【夜葬】 病の章 -43-
敬介という名の子供を殺せ。
船坂は鉄二にそう命ずるように言った。
真剣な面持ちで力強く言い放った船坂の様子に、鉄二はいよいよ気が触れたのだと思った。
なにをバカげたことを言っているのか。
子供を殺す?
ゆゆの子だ。それは即ち船坂の孫でもある。
かわいいはずの孫を殺せという鬼畜がいるものか。
しかも、船坂が殺せと言っている子は鉄二の子だ。
つまり、子殺しをしろと言っている。
鉄二は、やはり船坂の家を訪れたことを悔いた。
こんな訳の分からないことになるとまでは予想しなかったが、歓迎されるわけがないことくらいはわかっていた。
それでもこの村に戻ってきた身としては、最低限の義理だと足を引きずる思いでやってきた。
船坂が自分に敵意や怨恨を抱いている……それはわかる。
だからゆゆやゆゆの子について追及されることは覚悟していたのだ。
それなのに蓋を開ければどうだ。
耄碌し、気が触れ、あのころのたくましい面影など微塵も残さないただの老害になり果てた船坂は、言うに事を欠いて子供を殺せという。
それ以上会話をする気にもならなくなった鉄二は、無言のまま船坂の家をでようとした。
「どこへ行く! 鉄二、殺すのか! 殺すんだ、殺せ! わかったな!」
発狂したように興奮し、叫び散らす船坂。
いたたまれずまぶたを閉じた鉄二の目にはじんわりと涙が滲んだ。
憧れの父親像。たくましい大人の男。
船坂とこれ以上同じ空間いると、何もかも許せなくなってしまう。
そうなってしまう前に、この場から離れなければ。
鉄二の思いは決して口から外にでることはない。
「お前、殺さないつもりか。いっぱしに責任や良心を感じているのか? バカが。お前がそのままでていっても俺は追いかけることはできない。昔なら張り倒して、地面にへばりつかせながら無理矢理聞かせることもできたがそれも無理だ。
お前が責任や良心を感じているのならな、“あれ”を殺すべきだ。
それがこの村も、ゆゆも、みんなを幸せにすることにつながる」
船坂の身勝手な言い分を黙って聞いておれなかった鉄二は、一度玄関の戸にかけた手を離し、振り返った。
「……みんなを幸せに? 人を、赤ん坊を殺して幸せになるのか? 今のでよくわかったよ。おっちゃんだけ、まだ戦争の最中なんだ。人を殺して幸せになる? そんな危ないこと良く言えるな!」
「ほう、じゃあ鉄二。お前は『人を殺したことがない』んだな?」
眼を細め、船坂は鉄二の瞳を真っすぐにみつめた。
その目に睨まれた瞬間、鉄二の脳裏に押し付けられた嬰児を叩き殺した光景がよみがえる。
――まさか、知っているのか。いや、そんなはずは……それはありえない。だって俺はあの時、東京にいたんだ。東京のオンボロアパート……そんなところにこんな状態のおっちゃんがいたはずがない。
だが同時にもう一つの可能性も浮上する。
――待て。おっちゃん本人でなく、おっちゃんが差し向けた使いが俺を監視していたとしたら?
それならあり得る。
そのように思いはしたが、すぐにその可能性を自ら打ち消した。
――なんのために? それにだいたい俺の居場所を特定して見張っていたとしたら、いつからだ。
あらゆる仮説と推測がぎゅんぎゅんと頭の中を駆け巡り、その思考の忙しなさが脂汗となってとめどなく鉄二の頬を伝った。
「あるんだろ? 鉄二」
鉄二は黙ったまま凍り付いた。
心臓に杭を打つような重いまなざし。
「図星か。やっぱり諸悪の根源はお前にあるんだな、鉄二。お前はすでに人殺しだ。だったら、ひとりくらい殺してもわけないだろう。大丈夫だ、誰にもバレない。誰にも咎められない」
真っ白い白髪と肌に錆びて曲がった釘のような笑み。
その笑顔の意味が邪悪なものなのか、正義のものなのか、鉄二にはもはや読み取ることはできなかった。
――あてずっぽうで言ったのか? それにしては真に迫るような言い方だった。いや、おっちゃんは知っていたんだ。そうに違いない。そうでないと説明が……。
心の中で、闇で蠢く曖昧な何かに対し、必死で言い訳を繰り返す。
正体のないそれは、次第に自分が殺した赤ん坊の姿に変わり、その幼く粟のように柔らかな口元が微かに動く。
(とう……ちゃん……)
鉄二の瞼の裏で閃光が走り、目が眩んだ。
光は語りかける。
もう一度殺せ。と。
あの赤ん坊は死んでいない。死なずにここへやってきた。ゆゆの子供の姿を借りて。
だからこそ、もう一度殺さねばならない。
そうしなければ、自分が殺される。
「顔色が悪いぞ。鉄二」
鉄二が堕ちたことを、その表情と様子で船坂は悟った。
そうとも知らない鉄二は、たちまち黒いもやが精神を支配していくのを感じる。
その黒いもやとは殺意。
幼子に向けるには邪悪すぎる感情である。
「ゆゆの……敬介を殺せば、どうなる」
「すべて元に戻る。戦争の前。お前が夜葬を捨てた前にだ」
「夜葬があるからって、一体どうなるっていうんだ」
「美郷がよみがえったように、みんな元通りになるんだよ。船頭さんも、伊三もみんなな」
船坂が語った中に元の名前がなかったことを、鉄二は鈍振村に訪れる以前に戻れるのだと理解した。
あの時まで戻ることができるのならば、元を全力で止めれば鈍振村に……呪われたこの村にくる事実すらなくなる。
普通に考えれば、時を遡るなど失笑ものの空言だが正気を失いかけている鉄二にはもはやその境界線はあってないようなものだった。
だからこそ、鉄二はわからなかった。気付かなかったのだ。
以前、ゆゆが我が子の年齢を六歳だと言っていたことを。
六歳の子供が赤ん坊なはずがない――ということも。
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