【蔵出し短編】アキレス健太郎 2
頭痛のする朝だ。特別飲みすぎたわけでもないし、二日酔いと似ているが少し違う気がする。そんな憂鬱な朝はツイてないことが重なるものだ。
時計を見て飛び起きる。目を疑い、スマホにかじりついた。
「うそだろ、電源落ちてる……」
アラームが鳴らなかった。
顔も洗わずリュックと財布だけ持ち家を飛びでた。
「お前、なんだその寝癖」
職場に着くと同僚の三浦が呆れたように笑った。言われて気が付き、頭を触ると角のような寝癖が手のひらに当たる。辛うじて遅刻は免れたが、これでは社会人失格だ。
「すみません、寝坊しちゃいましてつい……」
どっと笑い声が沸いた。顔から火がでそうになりながら佐竹の姿を探すが見当たらない。
トイレでも行っているのか、それにしては時間に余裕がない。
「あの、佐竹さ――」
「おはよう」
佐竹の所在を訪ねようとしたところに主任がやってきた。タイミングを逸し、ひとまずデスクにつく。
「本日は競技場に予約があります。午後から中学校の団体が一組。あとはスイミングスクールの日なので、水質チェックをいつも以上にしっかりとお願いします。それともう一点、佐竹さんが退職しました」
唐突で脈絡のない報告に思わず聞き逃しそうになった。
「今なんて……」
「佐竹が退職したんだとよ」
隣で三浦が教えた。
嘘だ。佐竹さんが辞めるなんて。
少なくとも昨日の時点では退職するような素振りは一切なかった。不測の事態があったのだろうか。いや、それにしたってこんな急に退職するなんてあり得ない。
そもそも職員の進退は前もって公示されるはず。辞めた翌日に事後報告の形で発表するだろうか。
「なんで急に佐竹さんが」
つい声を上げる。主任はぼくに一瞥をくれ、「一身上の都合だそうだ」とそっけなく答えた。
脳裏によぎる【アキレス健太郎】の名前。
アレに気付かれると危ない、という佐竹の言葉。そして気付かれてしまったと肩を落とし、さっさと帰ってしまった後ろ姿。
無関係だろうか。いや、無関係に決まっている。
アキレス健太郎のことはわからずじまいだが、それが原因で辞めるなんて。
……そうだ、佐竹さんは子供の病気で家族が実家に帰っていると言っていた。きっとなにかトラブルがあったに違いない。
そうだ、そうに決まっている。言い聞かせるも納得するには頼りなさすぎる。
「それでは今日も一日、事故のないよう頑張っていきましょう」
主任の標語で朝礼が終わり、仕事がはじまる。
だがぼくはその日は一日中、佐竹のことで頭がいっぱいだった。
連絡を取りたいが、配属されて半年足らずのぼくはまだ誰の連絡先も知らない。せいぜい主任の電話番号くらいだ。
問題なく過ごしていると言っても、プライベートで親交があるほどではないのだ。
佐竹のことだって、私生活のことはほとんど知らない。妻帯者で子供がひとりいる、くらいのことしか知らない。彼がマンション住まいなのか、一戸建て住まいなのかも知らないのだ。
「えらく顔色が悪いな。どうかしたか」
「ええ、まあ……」
三浦に話しかけられても、歯切れの悪い返事しか返せなかった。
「悩み事か? 相談くらいなら乗るぞ」
「いえ、その……実は」
言うべきか迷ったが、この気持ち悪さを自分だけに閉じ込めておくことができず、昨晩まで佐竹といたことを話した。
「そうだったのか」
三浦は眉間に皺を寄せ、神妙な面持ちで聞いてくれた。
アキレス健太郎のことはあえて伏せた。佐竹の退職とは無関係だと思いながらも、今この言葉を口にだす気にはなれなかった。
ただ口を滑らせてこの名前を言ってしまったあとの、佐竹の豹変ぶりが忘れられない。アルバイトが震えていたこともだ。
「お前、なにか変なこと聞いたんじゃないのか」
三浦の問いは的を射ていた。心臓が止まりそうになる。
「なにか変なことって、なんですか」
「例えば、13日の金曜日のこととか」
ぎくり、と文字が飛びだすのではないかと思った。
聞きました、と答えるべきだろうか。ぼくは固まったまま三浦の顔を見るしかなかった。
「そうなんだな。あいつは喋ったのか」
首を横に振る。ほっとした様子で三浦は大きく息を吐いた。
「そうだよな。そんな話をするはずがない。気付かれたら大変だからな」
まただ。心の中で叫んだ。
「気付かれるってなにに……」
「知らないでいい。ここで働いていれば厭でも知ることになる」
「知ることになるって……どうやってですか。気づかれないようにどうやって」
喋っている途中で肩を掴まれた。首を絞められたように言葉が途中で詰まった。
「なんで知ってる。気付かれたらだめだと」
「なんでって……今、三浦さんが言ったから」
咄嗟に口からでた言葉だった。それだけでは説明にならないが、三浦は納得したようだった。
「この施設の至る所に痕跡があるんだよ。俺たちは保守や点検、巡回もやる。だから長く勤めていれば厭でもそれが目につく。そして、ここでしてはならないことがわかる」
「してはならないこと……?」
「アレに気付かれてはいけないということの意味だ」
そう言うと三浦は肩から手を放し、代わりに背中を叩いた。
「これ以上話すのはさすがにマズイからな。ここまでにしとく。あとは自分で調べろ。いいか、くれぐれも自分が見たこと、知ったことを口にだしたり誰かに喋ったりするんじゃないぞ」
「もしも破ったら?」
「それも言えない」
最後に三浦は釘を刺すような冷たいまなざしでぼくの顔を覗き込むと、立ち去ってしまった。佐竹が退職した理由についてはなにも話さなかったが、『アレ(アキレス健太郎?)に気付かれたから辞めた』という説が真実味を帯びてきていた。
アキレス健太郎とはなんだ。誰の事だ。なぜ忌み嫌われているのだろうか。
どんな一日も必ず終わりが訪れる。
永遠とも思われた長い一日だった。朝礼の時と変わらず主任が終業の挨拶をしている。
週末にある大きなレクリエーションへの注意点を告げたあと、再度宿直希望者を呼びかけた。
だが案の定挙手する者はいない。主任の脂汗とへの字眉毛がさらに下がった。
「主任がやればいいじゃないですか」
どこからか揶揄う声が上がった。
「い、いや、うちはダメだ。息子が大学を辞めてユーチューバーになるとか言いだして、それの家族会議があってだな」
「ユーチューバー関係ないじゃないですか」
「ユーチューバーはその、関係あると言っていた。じゃなくて、息子がだな……」
しどろもどろで支離滅裂な言葉を発するが主任はすぐに黙った。絶対に厭だ、という空気が体中から溢れている。
「あの、ぼくやってもいいです」
さも見かねたという素振りでぼくは手を挙げた。このタイミングならば希望した、というより仕方ないからやってやった、という印象が立つ。
もはや無関心ではいられなくなっていた。不可解な佐竹の退職、アキレス健太郎、三浦の冷淡。膨れ上がった興味を抑えるには13日の金曜日をここで過ごすしか手段はない。
ぽかんとした職員たちとは対照的に主任の顔にパァ、と赤みが差す。
「本当か? いやあ、助かる!」
露骨に喜ぶ主任は子供がはしゃいでいるみたいだった。
そのはしゃぎぶりが癪に障り、水を差してやりたくなった。
「でもあとひとりいるんですよね。それは誰がやりますか」
主任に注目が集まる。窮地を脱したと油断していた主任の顔から再び血の気が引く。
「……俺がやりますよ。新人がやるっていうんじゃしょうがない」
渋々挙手したのは三浦だった。
喜びから声のトーンが高くなる主任とは裏腹に、ぼくはさっきの冷たい眼差しを思いだして身震いする。
よりにもよって三浦が相棒だなんて最悪だ。
ただでさえ、アレについてぼくに疑念を抱いている。この男が一緒ということは常に監視されるようなものだ。
だが一方で監視されたところでただ職場に泊まるだけだ。なにもやましいことはない。そう思うと考えすぎな気もしてくる。
「よろしくな」
なにげない挨拶に顔を上げる。その目はあの時の冷たい目だった。考えすぎだという考えはすぐに捨てることにした。
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