【夜葬】 病の章 -15-
しかし習慣と生活の中で、いつしかおぞましく常軌を逸している遺習に元は馴染んでいた。
その証拠に生前幾度か顔を合わせた釟郎の顔がくり抜かれている時でも、元は涼しい顔で煙草の煙を肺に送り込んでいる。
――人間なんて死にゃあ物と同じ。
村に移り住んで一年も経たない短時間で、この境地に辿り着けたのは元来からの人嫌いのきらいが一役買っているようだった。
よくよく考えてみれば、小夏が死んだ時もそうだった。
顔をくり抜いたりはしなかったものの、布団に面した背やうなじ、尻は紫色に変色していて体は冷たい。
もう一度手でも握ってやるかと手を掴むが硬直して肘を曲げるのにも一苦労だった。
――これじゃまるで木偶だ。
無意識にそう思った時、文字通り目の前のそれは小夏ではなく木偶になった。
魂の籠っていないものなどこんなものだ。
泣き疲れて眠る鉄二を横目に、元はそう思った。
この頃まだ火葬は一般的ではなく、遺体は埋葬されていた。
小夏の時も例外でなく、埋葬で弔われたが葬儀は家族3人だけで行った。
初めて【夜葬】の儀式と、【どんぶりさん】について知った時は、なんと狂った風習なのかと元は呪いにも近い嫌悪感を抱いたが、不思議と今はそうは思っていない。
むしろ、手段はどうであれ死んだ者に対する敬意という意味では、一般的な葬送儀式と比べても手厚いのではないかとさえ思ったのだった。
【お顔】を抜かれた体は【どんぶりさん】として、お供えものの赩飯を詰め船として扱う。
【個人の魂】としての【お顔】は大事に鈍振神社に祀られている顔抜き地蔵に奉納され、四九日が終わるまで神として扱われるのだ。
もしかすると、小夏もこんな風に送ってやったほうが良かったのかもしれない。元は釟郎の顔を三方(神饌を載せるための木の台)に乗せ、丁寧に持ち運ばれる様を後ろから見つめながら思った。
「この村じゃ慣例でね。こうするのが死んだ者にとって一番福の神さんの近くに行けるのだと信じられている。だからみんな、神聖な気持ちで【夜葬】に取り組んでいるんだ」
夜。弔い酒を煽りながら船坂がそれについて元に語った。
「野犬や野鹿の亡骸はすぐ腐っちまうけどよぉ、何故だか不思議と【お顔さん】は四九日を過ぎても腐らないんだよなぁ。けれど四九日に地蔵さんから【お顔さん】を外すと途端に蝕んできやがる。やっぱりこの村には福の神さんがいるんだなあ」
吉蔵が顔を熟れた桃のように赤くしながらご機嫌でがなる。
お猪口の酒をすすりながら、元は次第に【夜葬】についてなにも思わなくなった。
いや、むしろ村人たちと同じく、神聖なものとしてとらえるようになっていた。
しかし、【赩飯】だけはどうにも受け入れられなかった。
鉄二の方もすっかりと村に溶け込み、ゆゆらとも仲良くなった。
街から来たとあって、彼らの知らないことを沢山知っていたということも鉄二の人気に一役買っていて、村の子供たちはたちまち鉄二を持て囃す。
幼い鉄二でも、街の子供との違いを肌で感じていた。
この村の子供たちは、意地の悪いことはしない。
他人の悪口を言ったり、誰か一人を陥れたり、今でいう『いじめ』のような真似は一切しない純粋な性格の子供ばかりだった。
元のように鉄二は、この村に対して気持ち悪さ(主に【夜葬】についてだが)を感じていなかったことも大きい。
街にあって村にないものが多すぎて、混乱することも多々あったがそれを補って余りある環境だった。
閉鎖された村の学校ではせいぜい読み書きや計算の勉強ばかりで、ほとんどの時間は外で駆けまわっていた。
この村で生きていくのならば、街で仕事に就くための知識や勉強など必要はない。
船頭の話では近年、若い者たちが街へと出てしまうことが多いらしいが、黒川親子は早い段階からこの村に骨を埋める気持ちがあった。
小さいながらも平和な村。
【夜葬】の風習にさえ慣れてしまえば気立てのいい人間ばかりだ。
不満を言えば、夜が暗い。
電気が通っておらず、夜は蝋燭の微かな光に頼らなければならなかった。
当然だが野生動物による獣害にも見舞われる。
冬は寒く、雪が膝上まで積もることもままあった。
街にいる時でも雪は積もったが、ここまでではない。
あと、贅沢は言えないが海の物を食べられない。
刺身が大の好物だった元にはたかがこれしきということでも忍耐を強いられた。
しかし、一長一短なのは街であろうがどこであろうが同じ。
その頃日本では、支那事変(日中戦争)の真っ只中だったが山奥の鈍振村にまではその話は届かなかった。
世俗とは隔離され、別の時間が流れている田舎の山奥。
事件は、一九四〇年の夏に起こった。
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