【夜葬】 病の章 -34-
結論から言えば、本当に自分の子かどうかなど分からなかった。
行きずりの女と出会っては生活を共にし、すぐに捨てる。
まだまだ女が男より弱い時代だった。
たまに気の強い女と付き合った時には、逆に鉄二が愛想を尽かされることもあったが、どちらにせよ鉄二の堕落した生活は変わらない。
メタンフェタミン(この頃『ヒロポン』と呼ばれていた)が劇薬に指定され「覚せい剤取締法」が施行されて数年が経っていたが、入手は容易だった。
酒と薬に溺れ、日陰を彷徨っては借金取りから逃げる毎日。
鉄二は、荒くれものややくざ者にはなれなかった。
それだけの気質も度胸も、力もなにもなかったのだ。
鉄二を堕落させた挫折の要因は、自分自身、そういう存在なのだと気付いた事。
行き場のない怒りや憤りを敵国にぶつけ、玉砕覚悟の精神を持っていた頃は自分はそれこそ軍神にだってなれる。そんな妄信めいた思想を抱いていた。
だが現実は冷たく鉄二に『如何に自分が無力か』を突きつけてきた。
そんな己の無力さに苛まれ、堕落しきっていた鉄二の前に、『無力の象徴』があった。
「ふぎゃ、ふぎゃあ」
――赤ん坊。
傍らには置手紙があった。
《貴方の子。責任もって育てるか、捨てて》
一体誰が置いていったのかはわからない。
この赤ん坊の母親もわからなければ、本当に自分の子なのかもわからない。
ただ、自分には数えても数えきれないほどの心当たりはあった。
鉄二は柔い雪餅のような頬をぷるぷると震えさせ、無邪気に笑うそれを黙って見下ろしていた。
「冗談じゃない、冗談じゃないぞ」
目の下のクマ、こけた頬、かさかさに乾き割れた唇、浮いた肋骨に骨ばった身体、なのに腹だけはぼっこりとせり出している。
汚れたガラス戸に映った自分の姿を見て、鉄二はさながら餓鬼のようだと思った。
太平洋戦争中の頃の方がよっぽど健康的な体をしていた。
実際は健康的なはずなどない。がりがりにやせ細っていたはずだ。
だがその頃の鉄二よりも、今の鉄二のほうがよほどに病人のような姿をしている。
そして、そんな餓鬼の足元でほぎゃほぎゃと声を上げる赤ん坊。
「冗談じゃない。こんな厄介なもの……こんな厄介な」
膝をどすん、と床に落とし赤ん坊を間近に見つめ、元々汚い土色の顔を青白くさせた。
手を赤ん坊の首にあてがる。
「こんな面倒なもの、邪魔なだけだ。俺の生活には、俺の栄光には」
赤ん坊の無垢な姿に鉄二は不可解な輝きを見た。
どこかで歯車が狂い、堕ちてしまった自分。ここから先の自分はきっと、ろくなものではないだろう。
だがこの赤ん坊はどうだ。
すべてがここから。無限の可能性がある。
そう思うと、余計に自分に対する憎悪が沸き上がってきた。
――俺は、どこで、なぜ、こんな風になってしまったのか。
自問すればするほど、目の前の子がまばゆく光る。
――だめだ、このままでは俺は……だめだ。
赤ん坊の首にあてがった手をどけると、鉄二はその場でむせび泣き始めた。
在りし日の鈍振村での日々を思い出したのだ。
戦前、【夜葬】の風習こそ悪習だと気付かなかったが、気付かなかったからこその平和で和やかな日々。
そこにはゆゆがいて、美郷がいて、元がいた。
穏やかなあそこには、確実に自分の居場所があったのだ。
「今……帰ったら俺の居場所、まだあるのかなあ」
だくだくと流れ落ちる涙。乾いた頬に不釣り合いなほど多くの涙が鉄二を濡らした。
「ぎゃあ! ぎゃああっ! おぎゃあああ!」
突然、赤ん坊が泣き始めた。
慌てて鉄二は赤ん坊を抱き上げると、たどたどしくあやそうと試みる。
「ふぎゃあっ! ぎゃああん!」
だが赤ん坊は一向に泣き止むことをしない。
一方の鉄二も子供など抱いた事もない。
ただただ動揺しつつ、抱きかかえるしかなかった。
「ほぎゃあぁ! おぎゃああ!」
「それにしても凄まじい泣き声だな。これじゃあまるで獣だ」
村にいたどんな野鳥よりも耳障りな泣き声。思わず顔を歪ませ、鼓膜が震える。
「泣き止め、おい子供! 泣いたって乳はないぞ」
そう。赤ん坊だけ置かれいても、栄養となる乳はない。
いくら腹が減ったとしてもそれがなければどうにもならないのだ。
「ぎゃあああっ、ぎゃああああ!」
さらに激しく泣く赤ん坊の泣き声に、鉄二は次第に苛立ちを覚えるようになった。
手の中にある『完膚なきまでに無力な塊』は、無力なくせに欲求には正直だ。
ただ欲するだけの存在。与えるものが無ければ生きることすらできない。
――虫。虫けらだ。
バンッ!
泣き声が止んだ。
鉄二が赤ん坊を床に叩きつけたのだ。
「ぎゃ……あ……」
苦しいのか赤ん坊は息も絶え絶えに掠れた声をあげた。
どむっ
赤ん坊の腹を踏む。短い悲鳴を上げ、赤ん坊は完全に黙った。
鉄二はしゃがみ込み、口と鼻から血を垂らす赤ん坊の顔を掴み、もう片方の拳を思い切り振り下ろした。
肉がめり込み、何かが噴き出す音が小便のしみ込んだ布団が散らかる部屋に木霊す。
鉄二はただ無言で、無心で赤ん坊を殴り続けた。
すっかり事切れているのにも関わらず、何度も何度も。
「そうだ。どうせ、どうせ死ぬんだぞ、お前。どうせ、な」
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