【夜葬】病の章 -53-
むせ返るようなインクの匂いに鉄二は鼻をつまんだ。
となりに歩いている窪田は涼しい顔で鼻をひくつかせている。懐かしさを感じているのか、どこか気持ちよさそうな表情だった。
「この匂い、いいねぇ。都会に帰ってきたって感じがするよ」
「そうか? 俺にはどうにも理解できないね」
新聞屋の建物の中にふたりはいた。
用件を伝えると、奥に通され客室で待つように言われたのだ。
「これでもここは随分とマシなほうなんだがね」
色黒の肌とよれよれのシャツを着た男が部屋に入ってくるとふたりに茶を差しだした。
男はインク臭の話に触れたついでにふたりがどこから来たのかを尋ねた。
「ほお。そんな山奥くんだりから来たのか。しかし、あんたらふたりともそんな田舎者には見えないね」
鉄二と窪田が自分たちは最近まで都会にいたと答えると、男は納得したようにうなずいた。
「なるほどね。まあ、こんな仕事してりゃあさなんでもかんでも聞きたくなるもんだ。気を悪くせんでくれ」
そう言うと男は自分の分の茶をすすると、自分の名を名乗った。
「俺は宇賀神新祐(うがじんしんすけ)だ。ここの記者をやってる。日本は今最も好景気だし、経済成長も右肩上がりだ。言えばネタには困らないわけだがぁ……どんなおいしいのを持ってきてくれたのかねぇ?」
宇賀神は無精ひげを擦りながら、足を組むと品定めするような眼つきで鉄二らを見た。
「それなんですが、宇賀神さん。うちの村にはどうにも奇っ怪なしきたりがあるんですよ」
「しきたり? そんなもんはどこの村にもあるだろう」
宇賀神は言葉のついでに山の集落のしきたりならば、姥捨て、間引き、近親相姦もよくある話で面白くもないと言った。
それを聞き遂げた後で窪田は鉄二の顔を見て笑って見せた。
大方、いけるぞ、ということなのだろう。
「それなら宇賀神さん、例えば死んだ人間の顔をくり抜いて白米を盛るしきたりは聞いた事がありますか」
「……なんだそりゃ? そんなしきたりなんてあるわけないだろう」
「ところがあるんですよ。しかも話はそれだけじゃ終わらない。くり抜いた顔を丼に見立てて血で真っ赤になるまで混ぜるんだ。それを親族で食べ分ける。それが無病息災の役割をするんだと」
「……くりぬいた顔は?」
「村には福の神という神を祀っていてね。一般的に俺たちが知っている福の神と同じ物かどうかはわからないが、とにかくその神様に顔を還さなきゃならねえ。そこで神社にある顔にぽっかり穴のあいた地蔵にそれをはめ込むんだそうだ」
宇賀神はあからさまに不快な表情を見せ、咄嗟に口元を押さえた。
「冗談じゃない。なんだそれは、そんな村が実在するっていうのか」
「実在するか? 宇賀神さん、聞いてなかったのかい。俺たちがどこから来て、この話をしに来たのか」
宇賀神は察したようだった。
つまり、お前たちはその村から来たというのか。
眼差しがそう言っていた。
それに答えるように窪田の口角が上がったのを鉄二は見逃さなかった。
「ただ、戦中に村の若い人間はみんな出征して老人はみんな死んでしまった。今はそのしきたり自体は廃れている」
窪田の話に宇賀神の溜め息が漏れる。
「だったらおたくらの村に取材に行ったところでなにも得られないんじゃないか」
「ちゃんと聞いてくれてたか? 戦後廃れたってことはまだ十年も経っていない。墓を掘り起こせば顔がぽっくり抉れてる骨がでてくるだろうよ」
「お前、なにを……!」
窪田の予想外の言葉に鉄二は慌てた。
そんなことは聞いていない。あくまで【夜葬】という風習に注目し、そういう恐ろしいことが実際に行われていたというのを新聞の記事として面白おかしく囃し立ててくれればいい。
窪田は鉄二にそう言っていたはずだった。
だが、墓を掘り起こすなどという蛮行など話にもでなかった。
「冗談じゃないぞ、掘り起こすなんて! そんな話なら俺は協力できない!」
「なんだよ、ムキになるな。らしくないぜ、黒川さん」
鉄二の肉迫も意に介さず、あしらうようにして宇賀神に伺いを立てる。
鉄二は烈しく後悔した。
こんなことならば窪田の話に乗るべきではなかったと。
墓を掘り起こし、【夜葬】として埋葬したどんぶりさんを再び外にだす。そんな事態は前代未聞である。
当然、鉄二はもしもそういったことをした時、どんなことが起こるかなど知らない。というより、鈍振村でそんな愚行を行った人間などいないだろう。
それゆえ、そんなことをしてしまえばどんなことが起こるかわかったものではない。
「やめろ! それはだめだ、絶対に!」
「うるさいな! 村のために来たんだろうが! もしかしてあんた、船乗りの連中のように呪いだ祟りだと言いだすんじゃないだろうな?」
「ち、違う! お前は知らないからそんなことが言えるんだ! もし掘り起こした死体が地蔵還りになったら……」
「はあ? 地蔵還りだと? あんたまさかまだ俺に隠してることがあるんだな」
「そ、それは……」
「くっくっくっ、はははっ!」
鉄二と窪田の言い争いを静観していた宇賀神が唐突に笑い声をあげた。
その笑い声に面食らい、鉄二と窪田は宇賀神の顔を見る。
「いいねぇ、その感じ。説得力あるよ」
宇賀神の反応に「じゃあ……」と口を開きかける窪田を制止し、宇賀神は言った。
「だがいくらなんでも墓を掘り起こすなんて、俺たちができるわけない。それはおまえたちでやれ」
「そんなことできるわけ――」
「わかりました。じゃあ、証拠をお見せすればいいんですね」
鉄二を押しのけるようにして窪田は勝手に返事をしてしまった。
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