【夜葬】 病の章 -19-
ずっく、と湿り気のある土にスコップの先が刺さる。
へりに足を乗せ、体重を込めて押し込むとその分盛り上がった土をすくった。
虫のなく声すらしない静かな山中の林。
スコップで穴を掘る副嗣の姿があった。
額を汗で濡らし、歯を食いしばりながら自分の腰ほどまでの深さの穴を掘っていた。
「くそ、なんでこんなことに! それもこれも全部、村の老害どものせいだ。姉さんが死んだのは、あいつらのせいだ。村に黒川が来たからだ! 俺のたった一人の姉さんだったのに、畜生!」
闇の中で叫ぶ声は山の静寂に飲まれ、副嗣がいかにここでは小さな存在かを際立たせている。
副嗣が掘った穴の傍らでは脳天に鍬が突き刺さったままの美郷が横たわっていた。
安らかな死に様ならば良かったが、見開いたままでこと切れている美郷の姿は哀れ以外の何ものでもない。
副嗣が一人で喚いているように、「たった一人の姉さんだったのに」という言葉が本当であれば、彼女はこんなにも無残な死に方はしなかっただろう。
スコップが土を掘る度に漏れる副嗣の声からは、美郷を殺したことによる後悔は感じ取れなかった。
鍬が刺さったままの美郷は、鍬の重さで首が横を向き、副嗣が穴を掘っているのを見つめていた。
「よぅし、このくらい掘ればいいだろう」
そう言って副嗣は美郷を見た。
穴は、彼の胸辺りの深さまで達していて、丁度目線が美郷と合う。
すでに魂を失くしてしまった美郷の骸が、何かを発する訳もない。
だがその瞳は、どこか悲し気でなにかを訴えているようにも見える。
「姉さん、ごめん」
そう言って副嗣は美郷の頭を踏み、鍬を引き抜いた。
美郷の脳天に空いた3つの穴からは、じんわりと赤黒い血が垂れている。
副嗣が鍬が刺さったまま抜かずに美郷の骸を運んだのは、現場に血の跡が残らないようにという用心からだった。
突発的に姉に手をかけてしまったとはいえ、行為後の副嗣は冷静だった。
「奴らがそれくらいで山を下りるとは思えないが、流石に血の跡を見つければ黒川は勘付くかもしれない。これからの俺の人生は、誰にも邪魔させられないからな」
自分でも意外に思うほど副嗣は元に対する憎しみはなかった。
姉と蜜月の関係にあったのは許せないが、元には色々と教えてもらったことも事実。
自分が村を出る決意をしたのだって、元の存在が大きい。
ならばなおさら美郷が浮かばれないが、すでに副嗣の中に姉の姿はなかった。
ただ一刻も早く、《これ》を埋めて山を下りる。
それだけだったのだ。
美郷から引き抜いた鍬を穴に投げ入れた時、ふと月の明かりが木々の間から差し込んだ。
この夜は雲が多く、外は闇そのものだった。
副嗣が穴掘りに夢中になっている間に、雲はまばらに散ったらしくここでようやく淡い光が差したのだ。
ここから月の姿までは確認できないが、副嗣はそれが体感的に分かった。
山暮らしが長いからこその感覚だった。
「町で見るお月さんはどんな形なんだろうな」
湿った額を土で汚れた腕で拭うと、副嗣は希望に胸を膨らませた。
まだ見ぬ町の景色を想像するだけで、居ても立っても居られない。
早く済まして下りよう。
副嗣は改めて決意を固め振り返った。
「……あれ?」
自分の足元に転がっていたはずの姉が忽然と姿を消していた。
「そんなはずないよな」
自らの目を疑った。
きっと月の光で少し目が眩んだに違いない。
闇の中、目を凝らせばちゃんと浮き上がってくるはず。
そう思った副嗣は目を固くつむり、目を闇に馴らそうとした。
『お変わり、ありますか』
反射的に目を見開く。
それは副嗣の背後から聞こえた。
「誰だ!」
即座に振り返るが人の姿はない。
今、彼が聞いた声が姉の物であるはずはなかった。
なぜなら美郷は死んでいる。
いや、仮に死んでいなかったとしても、今の声は姉の声ではない。
だから副嗣は「誰だ」と発したのだ。
「誰だ! 誰かいるのか!」
懐疑心を含めた大声で闇に問いかける。
だが闇はそれに答えはしない。
「副嗣」
副嗣の問いかけに誰も答えはしなかったが、代わりに彼の名を呼ぶ声があった。
その声に彼は身を震わせた。
――そんなはずない。
副嗣は息を呑んだ。心臓の音が胸を破るほど激しく打つ。
――姉さんは、確かに死んで……。
「なんで姉さんの顔をほじくってくれないの? 赩飯は? ねぇ、【夜葬】をしてくれないの?」
『鈍振村で死んだ者はすぐに魂と舟を切り離して、地蔵様に返さねばならない』
幼い頃に聞き飽きるほど老人たち、大人たちに言い聞かされて来た掟。
「副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣」
「あぁあぎゃああ!」
「副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣副嗣」
三本の血の筋を作り、顔を真っ赤にした美郷が手に持っているのはスコップだ。
そしてそのスコップは今、副嗣の眉間……両目を潰しながらめり込んだ。
その断末魔もまた、山の静寂にとってちっぽけすぎるものだった。
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