【夜葬】 病の章 -33-
東京の光は煌びやかで、この綺麗な光ならば自分を救ってくれる。
鉄二はそう信じて疑わなかった。
日本は完敗し、米国に屈し、そして完全に植民地にされる。
そんな風に思っていたが、こうして東京の光の中にいるとそれも悪くないものだと思うようになっていた。
そもそも鉄二には他の国民と違い、愛国心は薄い。
それでも彼が戦いを望んだのは、ただの破壊願望。敵を完膚なきまでに叩きのめし、蹂躙し、すべてを奪ってやりたかった。
幼い鉄二が見た、父親の元の無力さ。
優しい美郷が無残に村の者たちに殺される残酷さ。
それが鉄二の心を歪ませていたのだ。
力を持つ者が正義である。太平洋戦争で思い知らされた。
鉄二は国ぐるみで弱者に、歯医者になってしまったという劣等感に苛まれていたのだ。
その劣等感を発散させるのに、東京という町を選んだ。
ここでなら、自分の力を誇示できる。鈍振村でそうであったように。
だが、高度成長期を目前の日本。復活しようとする国民の大きな力はうねりとなって鉄二を襲い、そしてあっけなく飲み込んでしまった。
井の中の蛙大海を知らず。
まさに鉄二にはその言葉がぴったりとハマった。
戦争にもでず、兵にもなれなかった。
結局のところ、鉄二は何者にもなれなかったのだ。
自らを愁傷し、無力を痛感した時、何も残ってはいなかった。
町にはびこる悪いモノに鉄二は侵されていった。
薬物、賭博、強盗、窃盗――。
底なし沼にハマってしまったように、ずぶずぶと鉄二は闇の世界に沈んでいった。
この頃、鉄二は頻繁に夢を見た。
酒と薬で朦朧としながら、ゆきずりの女と情事に至り、薄く固い布団で眠る。
眠りの中で決まって見る夢は、鉄二を眠りから遠ざけるものだった。
幼い鉄二がふと見渡すとそこは鈍振村。
戦前の荒廃してしまう前の、まだ活気が残っていた頃の村だ。
昼間の平和な村の小路を歩き、自分がどこに向かっているのかもわからずただただ前に進んだ。
しばらく歩いたところで違和感を覚え、振り返ると自分が通ってきた後は何故だか真っ暗な夜だった。
不思議に思い、正面を向き直すとやはり陽の上がった明るい昼間。
だが背後は真っ暗な真夜中である。
どちらが正しい世界なのか分からず、それでも鉄二は歩みを進める。
「てっちゃん、てっちゃん」
誰かが自分を呼んでいる。
その声を捜して鉄二はきょろきょろと周りを見回すがその姿はない。
仕方がないのでさらに鉄二は歩いていく。
そうしているうちに自分がどこに向かって歩いているかに気付く。
鈍振神社である。
目的地が分かったところで、その目的も急に輪郭をはっきりさせた。
鉄二は、大事なことを取り戻すために神社へ向かっていたのだ。
福の神さんに、許しを乞うため――。
「鉄二、鉄二よ」
また名前を呼びかけられる。
今度はさきほどとは違う声だった。
だが鉄二は首を傾げる。
どちらも知っている声だったからだ。それも、自分にとっては懐かしく、親しみのある。
鉄二は再度後ろを振り返った。
やはり背後は暗い夜――。
前に進むよりも、無条件で体が拒否するような闇。それは恐怖と言い換えてよかった。
恐怖が待つ不安。それがそのまま夜の闇に姿を変えているような。
化け物のような、暗さだった。
子供心にそれが恐ろしいものだと鉄二は自覚していた。
後ろを振り返っても、踵を返して夜の道を進んではいけない。
そう思った。
正面に向き直り、神社に進もうとした鉄二の背後から今度は近い距離感で声がした。
「てっちゃん、てっちゃん」
「鉄二、鉄二よ」
今度は二人が同時に名を呼ぶ。
強烈な懐かしみ。そして温かみを感じる。
無意識に鉄二の目から涙が溢れた。
なぜだろう。なぜ、こんなにも涙がでるのか。
鉄二自身も不思議だった。涙の理由が自分でも分からなかったからだ。
「てっちゃん、こっち。こっちよ、振り向いて」
「鉄二、鉄二よ。こっちを見なさい」
その呼びかけに応じ、鉄二がもう一度振り返る。
そこにいたのは、美郷と元だった。
暗い小路に立ち、手をこまねいている。
「てっちゃん、てっちゃん。なんで、【夜葬】をやめちゃったの」
「鉄二、鉄二よ。なんでお前は【夜葬】をやめた」
二人はただ小路に佇みながら、こっちへ近寄る素振りは見せない。
ただ鉄二に【夜葬】をやめさせたことを責めているような口ぶりだった。
「てっちゃん、てっちゃん。福の神さん、怒っちゃうよ」
「鉄二、鉄二よ。福の神さんが村から出て行ってしまうぞ」
ぶしゅっ、と音を立て美郷の目から血が噴き出し、直後、同じ音を立てて今度は元が口から血を吐いた。
「福の神さんに、魂をお返ししにゃああああああ」
「どんぶりどんぶりどんぶり赩飯めしあかあかめしめししし」
鉄二の見ている前で、二人の身体は腐り、溶け落ちてゆく。
鉄二は声も出せず、目を背けることすらできないまま小便を漏らした。
「うぎゃあっっ!」
その夢を見た時は必ず、鉄二は寝小便をした。
いい年をした大人の寝小便に、一緒に寝ていた娼婦は大声で悲鳴を上げ、放心している鉄二に罵倒を浴びせかけて部屋を出ていく。
立ち昇ってくる小便の湯気と臭いが、炊き立ての飯を連想させ鉄二を便所へ駆け込ませた。
「ぅぅおええっ!」
東京に住んで、五年目のことだった。
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