耳鳴り2
■つまらない夜
東京の繁華街は眠らない……とよく聞くが、実際のところはどうなのだろう。
小堀は、そんな風に眠らない街と称される東京の夜のことを、半ば都市伝説のように思っていた。
だが現実はどうだろう。
居酒屋やBAR、24時間営業の雑貨店に引く手数多の水商売の若い女。
町はタバコの煙か、それとも人の熱気か。
空気を白く濁らしながらそれは、ビルの隙間の星を揺らしていた。
「想像以上だな……。思ってたよりしょぼいものだと舐めていた。思ってたよりもすごい……」
あまりキョロキョロとするのも、悪漢どもに襲われるのではと不安になった小堀は、極力辺りを見渡したりしないように努めた。
東京に来たら上手いものを食べようと、意気揚々として街に繰り出したつもりだったが、結局はそんな東京の尖った空気に充てられ、見慣れた安い牛丼チェーンで食事を取ったのだった。
ホテルに戻る途中にあったコンビニで、缶ビールを3本とポテトチップスを購入し、部屋で静かに飲もうと決めた小堀が、ホテルのフロントを横切ると妙な気配を感じた。
「……?」
妙な気配の出所は、意外にもホテルのスタッフからだった。
清掃業務なのか、浅緑の作業着に身を包んだ女性が二人こそこそとなにかを話している。
小堀を見ることは無かったが、彼はなんとなく自分が会話の材料になっていることを悟った。
「1304の人……よね」
1304というのが、部屋番のことであるのならば間違いなく自分のことが言われている。
だが肝心な会話の内容は聞こえてこない。……というよりも、小堀自身がその話にあまり興味がない様子でもあった。
「なんだよ、オバケでも出るってか? ……そりゃいいや、一人で飲まなくて済む」
東京の夜に呑まれて食べたいものも食べることの出来なかった小堀は、心なしか拗ねているようにも見える。大の大人ではるが、逆にそれが彼自身を情けなくさせたのだろうか。
■異変
「……うっ!」
1304号室に戻ってきた小堀は、ドアを開け中に踏み入れた瞬間にムッとする湿気に襲われた。
じっとりとした空気が部屋中に漂いなぜだか煙のような香りがする。
「なんだぁ……」
湿気づいてはいるが、特別部屋が暑かったり寒かったりすることはなく、煙の臭いと言っても焦げたような嫌な臭いではなかった。
例えるのならお香のような……そんな煙の香り。
「墓参りに来たみてー」
ははは、と誰もいない空間で笑い声を1つ響かせてみるが、所詮は独り言。返事が返ってくるはずもなかった。
プシッという弾ける音。
美味そうなビールの音だ。
少し窮屈な飲み口から喉へ一気にビールを流し込み、のどごしと爽快感を味わう。
――今日はもう寝よう。
小堀が折角の東京の夜を早々に終わらそうと、リモコンを手にした。
テレビで明日の天気を見てから寝ようと思ったのだ。
「……あれ」
電源を押す。だが、テレビの電源はつかない。
「おかっしぃな。主電源のランプは点いてんのに」
何度か試すが、テレビが着くことはなかった。
諦めてテーブルの上にリモコンを置くと、ベッドの上に横たわる。丁度彼の枕元にラジオや照明と一体型になったコントロールパネルがあった。
「ドライにしておくか」
コントロールパネルには、エアコンの操作も出来るようで、湿気に若干の不快さを感じていた小堀はドライ運転の操作をし、そのまま少し部屋が快適になるまで待ってみることにした。
「無 上 甚 深 微 妙 法百 千 万 劫 難 遭 遇」
「えっ」
突然、どこからかお経のような声が聞こえてきた。そのお経を読む声は部屋中を駆け回るようにどんどんと大きくなり、小堀は突然の怪現象に固まったまま動けない。
■お経
「無 上 甚 深 微 妙 法百 千 万 劫 難 遭 遇」
「…………」
言葉を発そうと懸命に努めるが、彼の努力も空しく声が出ることは無かった。無論、それは恐怖ゆえのことだ。
「無 上 甚 深 微 妙 法百 千 万 劫 難 遭 遇」
そおっと、物音を立てないように小堀はテレビのリモコンを手に取り、再度電源をつけようと操作するがやはりつかない。
間抜けなタレントの声でも流せばこんな恐怖を打ち消してくれるのではないかと期待したのだ。
全てが幻であったと自分を言い聞かせる為に。
「無 上 甚 深 微 妙 法百 千 万 劫 難 遭 遇」
正面から突然聞こえるお経。それは今まで小堀が聞いていたそれではなく、自分の正面から発せられたものであった。
「……ッ」
それは、今小堀がつけた直後のテレビから流れたものだったのだ。
「あ……わ……」
エアコンからぬるい風にのって「無 上 甚 深 微 妙 法百 千 万 劫 難 遭 遇」
と聞こえてくる。テレビからはスピーカーに乗って真っ暗な画面から「無 上 甚 深 微 妙 法百 千 万 劫 難 遭 遇」と聞こえる。
しかも逃げたくとも身体が固まって逃げられらないときた。
「エアコンの空気口から聞こえてくるのか……」
ジャーっとバスルームからも勝手な音が鳴り響き、目の前で本棚にあった本が一冊床に落ちるとページがパラパラとめくれる。
「た……たす……」
小堀が目を疑う現象に言葉を失いかけたその時だった。バスルームからシャワーの勢いよく放出する音。
「…………!?」
だがそのシャワーの音は、普通とは違った。
明らかに《水滴が何かに当たって落ちている》音なのである。
それはもっと分かりやすく言うと、《誰かがシャワーを浴びている音》と言えよう。
出口の方角にあるバスルームをどうしても横切れない。
そこから《ナニか》出てきて、鉢合わせしてしまうという恐怖があった。
「無 上 甚 深 微 妙 法百 千 万 劫 難 遭 遇」
ごぽごぽという喉から水を逆流させる濁った声と一緒に、バスルームから聞こえるお経。
ガチャ。
バスルームから……
「うわあああああ!」
――フロントロビー。
「1304号室って……そんな部屋ないよね」
「そもそも12階建てだから、1300台の部屋なんかないんだけど……。あの人、なんで1304号室のキーを持ってたんだろうね」
先ほどの清掃スタッフの会話が、人知れず夜に溶けていった。
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