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【連載】めろん。55








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・破天荒 32歳 フリーライター⑩




 最初に異変に気付いたのは檸檬だった。




 買い物から帰ってきた私に檸檬が飛びつくと、「理沙が!」と叫んだ。




「理沙が? なにがあったの」




 訊ねるが檸檬はまるで失言症のように口をパクパクさせるだけだった。




「理沙はどこ。奥にいる?」




 檸檬はうなずく。後ろに下がらせるとゆっくりとリビングへ向かった。




「理沙……」




 理沙はソファに座っていた。テレビを見ているようだ。




「理沙?」




 もう一度呼びかけると理沙はこちらを振り返った。きょとん、としているが特に変わりはない。いつもと同じ様子だ。




 理沙の身になにかあったのではと構えていただけに私はホッと胸をなでおろした。




「なに、どうしたの? もしかして姉妹喧嘩?」




「違う、違うの……」




 だが檸檬もまた動揺したまま変わらない。その様子を見て、怪訝に思った。




「違うって、なにが……ねえ、理沙」




「めろん」




 どんっ、と背中に衝撃が走った。壁にぶつかったようだ。




 反射的に私は後ずさったらしい。




「いま、なんて……」




「めろん?」




「ふざけてるの? 理沙、そうよね」




「めろん、めろーん」




 目の前が真っ白になった。




 そういうことだ。檸檬が感じた理沙の異変……それは、理沙がめろんに罹ってしまったということだったのだ。




「どうしよう蛙子ちゃん! 理沙が……理沙がおかしくなっちゃった!」




「大丈夫、大丈夫だから」




 そう言っている私の顔はどうなっているだろう。檸檬を心配させない顔ができているだろうか。




 理沙は慄く私とは対照的に、にこやかな表情を浮かべ立ち上がる。普段となんら変わらない様子……いや、普段よりもずっと穏やかなはずの理沙を私は恐れていた。




 ただ「めろん」と口にしているだけだ。それなのに、こんなにもおそろしい。小学1年生の子供が。




「ねえ、蛙子ちゃん! 理沙、どうなっちゃったの?」




「大丈夫、大丈夫だから……」




「蛙子ちゃん!」




 気が動転して「大丈夫」しか言えなくなっていた。檸檬の頼りは自分だけだというのに。




「あ……」




 肩を揺さぶる檸檬の背後、ゆっくりとこちらに近づいてくる理沙がいた。




 そして、その手には庖丁――




「危ない!」




 咄嗟に檸檬を庇うと、腕に痛みを感じた。




「痛ぁっ!」




「めろんんん!」




 腕を切られた!




 かなり痛いが傷はそれほど深くない。だが痛みのおかげで頭が冷えた。




「蛙子ちゃん!」




「檸檬はトイレに隠れてて、理沙は私がどうにかするから」




「理沙を殺さないで!」




「なに言ってんの、殺すわけないでしょ!」




 早く、と檸檬の尻を叩く。理沙はすかさず檸檬を追おうとした。




「ダメ、理沙!」




 足を掴んだ拍子に理沙が転倒し、持っていた庖丁を落とした。




 正気を失っているとはいえ子供だ。大人の力の前では無力に等しい。よほど急所に当たらない限り、庖丁での攻撃も致命傷にはなりにくいだろう。




 理沙が庖丁に手を伸ばすのを阻止し、うつ伏せのままの理沙を引き寄せる。




「めろん! めろぉおおん!」




 理沙は暴れた。幼いとはいっても小学生くらいになると力は強い、気を抜くと逃げられそうだ。




「大人しくして! 理沙!」




 大声で言い聞かせるが理沙は暴れるのをやめない。




 息も荒く、うめき声をあげ、ギリギリと歯を食いしばっている。




 私から逃れようとする理沙が一点を見つめているのに気が付いた。




 トイレだ。あの中には檸檬が閉じこもっている。




「檸檬を狙っているの」




 どうして、と口から出た。




 そういえば以前、広志から聞いたことを思い出す。




 ――めろんに罹った者はまず近親者を食べようとする。




「檸檬を食べるつもりなの……」




 頭の中に浮かんだことを無意識に口に出していた。私は否定したかったのだ。




 そんなわけはない。あんなに姉を慕っていた理沙が、ちょっとおかしくなったからって、檸檬を食べようとするなんて――




 そんな思いを察したのか、暴れていた理沙が突然大人しくなりゆっくりと顔をこちらに向けた。




「理沙……」




 理沙はにたり、と顔全体を歪ませて笑った。人間味のない、悪魔のような顔で思わずたじろいだ。




「めぇろぉん~」




 ゾッとした。




「めろん」と言った理沙の言葉が、私には「そぉだよぉ~」と聞こえた。まるでごちそうを前にして、よだれを垂れ流すいやしい獣のような……歪み切った笑顔だった。




 それは私の知る理沙でも、子供の顔でもない。




 純粋な食欲に囚われた、野生の獣の顔だった。




「ごめん、理沙!」




 理沙の顔を思いきり殴りつけた。子供に暴力を振るうなんて、我ながら非道だと思ったが、理沙を野放しにはできなかった。




 そうでないと……檸檬の命が危ない。




 理沙は短く悲鳴を上げると、床に頭をぶつけて気を失った。




『蛙子ちゃん、なに……? いまの音』




「ダメ、檸檬! まだでてきちゃダメよ!」




 小さく「うん」と返事が聞こえ、私は理沙が動かなくなったのを確かめるとリビングに運び、荷造り用のビニール紐で手足を縛った。




 ガムテープで口を塞ぎ、頬を腫らして横たえる理沙の顔を見下ろす。




「どうして……理沙……」




 そう声をだすと涙が溢れた。




 こんなに小さな子供が、なぜこんな目に遭わなくてはいけないのだ。こんな理不尽な……不条理な世界があるのか。




 私はその場でしゃがみ込み、嗚咽を漏らし、泣いた。










めろん。56へつづく(2020/7/7更新予定)



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