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ホラー小説 / 血の付いた男 ①

公開日: : 最終更新日:2017/12/04 ショート連載

カッター

 

■いつもの帰り道

 

 

ホームを降りると、いつもと同じようにドアから吐瀉物を噴き出すかのごとく降車する乗客たちの群れ。

 

 

よくもここまでの人間がこの小さな鉄の蛇に詰め込まれていたものだ。

 

 

会社員・井上守はそんな蛇の腹から噴き出す乗客たちに混じり流れる波に逆らわずに、ホームの下へと続く階段に呑まれてい往く。

 

 

その様は排水溝に吸い込まれていくバスタブから溢れるお湯のようだ。

 

 

俯瞰で見下せばそんな不快なイメージも共感もらえると思うが、一目ではとても数えきれない人の波の中に井上が誰にも目立つこともなくいた。

 

 

井上の耳にはイヤホンがハマっている。

 

 

彼の耳のイヤホンからは流行りの歌謡曲がとめどなく流れ、この乱雑な人混みですら彼の中だけでは無関係なリズムを作り出す間抜けな歌で充満していた。

 

 

それはもはや音楽というよりイヤホンの形をした耳栓だと言ってもいい。

 

 

彼の居る風景は、それほどまでにありふれており、これほどに普通の日常なのである。

 

 

ただ、この日はその日常よりほんの少しだけ違うことがあった。

 

 

「……?」

 

 

階段を下りていると、目の前を歩く青い作業着の男が気になった。

 

 

なんでもない、どこにでもいる男の後ろ姿。

 

 

頭頂部がかなり寂しいこともあり、後ろ姿からだけでもそれなりの年齢であることが伺えた。

 

 

ただそれだけであるのならば、井上が気になるはずもない。

 

 

ならばこの作業着の男の何が気になったのかと言うと……

 

 

 

■作業着の男の肩に赤いシミ

 

 

 

「……血?」

 

 

イヤホンから流れる音楽のせいでつい思ったことを口に出してしまった。

 

 

だが、井上の声はこの乱雑に蠢く人混みの中では到底聞き取れるようなボリュームではない。

 

 

口にしてしまったことに一瞬「しまった」と思ったが、そんな周囲の状況だったため聞こえていないであろうと井上は思ったのだ。

 

 

案の条前を歩く男は井上の言ったことに気付く様子もなく肩を揺らして階段を下りている。

 

 

(それにしても……なんだ? 血のように見えるけど……工場かなんかで働いていて、なにかの液体がかかっただけなのか)

 

 

井上の単調で同じことを繰り返す毎日は、こんなにも些細な事に思考の時間を与えた。

 

 

普通であるのなら、前を歩く人の方に赤いシミがあったところでそれほど気に留めることもないであろう。

 

 

だが、ほぼ無自覚的に井上は階段を降り切るまでの時間、そのことばかりを考えていた。

 

 

 

■些細なことはすぐに忘れてゆく

 

 

 

いくら井上がそんな些細なことを考えてしまっていたからといって、所詮それも30段ほどの階段を降り切るまでの短い時間である。

 

 

乗車カードをかざし、改札をくぐる頃にはそんな思考はすっかり忘れ去っていた。

 

 

そして井上はいつも通り、深夜まで開いているスーパーで半額になった惣菜とビールを買い彼の住んでいるマンションへと帰った。

 

 

井上は4年前にこのマンションに就職を機に引っ越してきた。

 

 

20階建てのマンションは都心から数駅離れた場所にあるとはいえ、そこそこの家賃が必要だ。

 

 

当然、井上は借りる際慎重に選び、このマンションの家賃に関しても熟孝を重ねた。

 

 

だが、就職と言う圧倒的な安心感がこの部屋を決めさせる決定打になったのだ。

 

 

学生だった彼がこのマンションに一人で住むようになって、数えるほどしか彼の部屋を訪れた人間はいない。

 

 

その友人の少なさが彼のポテンシャルの低さを感じさせ、ポストに毎夜投函される猥褻なチラシがそれらを物語っている。

 

 

しかし井上自身はそんな自分の住む部屋を気に入っていた。

 

 

20階建てのマンションの8階。10階から上は防犯的に優遇され、部屋も広く家族が多い。

 

 

逆に10階までは彼のような一人暮らしでも対応できるようなワンルーム、2LDKの同棲カップルを視野に入れているような部屋が多かった。

 

 

エレベータの△を押し、降りてくるのを待つ間、井上は耳から流れる音楽をただ垂れ流されるままに聴いていた。

 

 

エレベーターが着いた時の「チーン」というお馴染みの音も、そんな音楽に消され彼の耳には届かなかった。

 

 

■エレベーターに乗っていた男

 

 

 

「!?」

 

 

エレベーターのドアが開くと、先に乗っていた人物が降りて彼を横切った。

 

 

ボーっと降りてくるエレベーターのランプばかりを見上げていた彼はすれ違った人物にすれちがうまで気づかなかったため、気配が横切った時に慌てて「こんばんは」と挨拶する。

 

 

彼の住む部屋よりももっと高い階層には前述の通り家族で住んできる世帯が多い。

 

 

それゆえ年配の住民も多く、挨拶ひとつ交わさないとなにを言われるかわかったものではないのだ。

 

 

だから井上には挨拶の返事があろうがなかろうか興味はなかった。

 

 

すれ違った男が井上の挨拶になんの返事も返さなかったことに彼が気づくことはないのだ。

 

 

「あれ? ……あれってさっき駅にいた奴じゃね?」

 

 

空になったエレベーターに乗り込みドア横のボタンを押して、ドアが閉まるのを待っている井上の目に、さきほどの血の付いた作業着の男が映った。

 

 

「ここの人と知り合いか?」

 

 

その存在をすっかり忘れていたが、再び作業着の男を見たことで井上はさきほどの血の付いた肩を思い出した。

 

 

「まあいいや。関係ねえし」

 

 

井上の住むマンションにはエレベーターが3台並んでいた。

 

 

彼が乗りこんだ真ん中のエレベーター内で8階につくのを待っている時だった。

 

 

「あら?」

 

 

突然、イヤホンから鳴っていた音楽が途切れ、止まってしまったのである。

 

 

「ん、充電切れかな。昨日充電したつもりだったんだけどなー……」

 

 

もしかしたら充電したつもりだったけどプラグが抜けていたのかもしれない。

 

 

彼は家のすぐ近くだということもありさほど気にも留めなかった。

 

 

『チーン』

 

 

彼が8階に着くと目的の階に着いたことを知らせる音が鳴る。

 

 

「……?」

 

 

だがエレベーターはまだ7階を過ぎたところだ。それが鳴るタイミングとしては些か早すぎる気がした。

 

 

『チーン』

 

 

「ああ……」

 

 

井上はもう一度鳴ったその音ですぐに理解した。つまり、隣のエレベーターが先に8階で止まっただけだ。

 

 

「……かった」

 

 

その時、耳元でなにか聞こえた気がした。

 

 

「?!」

 

 

すぐに後ろを振り返ったが当然背後には誰もいない。

 

 

「気のせいか」

 

 

そう思いつつ開いたドアをくぐり外に出ると、自分の先を歩く男の姿があった。

 

 

どうやら先にこの階についた隣のエレベーターに乗っていた人間であるようだ。

 

 

「……ん」

 

 

それはさっき下で降りたはずの青い作業着の男だった。

 

 

妙な偶然もあるもんだな。井上はそう思い自分の部屋へと帰った。

【ホラー小説:血の付いた男②】

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Comment

  1. どろりんちょ より:

    肩に血がついてる、んですよね?

    間違ってたらごめんなさい。
    変換が方になっているのでもしかしたら変換ミスなのかなと!他の投稿の変換ミスは話の内容に然程関わらない。意味が伝わる物でしたがここは大事かなと思いコメントさせていただきました!

    夜葬を読み最東さんのファンになり、拡散忌望も読ませていただきました!
    このブログの存在を今日知ってこれから一番古い記事から読んでいこうと思っています!

    新しいお話楽しみにしてます(*・∀・)

    • 最東 対地 より:

      >>どろりんちょ様

      誤字のご指摘ありがとうございます。早速修正させていただきました。
      当ブログの記事は、書きっぱなしでアップすることが多く、誤字脱字など割と放置気味になっていまして……いやはやおはずかしい。
      今後も読み進めていただく中でみつけるかもしれませんが、重大なミスでない限りは温かく見守ってください。(笑)

      夜葬と拡散忌望も読んでいただいたということで、重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
      当ブログでは現在毎週火曜日に夜葬の番外編である【夜葬】病の章 を連載しておりますのでこちらもよろしければ覗いて見てくださいね。

      今後とも最東対地の作品をどうぞよろしくお願いいたします。

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