【ブログ小説】ひとり10万円 1
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新橋の改札を抜けたのが21時。
この日はまだマシな方だった。
定時が17時だから、今日は3時間と少しでなんとかキリが付いたことになる。
さすがに泊まりなことは少なくなったが、ひと昔前を思い出すだけでこの時間に電車を降りているのが極楽のような気さえする。
新入社員の数も毎年、減り続け、ここ最近は3人も入れば多い方だ。
一昨年なんてひとりしか入社しなかった。
小さな印刷会社に勤め15年、自分が入社した時からすでに『斜陽産業』だと言われていた。
上司連中からはずっと「昔はよかった」と、全国に支店を構えていたころの隆盛ぶりを御伽噺のように何度も聞かせられたものだ。
あれからさらに業界の不振は歯止めがきかず、縮小の一途を辿った。
ありがたい御伽噺を聞かせてくれた上司連中は、長年尽くした会社に老害認定をされほとんどがリストラにあった。
そうしてなんとか生き残った会社には、俺のような中堅社員と右も左も喋り方もわからない若年社員ばかりが犇めいた。
会社が彼らを老害だと認定した理由にも納得がいく。
連中が残した仕事やマニュアルはすでに化石の如く古く、昨日しておらず、如何に奴らが精神論の押しつけで俺たち部下に仕事を押し付けてきたのかがわかる。
定時とはいわずとも、連中が在籍していたころはもっと早くに退社していたのが思い返されては、今の自分の置かれている現状に苛立ちが止まらない。
「終電あるうちに帰れるだけで御の字だ」
数少ないリストラ組から生き残ったベテラン社員はいつのまにか俺の部下になっていた。能力が低いぶん、人畜無害だと評価されたのだろう。
会社に害を為すよりもいかほどもマシかもしれないが、この歳でその立場に甘んじている精神が問題ではなかろうか。
「あなたたち世代のその常識観が今の慢性的な残業体制を作ったんですよ」
「いやあ、参ったな」
彼は村上といった。
村上は俺の皮肉に対し、笑みだけを浮かべ無言だった。
言いたいことはあるが、言うだけ無駄と諦めているという顔だ。
部下とは言え、自分よりも10以上も年上。気に食わなくともそれ以上追及するのをやめた。
「ところで、課長……どうです?」
村上は手をCの字に象り、口元で傾けた。『飲みにいかないか』というサインだ。
いちいち古い。
「いや、今日は帰ります」
「ええっ、つれないですなぁ。私らの頃は早く終わった時は必ず……」
お馴染みの謳い文句を手で制し、有無を言わさずに一瞥をくれた。
なぜ、早く終わった日にこんな奴と酒を飲まなければならないのか。
「待ってる人もいないんでしょ? 課長~」
「ひとこと余計です。そもそも待ち人なんて関係ない」
村上の未練がましいひとことに反応してしまった。
普通、未婚の問題はデリケートなことだと敬遠するだろうに。
仕事はできなくとも、無神経なところはこいつら世代はみんな同じだ。
それに村上はバツイチ。独身という意味では同じだ。
「同士じゃないですか~」
眉間に皺が寄る。誰が同士だ。
お前は結婚に失敗した。俺は結婚をしていない。根本的に違う。
「しつこいですよ。大体早く終わったからって、明日も仕事なことには変わり……」
振り返ると村上の頭になにかがぶつかったのが見えた。
あごがずるん、とすべり頭が妙な方向に傾いたかと思うとその場に倒れる。
「お、おい……」
村上の頭から少し離れたところに20センチくらいのスパナが転がっていた。
咄嗟に頭上を見上げると、ヘルメットをかぶった作業員がビルの窓の外に身を乗り出してなにか作業を行っている。
おそらく、あの作業員が落としたのだろう。だが本人は気づいていないようだった。
「村上さん!」
慌てて駆け寄ると、うつ伏せに倒れた村上の頭からじわりと赤い水たまりが広がってきた。
死んだかと一瞬思ったが、瞼が痙攣しているのを見て生きているとわかった。
「救急車……!」
スマホを取りだし、119をコールする。
すぐに出るはずなのに、なぜか2回、3回とコールで待たされる。
そうしている間にも村上の赤い水たまりは、彼の生命を放出するかのように広がるのをやめない。
「はい」
ようやく電話にでたのは5回目のコールの時だった。
「あの、ビルの上からスパナが落下して部下の頭に直撃しました!」
「はい」
「え……? はい、じゃなくてその救急車を」
「10万円になります」
「は……なにが? 呼ぶのが10万円? そんな話聞いた事ないですよ! ふざけてるんですか!」
「ひとり、救うのに10万円必要です」
「ちょっとあんたふざけてんのか! 人がひとり死にかけてるってんだ!」
「ですから、10万円支払えばその方は救えます」
「うるさいな! わかったからさっさと救急車をよこせ!」
「支払うという意思でよろしいですね」
「早く! 死んじまうだろ!」
突然、受話器からツーツーという通話を切られた電子音が鳴り響いた。
瞬間、訳がわからず立ち尽くし、理解が追いつくと怒りに我を忘れた。
「なんなんだ! こんなことが許されないぞ!」
激高しつつも最ダイヤルするためスマホの画面をタップした時、目の前に人の気配がした。
そして、見上げた俺は思わず絶句する。
「あれ、課長……私はなぜ寝転んでいたんですかね」
「え……」
それは村上だった。
頭から夥しい量の血を流し、瞼を痙攣させていたはずの。
「どうして……なんで」
「なんで、って私が聞いてるんですが……わあっ、なんだこりゃあ!」
何気なく触れた後頭部に違和感を覚えた村上は、触れた自分の手を見て驚嘆した。
真っ赤な血でべっとり汚れていたからである。
「え? ええっ? 痛くないよなあ? どこだ? どこ怪我したんだ……」
混乱し濡れた頭をべたべたと触りながら喚く村上を、ただ呆然と見ていた。
――もしかして、あの電話のおかげなのか……?
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