白になる。
様々な凄惨な現場に立ち会った。だがこれほど心に重く傷を負うことはあっただろうか。
大学時代からの友人。住むところは変われど、大城とはずっと友人だった。同じ警察組織に属し、酸いも甘いも互いに味わった。
離れていても戦友のような間柄だと思っていた。おそらく奴も同じだ。
だからこそ不定期的に連絡は取り合っていたし、今回のことだって――。
「両間……ッ!」
誰のせいか?
そんなことは考えずとも知れていた。両間伸五郎だ。
仮に奴の背後でさらに大きな力が働いていたとしても、憎まずにはいれなかった。必ず、報復する。ただではおかない。
そう固く誓いながら大城の亡骸を下ろしてやった。
「こんな死に方するなんてお前らしくない。馬鹿野郎……」
見開かれた瞼を閉じてやる。口の中のものも取りだしてやった。
ようやく大城はやすらかな顔つきになった。その姿が余計、胸にくる。
「どうして……」
大城の傍らで目頭が熱くなるのを感じた。俺はまだ泣くことができるのか。友のために、泣くことが。
拳を強く握り、歯を食いしばった。そして大城の顔を睨みつける。
まだだ。まだ泣いてはだめだ。なにも解決していない。ここのことも、ここからでる方法も、両間のこともなにもわかっていない。
ふと脇に転がっている丸まった紙を見た。大城の口に詰め込まれていたものだ。
それを手に取り、広げてみる。スケッチブックの一ページのようで、厚手で固い髪だった。
思わず目をつむり、息を止めた。
そこには走り殴った筆致でこう書いてあった。
『芙美と桃子がめろんになった。恐れていたことが現実になった。せめてどちらかだけならまだ希望があった。神様は残酷だ。でもこれでよかったのかもしれない。俺がめろんになって、ふたりを食うよりも全然マシだ。ごめんな、パパだけが地獄に行くからママと天国で幸せにしてくれ。芙美、ありがとう。愛している』
なんということだ。
高ぶる感情が落ち着くのを待った。だが燃え上がる怒りと悲しみはなかなか冷えない。
よりにもよって、大城の……妻と子供がめろんを発症するなんて。
大城はどんな気持ちで、愛する家族を手に――
「ぐううっ!」
思い切り叫びたいのを耐え、代わりに力の限り床を殴った。
間に合わなかった。大城を助けることができなかった。なんという無力だ。
もう一度床を殴り、拳からじんじんと痛みが伝わってくる。こんなに屈強で、力強い大城なのに、死んでしまった。戦友がいなくなってしまった。
唇を噛みしめ、それでも耐えきれず自らの首を抱くようにして肘の裏で口を押えた。
「うーーっ! ううーーっ!」
外に声が漏れないよう、俺は叫んだ。泣く代わりに声のかぎり叫んだ。
絶対に許さん。絶対にやつらを、俺は赦さない……!
やがて静寂が部屋に戻ってきた。
風景の中で変わったのは、ぶら下がっていた大城が妻子と並んで横たわっているだけだ。せめて、家族三人で並んでいたいだろう。俺ができる精いっぱいのことだった。
葵と明日佳がめろんに発症したら、俺も同じことをしただろうか。
「そうだよな、そうするよな……」
いくつもシミュレーションをしたがやはりどれも同じだった。大城のことを責められる人間など、この世にいない。
「じゃあ、調べさせてもらうぞ。頼りにしてるからな、大城」
静かに立ち上がり大城一家に手を合わせると、俺はこの町の手がかりを探すことにした。きっと大城のことだ、なにかは残しているはず。
両間に暴行を受けていたという女子高生の件でここに連れてこられたのは間違いない。いわば口止めのためだ。
俺に話したことがバレたとも考えられる。もしもそうなら――
いや、やめとこう。
それを考えはじめるとなにも手につかなくなる。懺悔は理沙を救ったあとだ。
とにかく、大城は自分がなぜここに連れてこられたかということは自覚していたはず。ならば奴の警察としての誇りを信じる。大城はなにかを残しているはずだ。
落ち着いて部屋を見回してみる。
なにもない部屋だな、というのが印象だ。最低限の家具しか置いておらず、生活に不要なものは一切ない。まるでマンスリーマンションのようだ。
それは、『隠し場所がない』という裏返しでもあった。ものが少ないということはそれだけ可視化されているということ。せいぜい家具の裏、タンスの抽斗などしかバリエーションがない。
これだけシンプルにしているのだから、おそらくこの町の住宅はみんなこんな状態なのだろう。
つまり、定期的に何者かのチェックが入っている。そう考えるのが妥当だ。
「これは骨が折れそうだな……」
大城の遺志と相談しながらの作業になりそうだった。
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