子供の頃の不思議な体験 / なぜそれを人は忘れるか
■不可視の現実
どうも最東です。前回の記事(こちら)に引き続いて今回も子供の頃の不思議なお話を御紹介しましょう。
前回、私の記憶の片隅にある本当にあったのか、それとも夢だったのか曖昧な体験を紹介しましたが、みなさんはどうでしょう。こんな体験はありませんでしょうか?
もう30年以上も前の記憶です。それ自体の信憑性などは分かりませんが、
昔からよくこんな風にも言われはしないでしょうか。
【子供には見えない物が見える】
言い換えると
【幼児期には超常的なものが見える】
そういえば、私は幼児期の体感時間と大人になってからの時間に差異があると書きました。
これはもう少し詳しく例えると、子供の頃の一日の体感は逆に早く感じ、月や年単位での体感は遅く感じる傾向にあると言います。
大人は逆に一日単位での体感は遅く感じるのに、大きなスパンでの体感は早く感じる。
それは幼児期に触れるあらゆるものが感性を刺激し、脳に『充実感』を与えるからではないでしょうか。
それゆえ一日の速度は目まぐるしく早く過ぎるのに、過ぎた後のまとまった時間量では遅く感じる。
そういうことなのだと思います。
ということは、感度のアンテナがビンビンになっている幼児期には何が見えてもおかしくないのかも知れませんね。
しかし、それは自分の想像上の出来事が目に映っている錯覚ではないか、という意見もあります。
私なりの結論とすれば、そのどちらの仮説も仮説を出ない限り、正しいのではないでしょうか。
この曖昧な事象に対しての曖昧な答えこそホラーの醍醐味なのです。
私にはもう一つ曖昧な、子供の頃の不思議体験があります。
前回の【壁に埋まった大きな目】は、その場所に行かなければ遭遇することはありませんでしたが、今からお話することはそれとは少しばかり視点が違います。
■目を開けて見る夢、目を閉じて見る現実
一体いつまでだったか……私にも漠然としか覚えていません。
ですが、確かにあの頃は見えていたのです。
なにが?
幽霊? 妖精?
いいえ、建物や人、空に動物。
そんななんでもない普通の景色です。
見えて当たり前……というか、常識のものです。
では、それをわざわざこの場で話すのは何故か? なんの不思議もありませんよね?
ですが、これがもし“目を閉じて見ていたら”どうです?
そうなんです。
私は子供の頃、【目を閉じていても外が見ることが出来た】のです。
しかし、今思い浮かべてみると、あれは夜だけだったのかもしれません。
子供の頃、私は夜が来ることが嫌でした。
なぜなら、夜が来れば一日が終わってしまうことが幼いながらでも理解していたからであります。
楽しい一日が終わってしまうことに憂い、今日と言う日がずっと続くことを願っていた毎日。
そんな強い想いからなのでしょうか。
夜、布団に入り目を瞑っていると目を瞑っているはずなのに、天井から下がった蛍光灯が見えるのです。
蛍光灯はもちろん暗くしてあり、豆球のみのオレンジのぼんやりとした灯でした。
自分でもこれが気のせいなのではないかと手で目を触ってみると、確かに瞼は閉じています。
なのに、隣で眠る母親や天井の蛍光灯が見える。
目を開けて確かめてみると、なにも変わらず同じ景色が見えるのでした。
これは楽しかった日に強く思えばいつでもできました。
しかし、一日のエンドロールでしかそれを想うことはなかったので、今思えば日中や外でそれが出来たのかと問われれば分かりません。
ですが時々思い出すのです。
あの時の事を。そして同じく強く想い同じことをしようと試みるのですが……あの時と同じことは出来ませんでした。
きっとそれは私が【大人になってしまった証拠】なのでしょうね……。
そんな少し甘く苦い、コーヒーの美味さが分からなかったあの頃を懐かしむ少しノスタルジックな思い出です。
■怖い体験
そんな子供の頃の体験を語りましたが、不思議……という点ではいつも通りながら些か恐怖と言う感情とは程遠い記事になってしまいましたね。
では、お口直し……というか私の子供の頃の恐ろしい体験を紹介します。
恐ろしい……といっても大人になってから思い出すと妙に悪寒を感じたエピソードで、当時の私としてはそれが怖いことなのだということはまるで分かっていませんでしたが(笑)
これは私が小学校1年生くらいの頃のお話です。
私には9つ上の姉がおり、母親と父親との4人暮らしでした。
5階建ての団地の五階に住んでいて、家のベランダからは駐車場の車たちが見下せて、地域の集会場とその入口にある電話ボックス、正面と左側面には自分の住む団地と全く同じ色形の団地が並んでいました。
とある日のこと、母親と姉が二人で買い物に出かけることになり、私は1人留守番を任されました。
父親はその日泊まりの仕事だったため、外に出ないように念を押され、先に寝ておくようにと言い残し二人は出かけてゆきました。
家族の構成上、あまり1人で留守番することはなかったのですが、なにやら特別な日だったらしく前々からその日の留守番のことは言われていた記憶があります。
うちには猫もおり、私自身1人でいることに心細さよりも楽しみにしていた気持ちの方が勝っており、いつもならばチャンネル権を争う姉もおらず母親の心配を余所にのびのびと1人の家を満喫していました。
『リリリリリリ』
そんな時、電話が鳴りました。
当時、私の家にあった電話はプッシュホン初期のシンプルなもので、電話以外の機能などなにひとつも付いていない、今ならば【レトロ】だと言われるような代物でした。
幼い私は当然その電話の相手が母親だと思いました。
『一人で留守番大丈夫?』
という確認の電話だと思い、元気よく「もしもし」と受話器を上げたのを覚えています。
『もしもし対地(私の名前です)』
その声は母親ではなく、姉の方でした。
母親と一緒にいることは知っていましたが、わざわざ姉がかけてくることになんとなく違和感を感じましたが、聞き慣れた姉の声に私は安心しました。
「ん、どうしたん?」
『あのね、今家の前の電話におるんやけどちょっと来てくれへん?』
「え、なんで?」
姉は買い物に行っているはずなのに、ベランダから見えるあの電話ボックスに居ると言いだしたのです。
『いいから来て』
「いやや、外出たらあかんって言われてんもん。お母さんは?」
『じゃあ、対地……******って知ってる?』
姉は聞いたことの無い言葉を私に言い、それを知っているか尋ねました。
残念ながらその時姉が言った言葉を覚えていません。
しかし子供の自分にしてはとても難しい単語だった覚えがあります。
「え?! なんて?」
『******って知ってる?』
確かに姉の声ではあったのですが、私の姉は活発なタイプで、いつもハキハキと話す人でした。
ですが、その電話の姉は妙に小さな声で頼りなさげで……なんだかヒソヒソ話をしているような語調で、気持ち悪いと思いました。
子供の私はいつもと違う様子の姉の声に、気持ち悪さよりも苛立ちを覚えつい声を荒らげ「聞こえへん、もっと大きな声で言って!」と言いました。
すると姉は今までよりも少し多く息を吐きながら
『******って知ってる?』
と繰り返すのです。
「もうええわ!」
同じことしか繰り返さない姉に腹が立ち、私は話の途中で受話器を置きベランダに出ました。
「……ほら、やっぱおらんやん」
あの電話ボックスに居ると言ったのに、ベランダから見たそこには姉はいませんでした。
私は「自分をからかおうとした」と思い、帰ってきたら怒ってやろうと決めベランダから部屋に帰った時
『リリリリリリ』
また電話が鳴りました。
今度こそ母親だと思い、受話器を上げ
「もしも……」
『******って知ってる?』
受話器耳に当て「もしもし」と私が言うのを待たずに姉はその言葉をまた言うのでした。
「もうなんなん?! ******って!?」
『******って知ってる?』
「お母さんと代わって!」
『******って知ってる?』
「知らんわ!」
更に腹が立った私は再び強く受話器を置き、テレビの続きを見ました。
その日はそれ以降電話がかかってくることはありませんでしたが、私の怒りは収まることはなかったのです。
■翌朝、帰宅していた母に……
結局母親と姉が帰宅するのを待たずに私はその日、布団に入り眠りました。
そして、翌朝起きると台所にいつもと同じように朝食を作る母とテーブルにつく姉に
「昨日の電話なんやったん!」
と怒りとともに吐き出す私をみて母親と姉はきょとんとした表情で「なにが?」と尋ねるのでした。
「なにがって……お姉ちゃんが昨日の夜電話してきて「なんとかかんとか知ってる?(この時点でもう忘れていました)って何回も電話してきたやん!」
「え……? なに言ってんの? 昨日私一度も電話なんてしてないで」
姉は特に取り乱す様子もなく言いました。その態度に余計私は腹が立ち、
「嘘言わんとって!」
と食い下がったものの、母親も
「昨日はお姉ちゃんずっとお母さんとおったよ」
と言いました。
この当時、携帯電話はおろか、ポケットベルすらも影も形も無かった時代。
外出先で電話をするには公衆電話しか手段が無かったはず。
ですが、母親は一度も姉と離れていないというのです。
「もうええわー!」
からかわれていると思った私は、これ以上言及すると余計に姉を楽しませるだけだと思い、それ以上この話を突っ込むのをやめました。
時間が経てば「ごめんなー対地。あれ実はお姉ちゃんとお母さんがからかっただけやねん」と種明かしをするものだと思っていましたが……。
■幽霊のいる部屋
……と、こんなオチのない話で申し訳ありません。
この数年後に違う棟に引っ越すことになるのですが、大人になったある日母親はこの件とは関係なくこう話しました。
「あの家には幽霊がおってね。いつもお布団の部屋で座って泣いてて怖かったわぁ」
……そういえば、あの当時電話が置いていた部屋は寝室でした。
余談ですが、私の母親は強烈に霊感が強く、あらゆるものが見えたそうです。
特に私と当時住んでいた頃は感度が絶好調だったらしく、見たくないものを沢山見たといいます。
それはなにもこの世のものじゃないものばかりではなく、生きている人間のオーラというもの見えた……とのこと。
折角なので、次回は私の母親の話をしましょう。
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