【夜葬】 病の章 -84-
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最終更新日:2018/08/14
ショート連載, 夜葬 病の章 おかわり、ありますか, どんぶりさん, 夜葬
平べったい辞典のような、テープレコーダーをカバンから取り出す。
汗をかいたミックスジュースのグラスを端に寄せ、機械の具合を確かめる。
この手の機器を得意とする健一でさえ、理解ができないほどテープレコーダーの機嫌は悪く、なかなか正常に動かない。
携帯するタイプの機械などまだまだ少ない時代、ある程度のデリケートさは仕方がないものと健一も承知だったが、こんな大事な局面での不具合は御免被る。
冷えた室温と不釣り合いな汗がその額を伝った。
「すまんねえ。俺がそういうものに詳しかったらよかったのに」
「いえ、こちらこそすみません。お呼びたてしたのは私のほうなのに、手間取ってしまって」
「大丈夫ですよ。時間はまだありしねぇ」
ずるずると白い澱がこびりついたような氷だけが目立つグラスをストローで啜る。
その様子を見て、健一は「よかったらおかわりしてください」と勧める。
「おかわり? ……ああ、いや。大丈夫ですんで、ゆっくりやってくださいな」
「そうですか……もうしわけありませんが、お言葉に甘えます。できるだけ急ぎますので」
健一はそう言いながらも、元がなぜか「おかわり」という言葉に反応したのか不思議に思っていた。
げほっ、げほっ、と元は苦しそうに咳をしている。
健一が気に掛けると、笑って大丈夫だと答えた。
実に人当たりのいい普通の男だ。白髪だらけで年寄りのように見えるが、まだ若いはずだと健一は思った。
――確か、四〇代前半だったよな。
目の前で氷水を啜っている男はどう見ても五〇代後半のように見える。体調や角度によってはもっと高齢でも通るだろう。
とてもまだ働き盛りの中年男性とは思えない。
それに結核患者のような烈しい咳にも気になった。病気なのだろうか。
「あっ……」
悪戦苦闘していたテープレコーダーだったが、ようやく機嫌を直してくれたようだ。
これまで動いては止まり、を繰り返していたそれの挙動は安定している。
「お待たせいたしました黒川さん。これでようやく録音ができます」
「録音かぁ。自分の声を録るなんて、なんだか恥ずかしいですな」
「いいお声です。自信を持ってください」
元は頭を掻きながら照れ臭そうに笑った。
「それでは、その……【夜葬】について話してくださいますか」
元がうなずくのを認め、健一は無言のまま三本指を立てた。
それをひとつずつ折り、カウントダウンをする。
意味を解した元は、指を見つめ、録音ボタンを押した健一の合図に従い語り始めた。
「《一九五五年頃かねぇ。鈍振村に数人の報道関係者が訪れ、文化や風習の調査と銘打ち村の人間とコンタクトを取りましてね。貢物といいますか、いろいろと便利なものを持ち込んでくれたんですわ。それはまぁありがたかったんですがねぇ、その代わり色々と荒らしてくれたもんですよ。全くヒドイもんです。結局彼らが去った後に、村に疫病が蔓延しましてね。どうにもそれに参ってしまって、村でどうしようかって話になったんですわ。そこで【夜葬】を復活させようって話も出たんですがねぇ……。なんというか、このご時世にそんな恐ろしい風習できんでしょう? 疫病っちゅうても、わしは呪いだなんて思っとらんですから。けど村のもんはみんな、【夜葬】をやめたせいじゃっちゅうてね。聞く耳持たんかったんですわ。それでも毎月、毎週のように村のもんが病気になってねぇ。「死人がこれだけ出てるんだから【夜葬】をまたやるべきだ」なんて声も本格的になってきたんですなぁ。まぁここまで村のもんたちが興奮してる状態だからね。正直なところ生きてる人間を殺すわけでもないし、【夜葬】を復活させてもいいとは思ったんだよ。あくまで民間信仰の一種だからねぇ。そりゃあずっと昔からこうしてきたって言われちゃあ、最終的には従おうって思うさ。わしとしてもその時の状況といったらお手上げの状態だったからねぇ。
でも話はそう簡単じゃない。単純に【夜葬】を復活させるとなれば、そのための儀式がいるんだ。福の神さんをね、村にもう一回呼ばないといかんっちゅうてね。さすがにそれは無理だって言うたんだぁ。二九人だよ? 子供を二九人なんて馬鹿げてるだろう。いくら土俗的風習だといってもね、それを黙認するわけにも許すわけにもいかない。
わしが親父と一緒に【鈍振村】にやって来たのが戦争が始まるちょっと前だったから、元々この村の出身じゃなかったからね。越してきた時は、……まぁ別に今も悪い奴らじゃないが、皆気のいい連中だった。ただいくら風習とはいえ【夜葬】には慣れんかったがね。戦争が始まって生きていくのにも必死だった時にね、どさくさ紛れでやめてやったんだぁ。戦争が終わってからも村を立て直すのに必死だったし、しばらくは【夜葬】どころじゃなかったんだねぇ。
もともとわしら一家はよそから来た家だから、村の連中よりかは外の世界ってもんを知ってた。村の復興にわしや親父の知恵が役に立ったんだなぁ。だから別になりたかったわけじゃないが世話役に持ち上げられた。まあこれはこれでやりがいがあったからやってきたんだがぁ、福祀りをすると言うんならわしは降りるちゅうたんだ。元々、【夜葬】で【どんぶりさん】に白飯をよそうっちゅうのがあるな? あれはまず福の神さんに供えて、神さんに供え終わった白飯を皆で食うっちゅう決まりがあるんだぁ。神さんに食うてもらって、死んだ者の魂が【どんぶりさん】に乗って帰る時に食って、その後でそれを家族が食う。気味が悪い風習だが、まぁこの村ではそういうもんだと思ってた。
ん、福祀りか? ああ、聞かんほうがいいと思うなぁ。
……【夜葬】で福の神さんにお供えせんくなってしばらく経ってたから、福の神さんが村からいなくなってしまったって連中は言うとんだ。そのせいで病気が村を滅ぼすんだと。だから福の神さんをもう一度【鈍振村】に呼ばんといかん。その福の神さんを呼ぶためのが福祀りってこったなぁ。福祀りってのはな、無垢な子供を二九人、どんぶりにして供えるってもんなんですわ。二九っていうのは『福(二九)来たれ』っていう語呂でね。全部顔をほじくって、飯を山盛りほじくった顔に詰めて供えてね。生きてる子供をわざわざ福祀りのために殺すっていうんだから、正気じゃないって思うだろぉ? けどね、不思議なもんであの村におったらわしのほうがおかしいんかと思ってしまうんだなぁ。
大昔から何度か福祀りは節目節目でやってきたらしいけどね、わしの世代で福祀りなんて……ほら、戦後だしねぇ? 連中にはついていけんってことで、わしは【鈍振村】から離れたんですわ」
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