【ブログ小説】ひとり10万円 4
4
「最近、やけに機嫌がいいじゃないですか」
オフィスを歩いている時、コピー機の前で地蔵のようにじっと固まっている村上に声をかけられた。
「そうですか?」
「ええ。なんかあったんですか」
「なんでもないですよ」
そう言って肩をぽんと叩き、俺は給湯室へ向かった。
コーヒーが飲みたかった。
「課長、珍しいですね。インスタントですか」
給湯室に来ると、同じ課の水谷がいた。
俺の姿に一瞬、驚いたような様子を見せたがすぐに表情を戻す。
「ああ、倹約に目覚めてね。お金を使わずに済むのならそっちを優先しようと思って」
「またまた~。これ以上お金貯めてどうするんですか」
「これ以上?」
「そうですよ。今、課長は期待株なんですからぁ。女子社員たちから熱視線を浴びてるのわからないですか」
全然、とうそぶいてみるも本当は気が付いていた。
慢性的な人手不足とは言え、女子社員も相応数いる。……いや、むしろ残業とは無縁である女子社員が充足しているためにそのしわ寄せが俺たちにのしかかってきている、というのは否めないわけだが。
ともかく、人数の割には多い女子社員のほとんどは昔で言う結婚適齢期と呼ばれる年代の者が多かった。
確かに、そんな彼女らの数人からはただならぬ視線を感じたり、過度のサービスともとれる気遣いを受けたことがある。
冷静に自己分析してみればそうか。
ブラックに近い会社には勤めているが、年齢よりも多くの給料をもらい、高い家賃のマンションにも住んでいる。結婚はしていないし、バツもない。
自分で言うのもなんだが、身長は高いし顔も中よりも上だとは思う。学生時代、バレー部に所属していたこともあって体つきにも自信はある。
そして、なにより俺には貯金がある。……いや、いまとなっては『あった』と過去形で語るのが正確だ。
「へえ、そうなのか。知らなかったよ」
白を切ると水谷は目を細めて高い声でおどける。
そうか。こいつもまた、“狙っている側”の女だったか。
社内恋愛は諫めるほうの立場だが、好意を寄せられて悪い気がするはずがない。せっかく女性のほうから誘ってくれているのだ。乗らない手はない。が。
「今は仕事が忙しくてな。とてもそんなことに気を使っていられないよ」
暗に相手などしないと言ってやる。
意味を汲んだのか、水谷はハッと表情をオフィスの顔に戻し、一瞥をくれて給湯室を後にした。
悪いが、お前らの求める貯蓄なんてものは俺にはない。つい数か月前まではあったのだがね。
そう心で呟きながらカップにインスタントの粉をひとさじ入れる。
これまでの俺なら必ず、喫煙所そばにあるカップコーヒーの自販機を利用していた。
一杯150円だが、インスタントを飲むよりかはいいとこだわっていた。
だが1円たりとも無駄遣いをしたくない俺は、こだわりを捨てたのだ。小さなことと笑われるかもしれないが、これでいい。こういうことが大きな山を築く礎になるのだ。
貯金残高は、120万になっていた。家財道具を売り、少しだが元に戻せた。
だがたった12回。12人の人間を救っただけで塵となってしまう儚い金額だ。もっと金がいる。どうすれば稼げるだろうか。
唇を突き出し、カップの口にかじりつくようにしてみみっちくコーヒーを啜りながら、副業を考える。本業を辞め、転職も考えたがどこをどの方面で考えたところで収入があがるビジョンが見えなかったのでやめた。
……どうしたものか。
ポケットのスマホが鳴る。取引先の営業からの電話だった。
仕事で近くに来ているので昼食をどうか、というものだった。
要はただ飯を食わせろということだ。人の足元を見る、いい性格の人間が営業には多い。
世渡り上手と言えば奴らは喜ぶのだろうか。
まあ、いい。こちらとて会社の金だ。と、オフィスに戻り外出を水谷に伝えた。
近くまで来ている、と言っておきながら俺はひとつ隣の駅まで呼び出された。
店の前で待っているというあたり、すでに食べたい店を決めていたらしい。溜め息が出るがこれも仕事だと思い、汗を拭きながら手を振る営業と落ち合った。
うなぎが名物の店で、値段も安い……という謳い文句だがランチにしては充分高い。遠慮なくまるまる一匹が乗ったお重を注文した営業を前に、仕方なく同じものを頼んだ。
営業は今行ってきた取引先の文句をひとしきり話し、肝吸いを啜っている。店内には同じようなホワイトカラーとおばさま連中が目立った。
手前のうな重を半分ほど減らしたところでやはり俺は金の工面のことばかりを考えていた。そして、俺に救われるべき幸運な人間の選別方法も。
やみくもに救っていたのでは実感がない。それゆえ、救った後も目に見える人間だけを救うことに決めた。
しかし、正直なところ日常生活でそうそう人の生死にかかわる局面に出くわすことなどない。それこそ、自らわざわざそういう場に赴かなければ……。
目の前の、楊枝で歯をこそぐ営業を見つめながらこの男が今、死に瀕する窮地に襲われればいいのに、と本気で思った。
だが俺の願いは虚しく、営業の歯の隙間風の音だけがすっきりとしてゆく。
『戸越銀座は今若者に人気のお店が続々と……』
『番組の途中ですが、ニュースをお伝えします。都内○○区でビル火災が発生した模様です。現場から坂嶺キャスターがお伝えいたします』
店内のテレビでやっていたバラエティ番組が急に報道番組に切り替わり、それに伴い客たちの視線がそれに集中する。
「あれぇ、あのビルって……」
営業は目を丸くした。そして、俺も同じ顔をしていた。
燃えているビルは、うちの会社だった。
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