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【無料お試し】おうちゴハン / 新作ホラー小説

公開日: : 最終更新日:2015/02/15 お試し, ショート連載, ホラーについて

おうちゴハン

「いらっしゃいませー」

 

 

聞き覚えのある声が玄関に立つカップル客を出迎えた。この声の主は誰ならぬ豊である。

 

 

豊は白いカッターシャツにグレーのネクタイ、その上から赤いハッピのようなものを羽織っている。ハッピの胸元には【おわらい酒場】と白地の文字で書かれてあった。

 

 

「すみませーん」

 

 

「はいおまちくださーい」

 

 

客に呼ばれて振り向いた際に見せた背中にも大きく【おわらい酒場】とプリントされてある。

 

 

豊は近くのアルバイトの若い女の子を呼び、「3番さんにご案内お願い」と指示し、指示されたアルバイトは笑顔で今来たカップル客を奥へと案内した。その姿を見守ることもなく、呼ばれたテーブルへと小走りで出向き注文を聞く。

 

 

単身赴任から地元に帰って1週間が経ち、豊はこちらでの職場に復帰した。彼の仕事は全国チェーンを展開する居酒屋の社員だ。勤続11年、5年前から晴れて店長として各店舗を任されている。

 

 

だが居酒屋という性質上、勤務時間は夜が中心で、その日によって勤務内容の重さが変わるため、決まった時間に終われない。豊は2年間名古屋に新規出店する為の人員として、単身赴任をしていたのだ。

 

 

しかしそれはあくまで任意であり、拒否する権利も平等に与えられていた。つまり豊は志願したというわけだ。

 

 

「店長」

 

 

「はいはい!」

 

 

この仕事は辛い。辛いが無理はしていない。

 

 

田中豊という人間は、常にニュートラルだと言える。変革よりも安定を好むのだ。

 

 

その【ことなかれ】的な性格のため、求めるものも少ないし、向上心も無くはないが強くはない。周りの同期の社員が転職したり、昇格したりする中2年ほど遅れて店長に就いたのも、そういった豊だからこそ気にも留めなかったのだろう。

 

 

ちなみに言えば豊かに単身赴任の話を持ち掛けたのも元同期で現上司の同僚だった。

 

 

ヘルプならばよくある話だが2年の長期出張というのは主に新入社員であったり、交代に短いスパンでローテーションを回したりと、ある程度の地位に就いている社員には単身赴任を受けるメリットなどないため、豊を除く誰もが断った話であった。

 

 

それだけに話を持ち掛けた当の上司ですら「本当にいいのかと」念押しされたほどである。

生ビールのジョッキを両手に4つも持ちながらせかせかと歩く彼の後ろ姿を見ているとその人柄がにじみ出ているようにも思えてくる。

 

 

だが、そんな彼が何故に妻との中がこんなにも冷え切ってしまっているのか。疑問に思うだろう。

 

それは、妻の複雑な立場と、豊の犯してしまった火遊びに起因している。

妻の美紀とは結婚して10年……今年で数えるのなら11年目になる。元々は大学時代から交際していて、5年の交際期間を経て結婚にこぎつけた。

 

 

結婚自体は順風満帆にいった。5年も交際していればお互いの親とも顔見知りで、元々堅実な性格だった豊はそこそこの貯金があり、それを全て結婚資金にあてた。ゆくゆくは子供が生まれることを見越して、結婚してしばらくは子を作らず、経済的に余裕が出来たらなら改めて子供を作ろう。

 

 

と、二人で相談して決めた。そのため、彼らは敢えて市営団地に移り住み、生活よりも貯蓄を優先した。それは明るい家族計画のためであった。

 

 

だがその貯蓄は思わぬところで使うことになる。

 

 

結婚して2年目の春、美紀が子宮筋腫という病で倒れ、子宮を全摘出したのだ。結婚生活2年目にして豊と美紀の間に子供が生まれることはないという事実だけが残酷にのしかかった。

 

 

憔悴しきり、絶望してしまった豊と美紀に誰も手を差し伸べない。手の差し伸べ方が分からないというのが、彼らに近い人間の本音だ。それから夫婦は助け合い、二人で生きてゆくことを決めた。……決めたが。

 

 

「佐々木くん、13番テーブルのオーダー急いで」

 

 

結婚4年目。店のアルバイトの女性と豊は不倫した。もちろん、本気のつもりではなかったが、なんとなく関係をダラダラと続けていたある日、そのことが美紀にバレてしまった。

 

 

なんとかその後関係は清算したが、妊娠できない身体の美紀はそれが原因ですっかり豊と話すこともしなくなった。信じていたのが豊だけだったからだ。

 

 

豊も美紀も親戚付き合いが苦手で、お互いがお互いの親や親戚を苦手としていた。だから誰も美紀を憐れむことはあっても援助をしようとまではならなかったのである。それは豊の方も一緒だった。

 

 

ある意味で二人は似た価値観を持っていたからこその結婚だったし、美紀もそれだから信じたのは豊だけだった。

 

 

豊は美紀が子宮摘出してからしばらく落ち込んでいる時、一生懸命彼女を励まし、慰め、ようやく美紀が立ち直ることが出来た矢先のことだった。豊は子宮のある普通の女と不倫をした。

 

 

それがなによりも裏切りだったが、離婚までは至らなかった。別れることのメリットもデメリットもすでになかったからだ。

 

 

美紀も豊も一緒に生活はしているが、互いが互いをまるで置物のように扱い、5年目に差し掛かる頃にはなんの会話も交わさないのは当たり前になっていた。

 

 

そうすれば当然、お互いがお互いを見なくなり、お互いがお互いを意識しなくなる。そして2年後、豊の単身赴任。

 

 

さらに2年が経ったのが今、現在である。常識で考えれば、妻の顔が分からなくなるのはあり得ないことと言ってもいい。

 

 

だが、豊と美紀との間には俄然あり得ることなのだ。

一緒に生活している人間の顔がわからなくなる。

 

 

それがどういう事態を豊の中で引き起こすかというと……【赤の他人と住んでいる】という錯覚に陥るようになるのだ。

 

 

その錯覚は、既に豊が単身赴任で自宅を留守にする以前から感じ始めており、2年の月日が経った今、それはさらに重く豊の肝にのしかかるのであった。

「22時に8名ご予約入りました」

 

 

そういった意味ではこの仕事は彼にとって天職と言ってもいい。妻の顔を出来るだけ見ることなく家へ帰ることが出来る。

 

 

どれだけ家に帰るのが憂鬱だとしても、豊にも離婚の文字はない。それが引き起こす面倒の方がよほど気が重いのだ。

 

 

所詮は自分だけが我慢すればいいのだ。それで済むのならばそれ以上のことはない。誰にも理解が出来なくとも、豊にはそれを言い訳とするのには十分なのだ。……それに美紀にはなんの非もない。

 

 

彼女は被害者で自分は加害者のようなものだ。それは豊自身も自覚している。

 

 

だからこそ、美紀からもしも離婚を切り出してきたとしたら、彼女の好きにさせてやろうとも思った。そうでないのなら、自分は一緒に居続けるしかない。

 

 

ある意味で贖罪の日々と言ってもいいのかもしれない。私から言わせればただの自業自得だと思うが。

 

 

「悪い里田さん、1時間延長できる? ……うん、頼むね」

 

 

単身赴任期間中であった2年間は、豊にとって家庭を忘れられる格好の状況ではあったが、終わって帰って来てしまえばこの2年という歳月はさらに妻の顔を忘れさせた。

 

 

誤解なきように言っておくが、豊が分からなくなったのは今の妻の顔だ。厳密にいえば単身赴任で家を空ける少し前くらいからの顔だ。

 

 

若い頃や、結婚した当初の初々しい妻の顔は覚えている。よく見れば面影がなくもないが、それほどまでにこの数年間は彼女の人相を変えてしまった。

 

 

……そう。顔が変わったのではなく、人相が変わってしまったのかもしれない。豊は少し答えが見えた気になったが、だからなにが変わるわけでもないのですぐに考えることをやめた。

 

 

時刻は21時。仕事が終わるのは恐らく午前3時ごろになるだろう。

 

 

まだそれだけの時間があるのだと豊は安堵の溜息を吐く。奥でアルバイトが豊を呼んだ。テーブルでドリンクをこぼしたのだそうだ。

 

 

間違いなくクレームに繋がるだろう。結局家でも店でも休まる場所などないのか。少しばかり同情したくもなるがここは彼の走る背中を見守ろうではないか。

 

 

【その2へつづく】



 


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