【夜葬】 病の章 -17-
その夜、美郷はひとりいつもよりも多めの米を釜で炊いていた。
鉄二やゆゆ、などの子供たちに握り飯を握ってやろうと考えたからだ。
夫の充郎を失って3年。
独り身の寂しさは辛いが、子供たちの笑顔や平和な日々でなんとかごまかしてきた。
それに最近は、少し光が見えるようないい話もある。
そう思うとそろそろ自分自身を許してやってもいいのではないかとも思えてきた。
しかし、もしも自分自身を受け入れる……となるとこの村では些か問題がある。
その問題を思うと、今の美郷にはまだ一歩を踏み出す勇気はなかった。
「今になって、小夏や喜一たちの気持ちが分かるなんて」
美郷の脳裏に浮かんだのは、小夏を始めとした村を出て行った若者たちのこと。
鈍振村に伝わるしきたりはそう多くはない。
それに他の集落と比べて強く縛るような掟もあってないようなものだ。
だが、それよりも美郷が……いや、これまで村を出て行った若者たちが危惧していたのは村の年寄りたち。
特に女性に対しての差別的な態度や言動は目に余るものがあった。
この頃の日本自体が、全般的にそういった風潮を持ってはいたが、閉鎖された村ではより顕著だといえる。
その証拠に充郎との結婚だって、美郷の意思を無視する強引なものだった。
救いだったのは、充郎が美郷を思いやる優しい男だったということくらいだ。
パキン、と囲炉裏で炭が割れる音。
一人で住まうには些か広すぎるこの家でたった一人でいる孤独に頭が割れそうになる。
昼間の明るい気分とは対照的に、この村の夜は暗すぎる。
美郷は街に出たことがないから、人工的な灯りを知らない。
だからこの村に毎日訪れる闇には子供の頃から慣れているはずだった。
――怖い。
それが今の素直な気持ちだ。
子供の頃、母親とこんな話をした。
『夜、外に出歩くと【どんぶりさん】につかまるよ。【どんぶりさん】は夜になると歩き回って自分の顔を探すの。魂を抜かれた体は骸鬼になって夜な夜な歩き回って一人でいる人を探しているんだよ。
もしも捕まっちゃうとね、【どんぶりさん】が持ってるノミで顔をカチ割られてもってかれちゃうんだよ』
『じゃあ【どんぶりさん】は新しい顔で生き返るの?』
『一度失った魂はね、もう二度と戻ることはないんだよ。だから顔をくりぬいてもその顔は地蔵様に返すだけで、【どんぶりさん】はそのことに絶望してその場でもう一度死んじゃうのさ』
『じゃあ、一人がくり抜かれたらもう【どんぶりさん】は歩き回らないんじゃないの?』
『いいや。【どんぶりさん】に捕まって顔をくり抜かれちまった人が新しい【どんぶりさん】になって顔を探すんだ。ずっとこの繰り返し繰り返し。福の神さんが許す二九人になるまでね』
『怖い……』
『そうだろ? だから夜は一人で外に出ていけない。【どんぶりさん】はね、お顔がないから人間の息遣いで探すんだ。一度見つかってしまえば、家にいようが昼間であろうが関係なしにこちらを探して、捕まっちまうともう終わり。
だけどね、美郷にだけはとっておきのことを教えてあげる』
『とっておき?』
『ああ、【どんぶりさん】から逃げる一つだけの方法だよ』
『そんなのあるの? 教えて教えて!』
『いいかい? 【どんぶりさん】に見つかると必ずどこかで『そこにいるのか。いまからいく』って言ってくる。その時にこう言うんだ。『こっちにくるな』って』
『え、それだけ?』
『そう。それだけ。でも、これできっと助かる。でもね、『こっちにくるな』で【どんぶりさん】が行き先を変えた相手は、必ず捕まる。もしも見つかった覚えのない【どんぶりさん】が『いまからいく』ともいわず現れたらもう終わり。顔をくり抜かれちまうよ』
……鈍振村では各家庭で必ず子供はこの話をされる。
そして大人になってからもこれは信じられているため、鈍振村では誰も夜に一人で外へ出なかった。
家にいれば安心。
だが誰かが擦り付けた【どんぶりさん】が訪ねてくれば一巻の終わり。
理不尽だが、村人はみんなそれを信じていた。
【夜葬】は、魂を抜かれた【どんぶりさん】が動きださないよう、誰かが夜通し見張る。
【どんぶりさん】は起き上がる瞬間を誰にも見せないと信じられており、今日までそれを守り続けているのだ。
真夜中、たった一人の家。
囲炉裏の温もりと蝋燭の明かり。
ぼうっ、と釜から漏れる薪の橙が美郷の心を落ち着かせた。
「元さん……」
美郷がひとりごちたのは意外な人物の名前だった。
その名は、黒川元のことを指している。
『ドン、ドン、ドン』
突然、玄関の戸を叩く音に美郷は飛び上がった。
極端に夜、出歩かないこの村でこんな時刻に尋ねてくる人間などほとんどいない。
それだけに美郷は玄関の戸から充分に離れ、囲炉裏のふすまの影から様子を窺った。
「姉さん、俺だ。副嗣だよ、開けてくれ!」
「そ、副嗣? 本当にあなたなの」
「そうだよ。話があるんだ、開けてくれ」
美郷が嫁いでから副嗣とは離れて暮らしていた。
早くに親を失っていた美郷にしてみれば、たった一人の肉親である。
だからこそ気をかけていたし、毎日のように会っている。
そんな副嗣は最近、妙によそよそしい態度になっていた。
それについて心を痛めていただけに、この訪問は嬉しかった。
――でもなんでこんな時間に……?
素直に戸を開けられない心境があった。
「姉さん! 分かってる、夜に一人で俺が来るはずないって思ってるんだろ? 大丈夫、【どんぶりさん】なんて村のただの迷信さ。現に俺は一人で来れた。あんなものはただの悪い噂だ。年寄りどもが俺たちを村から出したくないから作ったでっちあげなんだよ!」
「……本当にあなたなの? 副嗣」
「あたりまえだよ。姉さん、家に入れてくれ」
意を決して恐る恐る戸の隙間から覗けば、暗くてよく見えないが副嗣だろうことは間違いなかった。
それに安心し、戸を開けてやると飛び込むように副嗣が入ってきた。
「ど、どうしたの副嗣! そんなに血相変えて……それにこんな夜中に、危ないじゃない」
「ああ、ごめんよ姉さん。それよりも、今すぐ俺とこの村を出よう!」
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