【連載】めろん。80
・坂口勉 38歳 大学准教授
めろん感染から発症までには段階(レベル)がある。
日常会話や生活雑音の中に「めろん」と幻聴が聴こえる。食べ物に対して食欲が湧かなくなる。人間、特に近親者が美味しそうに見える。慢性的な空腹感。そして、すべての音が「めろん」にしか聞こえなくなり、自身は逆に「めろん」としか発することができなくなる。(本人は無自覚)
最終的に人間を食べてしまうとアウトだが、実質的には無自覚の「めろん」発言が現れた時点で〝こっち側〟にはもう戻ってこれない。
そのように考えると理沙は絶望的だ。
タオルで猿ぐつわをされたまま眠る理沙をちらりと見やり、彼女がこの後辿るだろう未来を思い、暗澹たる気持ちになった。
諦めるな。俺は研究者だ。
頭を振るかわりに瞳を強くつぶった。
「ねえ、ここでめろんを発症した人でその……人間を食べちゃった人たちはどうしているの」
そう訊ねる雨宮(蛙子)の顔は浮かない。なかば結論をわかっていて訊いているという風だ。
「ほとんどの場合、処分される」
雨宮は押し黙っている。予想を覆されることを期待していたらしいがそうはいかなかった。
「そういうのがもう当たり前になっちゃってる?」
「どういう意味だ」
「めろん発症者を殺すことになんにも感じなくなっちゃってる? って訊いてんの」
「殺しているのは俺ではない。人聞きの悪いことを言うな」
雨宮は溜め息を吐き、ふたたび口を閉ざした。
言いたいことはわかる。自分の手を汚すということではなく、罪の意識はないのかということなのだろう。
ないわけがない。だが自分を騙さなければ精神(こころ)が持たない。割り切るしかないのだ。
背負っていた理沙を2階寝室のベッドまで運んだ。
「ひとまずこれで安心だ」
手と足を縛っておく。痛ましいが理沙のためでもあるし、これが一番いい。
「……それでこれからどうするの」
「俺と雨宮で綾田を捜す。檸檬は理沙を見張りながらここで待機だ」
「子供だけ残していくつもり?」
「ここは安全だ。心配するな」
雨宮は明らかに不機嫌そうだった。無力感からくる苛立ちだろう。
仮に「君もここにいろ」と言ったとしても不満をぶつけられたに違いない。
「足を踏み入れたのははじめてだが、ここのことはよく知っている。俺についてくればいい」
「広志の居所がわかるの?」
「そんな便利なアイテムがあればいいがね、結局は足を使うしかない」
「一体どれだけかかるのよ!」
「そうはかからんさ。見た目よりもこの町はずっと狭い」
雨宮は俺の話を半分聞き流しながら檸檬の前でしゃがんだ。そして目を見ながら「大丈夫? 待てる?」と訊ねている。
「うん。私、ここから動かないから安心して蛙子ちゃん」
心なしか雨宮の笑顔はぎこちなく見えた。苛立ちは無力感というより恐怖と緊張からくるものだったのかもしれない。
「なにもゾンビが彷徨っているわけじゃない。そこまで危険じゃないさ」
「どうだか。ゾンビのほうがマシかもしれないわよ」
「確かに。ゾンビは知能もないし、烈しい運動はできないからな。そもそもゾンビなど現実に存在しないし、あんなものに説得力はないがね」
「つまんないやつね」
なんとか無駄口を叩けるくらいには持ち直したのだろうか。そう思い見た横顔はまだ堅かった。
檸檬に見送られ俺と雨宮は外に出た。
不気味なほど静かな町に一歩踏み出す。
「ひとつ、可能性として思ったんだが……」
「なによ」
「めろんの発症者には人を喰うまでの段階がある。人を喰ったら終わりだが、言ってみればそれさえしなければちょっとおかしくなった人間に変わりない」
閉めだされたドアを見た。暗に理沙を示唆したつもりだった。
「俺たちはここに来るまでの間に、おえら方に鬼子村の血族がいると推測した。それは間違いないだろう。だがもしもそれ以上に、〝連中にとって〟事態が深刻だったらどうだ」
「深刻?」
「ああ、例えば連中の一部がすでにめろんを発症していたら……」
「そんなことはありないでしょう。そうなれば人間が食べ物にしか見えていないんだから……」
「ああ。だが仮に発症したとして、進行をセーブできたとしたらどうだ」
「言っていることがよくわからないけど」
「つまり……だ」
なにもかもが「めろん」に聞こえ、人間を食べ物としか認識しなくなる一歩手前……日常生活にめろんが混じってくる程度の段階で自分が『罹患している』と自覚できていたらどうだ。
いや、むしろ自分自身が鬼子村の子孫だとわかっていればいずれめろんが発症するかもしれないということを知っていてもおかしくないだろう。
件のおえら方たちがそれを自覚していたらどうだ……。
「それなら……こんな大がかりなものを秘密裏に造っていた理由が通る……」
口元に触れながら雨宮が唸るようにつぶやいた。
「でも進行をセーブすることなんてできるの」
「ウェンディゴ症候群については動物の脂肪を飲めば少しの間は収まるとある。眉唾だが……仮にそれがめろんにも有効だとすれば」
そういえば思い出したことがある。
両間伸五郎は常日頃から水筒を常備していた。そして話の途中で時々それを飲んでいた。
「考えすぎだ。両間伸五郎がそんなわけ……」
もっともめろん発症から遠い人間のようにも思える。だがそれはただの先入観だ。
仮にそうだとすれば……
「奴らにそれほど時間は残されていないのかもしれない」
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