【連載】めろん。2
・綾田広志 38歳 刑事②
一連の事件の異常性は、口に出すのも憚られるほど常軌を逸していた。
忘れもしない一昨年の5月。非番の日に呼び出され、娘の明日佳に会うはずだった予定が無情にもパァになった記念すべき日だ。
『非番に大事な予定をいれるな』とは俺たちの業界では常識だが、この日は致し方なかった。一か八かに賭けてみたが、俺に運はなかった。
被疑者は29歳の男。コンサルタント会社に勤めており、若くして役職に就いている。5年前に結婚し、家族は妻と子供がふたり。都内のマンションに家族4人で暮らしていた。
数日前から妻が無断欠勤していて連絡が取れない。3歳と4歳の娘が通う幼稚園からも同様の相談が寄せられた。しかし、夫である被疑者の男はなにもなかったかのように毎日、普通に出社してきているというのだ。
近隣の住民にも聞き込みを行った。被疑者を知る住民は誰もが口を揃えて仲のいい家族だったと話した。被疑者本人に関しても、仕事を優先するタイプではあるがそれも過剰というわけではなく常識の範囲内で、事件を起こすような人間には見えないという。
この仕事をしていれば、『人は見かけによらない』などという事案は厭というほど味わう。だが今回ばかりはシロの可能性が高い。
人柄がどうということではない。単純に動機がないのだ。
当然、職場関係も洗った。不貞行為はなかったか。金銭トラブルは? 職場での人間関係はどうだ。
どれもにハンコを突けるほどの優等生。特別優秀でもないが問題も起こさない。ごく普通の、一般的な男だ。
周囲だけが大騒ぎをして、実は子供を連れて実家に帰省していただけだ……なんてことだってざらにある。
「それにしたって、連絡が取れない。無断で休んでいる……というのは変だな」
理屈ではない直感が告げている。これは事件性がある。それも、俺が考えているよりももっと深く黒い悪意が事件を突き動かしている……と。
「ガサ状が出てるわけじゃないんですから、無茶しないでくださいよ」
高橋が釘を刺す。どうやら顔に出ていたらしい。
「バカ野郎。このご時世、そんな勇み足踏んでただでいられるわけがないだろう。そのくらい、俺だってわかっている」
本当かなぁ、と表情に表しながら、高橋は無言でうなずいた。
インターホンを押すと、スリッパの底を鳴らす音が遠くからやってきた。
すぐに解錠の音と、玄関のドアが開く。思ったより警戒心は薄いらしい。
「はあい」
呑気な声と共に男が出迎えた。直接話すのは初めてだが、聞いていた通りの印象だ。スラリとして厭味のない物腰だった。
「お忙しいところすみません。警視庁捜査一課の綾田です。奥さんと娘さんのことについてお話を伺いたいのですが」
「妻と娘のことですか! 今ちょうどみんなでいたところなんですよ」
そういって男は笑った。
高橋と俺は顔を合わせる。家族が帰ってきている? やはり周りが騒いで大事にしていただけのパターンだろうか。
「どうぞ上がってください! みんな喜ぶと思いますよ!」
「ええ……それじゃあ、おじゃまします」
高橋が止めようとするのも構わず、男が勧めるままに部屋に入った。
俺が中へ入っていくのを見て、高橋も少し躊躇したが後に続く。
「食事中でしたか。せっかくの団欒を邪魔して申し訳ない」
「なに言ってるんですか。食事はみんなで食べるからおいしいんですよ! ああ、そうだ……」
リビングに入って俺と高橋は呆然とした。部屋には誰もいない。
あたかも食事中であると知らせる芳ばしい匂い。空腹を刺激する調味料とスパイスの風味が部屋中に漂っている。足りないのは賑やかな団欒の音。家族の生活音だ。
「よかったらみんな食べてってください」
「いえ、仕事中ですので。おかまいなく」
「ええっ、そうですか……。そうですよね、刑事さんって忙しそうですもんね。もっとも、私の場合テレビドラマのイメージしかありませんが」
にっこりと笑った笑顔は、含みのない人当たりの良さが表れている。だが今はその悪意のなさが逆に不気味だった。
高橋も同じ気持ちだったのか、眉間にしわを寄せ部屋の中を観察している。
「あまりじろじろ見るな。ガサ状なしで部屋に入って騒がれでもしてみろ。ろくなころにならないぞ」
「ちょっと綾田さん、どの口が言うんですか! ……わかってますよ」
そう言うと高橋は落ち着きを取り戻した。
「じゃあ、せめてメロン食べて行ってください。あまくておいしいメロンなんですけどね、なにしろ量が多くて食べきれないんです。けど、食べなてあげないと勿体なくて」
「メロン、ですか」
「お嫌いですか?」
俺はどちらでもないと態度で示すが、高橋は好物だと答えた。
男は高橋の返事を「食べる」という意味で受け取ったのだろう。嬉々としながら冷蔵庫を開け、頭を突っ込んだ。
「ああ、あの……」
すかさず高橋が辞去の意を伝えようとするのを止め、断り続けるよりも受け入れるほうがスムーズだと説得する。怪しんでいるのはこちらであって、被疑者に怪しまれては元も子もない。
フレンドリーに接しておいて、なんとか妻と子供について聞き出さなければ。
そう思いつつ男が冷蔵庫に頭を突っ込んでいる隙に部屋を観察する。
今にも家族の誰かが部屋に入ってきそうな雰囲気があるのに、不自然なほど男以外の人の気配がない。この状況の説明がつかない以上はまだ帰るわけにはいかなかった。
「そうだなぁ……よぉし、せっかくだからお前にしようかな」
男は冷蔵庫からメロンを取りだし、まな板の上に置いた。
「ちょっと待ってくださいね。今切りますんで」
「ええ。すみません。急にお訪ねしたにもかかわらず、デザートまでご馳走になって……」
「いいんですよ。ちゃんと食べてあげないとね」
ギコ……
ギコ……ギコ……
ギコギコギコ……
のこぎりを引くようなキッチンとは脈絡のない音に驚き、男のほうを振り返る。こちらに背を向け、まな板に立つ男は音から連想するイメージ通りに腕を前後に振っていた。
後ろ姿からでもなにか固いなにかを庖丁ではなくのこぎりで切っているのがわかる。
「な、なにを切ってるんですか」
「なにって、あまくておいしいメロンですよ?」
ん、ん、と息を漏らしながら左手でそれを押さえつけてのこぎりを引く。
その光景を前にして切っているものがメロンではないと確信した。では、男は一体なにを切っているのか。
「高橋!」
「はい!」
高橋の名を呼ぶと俺の思っていたことを察したのか男の下へ駆け寄った。そして、切っているものを見た直後、男を押し倒した。
「いててて! なにをするんですかぁ、刑事さぁん!」
「おとなしくしろ! 暴れるな!」
高橋が男の背にのしかかり、後ろでに手錠を嵌める。高橋は必死の形相だがそれ以上に顔面蒼白で、生きている人間のように思えないほどだった。
高橋の顔と、突然の確保に戸惑いながら俺はまな板に近づく。まな板の上のそれは、メロンというにはあまりにも気色の悪い色をしていた。鮮やかな緑色など程遠い……紫に近い青。
やはり庖丁ではなくのこぎり……糸のこぎりだ。途中まで切った糸のこぎりが刺さったままのメロン。
「あまくてね、おいしいんですよ。食べてやってくださいよぉ~。ぼくのメロン~」
メロン……ではなく頭。人の頭だ。それをこの男はメロンだと言って譲らない。
高橋は男の上でふぅーふぅーと荒い呼吸を繰り返している。この異常な光景に精神を持って行かれまいと懸命なのだ。
「冷蔵庫にもね、あとふたつあるんです! 食べてあげなきゃだめなんですよ~……ぼくのメロン! メロン! メローン!」
締まり切っていなかった冷蔵庫のドアがゆっくりと開け放たれ、まな板の上の長女を母と妹が見つめていた。
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