【夜葬】 病の章 -37-
薄い唇から感じる感触は、温かく柔らかい。
あの頃のようになんでもはじき返してしまうような弾力は無くなっていたが、その代わりに吸い付き離さない吸引力があった。
やがて鉄二の舌が口の中の歯をこじ開け、つがいの蛇が体を重ねるようにゆゆの舌を絡めた。
懐かしい唇の感触。
接吻の時に感じる頬の温度。
それらを味わってはじめて鉄二はこの村に帰ってきたのだと自覚した。
福祭りの最中で村の男たちはゆゆと鉄二をふたりきりにしてやろうと気を遣い、ふたりは鈍振神社までやってきた。
学校で行われている福祭りのお囃子とにぎやかな光を見下ろしながら、鉄二とゆゆは互いを求めあった。
「こんなに積極的な女だったか、お前」
息継ぎを思わせる接吻の間に、鉄二は笑みを浮かべてゆゆに訊ねた。
ゆゆは鉄二を受け入れつつも、どこか見透かしたような瞳で見つめている。
「さあ。てっちゃんこそ、女の人の扱いが上手くなったんじゃないの」
「はは、どういうことだ。それは」
「慣れているっていうか、前のてっちゃんはもっとガツガツしてたから」
鉄二は笑いながら、何年前の話をしているんだと言ってさらに唇を重ねようと顔を近づけた。
しかしゆゆは絶妙な間をとり、鉄二の唇をすれすれで躱すと思わせぶりに溜め息を吐く。
「六年。六年だよ。てっちゃんがこの村をでていってから。私にはどこにも行かないって言ったくせに」
浴衣からすらりと伸びるうなじをこちらに向け、ゆゆは寂しげな口調で責めるように言った。
鉄二は「悪かったよ。あの時の俺はバカだった」と素直に謝ると、ゆゆの腰に手を回す。
「……なにしに戻ってきたの」
「そりゃあ、お前に会うためさ」
歯の浮くようなセリフだが、鉄二は躊躇なく言えた。
六年間の都会生活と、どん底の暮らしがすっかり鉄二に軽口を心得させていたのだ。
「やっぱり変わった。けど、あの時みたいな怖さがないから、ちょっと安心したかな」
「怖さ? 俺の何が怖い」
鉄二は自らがゆゆにした行為のことなどほとんど覚えてはいない。
ただゆゆが自分に対し行為があり、それを利用して好きな時に好きなだけ抱けた女だったという印象だけがあった。
そもそもは鈍振村を憎み、嫌っていた鉄二だ。
幼馴染とはいえ、そんな村の住人で、しかも生涯をここで過ごすとまで話すゆゆに対し、特別な感情などなかったのだ。
今もその辺の感情は変わらない。
変わらないが、しばらく振りに会うゆゆは、鉄二好みの大人の女に成長していた。
それが鉄二にとっては嬉しい予想外だった。
「それにしても村の連中、俺をお前をけしかけやがって。どういうつもりなんだ」
村の者たちの気持ちは知っていた。
知っていたうえでわざと鉄二はゆゆに言った。
「みんな、私がてっちゃんを想ってたって知ってるから」
「そうなのか」
「そうよ。それにあんなことがあったから」
「……あんなこと? なにかあったのか」
鉄二の言葉にゆゆは無言でうなずき、伏し目がちに見つめた。
含みを持たせるゆゆの物言いに、鉄二は核心を見抜けないでいた。
「私ね、こう見えても未亡人なんだ」
「未亡人? ――それって、お前」
ゆゆはゆっくりと一度うなずき、やや顔を上げて今度は正面から鉄二を見つめる。
「私、六年前に嫁いでね。ほら、舟越伊三って覚えてる?」
「舟越……伊三か!」
「そう。私、伊三さんと一緒になったの。でもね、伊三さんはすぐに死んじゃった」
「死んだ……?」
ゆゆの話が見えない。
鉄二はゆゆが一体なにを自分に言いたいのかが全く分からなかった。
確かに舟越伊三は、道夫と同じく鈍振村で幼少期によく遊んだ仲間のひとりだ。
六年間も留守にしていた鉄二からすれば、ゆゆと伊三が結婚していたことに驚きはしたものの、それ自体は不思議なことではない。
鉄二が疑問に思ったのは、伊三と死別したゆゆが何故自分と村人公認で逢瀬を楽しんでいるのかという点だった。
ゆゆが自分に好意を持っていて、村人たちもそれを知っている。
しかもゆゆは夫に先立たれていて、独り身だ。
普通に考えれば、別におかしなことはない。
ただし、それは『普通の場において』での話である。
ここは鈍振村。
美郷がそうであったように、夫に先立たれた妻は夫の血族に縛られる。
女性の次の婚姻に対し、特に厳しかったはずだった。
当時の鉄二ならばともかく、大人になった今の鉄二がそれの意味を知らないわけがない。
だからこそ、こんなにおおっぴらに自分とふたりきりで会っているゆゆと村に対して不審に思ったのだ。
「それでね、子供もいるのよ。男の子」
「子供? お前、子供がいるのか」
「うん。今年で六歳になるんだけどね……」
「六歳か。じゃあ妊娠してすぐに伊三は死んじまったんだな」
「そう。伊三さんはね、すぐに死んだの。この子が生まれるまえに」
ゆゆは鉄二を見つめたまま、一瞬たりとも目を離さなかった。
鉄二はそんなゆゆの視線を感じつつ、ゆゆが言った言葉に違和感を覚える。
ゆゆは、伊三が死んだことをなにも思っていないような、無感動な口調だったからだ。
まるで伊三の死が予定調和だと言わんばかりに。
「太平洋戦争でね、村が大変だったじゃない? それでみんなが頑張ってこんなに新しく生まれ変わって。それに、てっちゃんが【夜葬】をやめてくれたおかげで、村のみんなは古いしきたりに囚われないで生きようってことになってきたの。これもてっちゃんのおかげね。だから、みんな伊三さんが死んでもてっちゃんと私のことにすごく寛大で。むしろ、てっちゃんとの再婚を後押ししてくれて……」
「ちょっと待ってくれ。再婚って、俺はそんな――!」
「……ここでてっちゃんがね、私と一緒になってくれないなら。伊三さんが死んだ意味がないじゃない」
暗闇の中。急にゆゆの顔が見えなくなった。
それは鉄二の心がゆゆの顔を見まいと都合よく隠しただけで、実際のゆゆの顔がなくなったわけではない。
だが、暗闇の中のゆゆの顔は恐ろしい顔をしていた。
笑みを浮かべてはいるが、どこか機械的で人間味がないような。
なにかの情念に囚われたような、女性にしかできない特有の恐ろしい顔だった。
「伊三の死んだ……意味……」
「私ね。伊三さんとは一度も寝てないのよ。えらい?」
「え、だってお前、子供がいるって」
ゆゆは「ええ」とひとつ返事をし、ひと拍置いてまた口を開いた。
「『六歳』の、ね」
-38-につづく(2017/8/15更新予定)
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