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【夜葬】 病の章 -87- 最終話



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栃木に帰った健一は、翌日も会社を休んだ。

 

 

家でなにをするでもなく、一日中寝転んでは本を読んだり、テレビを観たりした。

 

 

元が言ったことが気にならないわけではない。

 

 

だがそれよりも慣れない土地で慣れない人間から慣れない方面の話をたっぷりと聞いたからか、単純に何もする気が起きなかったのである。

 

 

一日くらいは怠惰を貪ろうと決めた健一の怠けぶりは徹底していた。

 

 

昼過ぎに起き、顔も洗わず歯もみがかず寝タバコで布団からでずに過ごした。

 

 

だらだらとしているだけの一日にもかかわらず、思いのほか時間は早く過ぎてゆく。

 

 

気付けばベランダの窓から望む空は藍色に染まり始めていた。

 

 

「……夜葬……どんぶりさん……」

 

 

元のあの口ぶり。最初から健一のことをテレビマンだと知って会ったのだ。

 

 

夜が深まるにつれ、次第に蘇る昨日の取材。

 

 

元が言った通り、テープレコーダーは直った。

 

 

なにをするでもなく、栃木の家に帰ってきた途端、何事もなかったかのように正常に機能したのだ。

 

 

――『あんた、全部聞いたね?』

 

 

元の言葉。気味の悪い言葉だった。

 

 

「そういえば、俺のところにも来る……みたいなこと言ってたよな」

 

 

そう口に出し、健一は笑った。

 

 

大阪でその話を聞いた直後は真に受けて怯えていたが、その晩はなにもなかったし、この系統の話ではよくある脅しの常套句でもある。

 

 

いちいち気にしてはいられない。

 

 

だが、一方で健一は番組の企画については答えを出しかねていた。

 

 

直感……といえば聴こえはいいが、厭な予感がしていたのだ。

 

 

父のあの態度。蔓延しない噂。失踪したクルー。

 

 

なにもかも腑に落ちなかったが、今ではなんとなくそれが触れてはいけないものだったのかもしれないと健一は思った。

 

 

映像には、放送できないものが山ほど貯蔵されてある。所謂「お蔵入り」というやつだ。

 

 

事故映像であったり、猥褻なものであったり、法的に危ないものであったり、放送に寛容であったこの時代であっても封印するほかなかったフィルムたちの中で、「本当にヤバイ」ものがある……というのは有名な話だった。

 

 

親の威光があれど、健一はまだ駆け出しのテレビマンである。

 

 

本当にヤバイ封印映像に触れたことなどなかった。だからこそ、健一はそれを都市伝説の一種であると高を括っていたのである。

 

 

健一が感じたのは、今回の案件はそういった「本当にヤバイ」種類のものなのではないか、ということ。

 

 

それを恐れていたわけではない。少なくとも元の話を聞くまでは。

 

 

だが今回の失踪事件の輪郭が見えてきたところで、不安になっていたのも事実だ。

 

 

健一はタバコに火を点け、ベランダの戸を開け放った。

 

 

季節外れの薄ら寒い風が部屋に忍び込む。

 

 

父と母は外出していた。なにやら泊まりでどうとか言っていたな……と、ベランダの手すりに肘を乗せながら思った。

 

 

ガタッ

 

 

「……え?」

 

 

突然、背後で物音がした。

 

 

タバコを咥えたまま振り返ると、暗い部屋の中で四角い箱が光を放っている。

 

 

「電気……いつ消したっけ」

 

 

近づくと光はたちまち消え、健一の影に紛れた。

 

 

月の光が反射していただけのようだ。

 

 

「なんでこんなものが」

 

 

手に取ってみて健一は驚いた。

 

 

さっきまで自分が寝転んでいた布団の脇に、テレビカメラ用のフィルムがケースごと落ちていたのだ。

 

 

健一は栃木ツツジテレビに入社してから一度たりとも、フィルムを持ち帰ったことなどない。

 

 

「父さん……か」

 

 

面食らった健一だったが冷静になって考えてみれば、父親の拓郎が持ち帰ったとするならばそのすべてではない。

 

 

健一に警告のつもりで部屋に置いておいたものが、何かの拍子で落ちてきた。

 

 

「……に、しても。なんだよ『今から行きますね』って」

 

 

健一が口に出して言ったのは、フィルムのラベルに書かれたタイトルだった。それは、タイトルというより誰かに向けたメモのようだ。

 

 

「別に不思議なことはないか」

 

 

健一はひとりごちて、納得した。

 

 

どちらにせよ、知らないフィルムが手元にあるのだから見ないわけにはいかない。

 

 

父の書斎には映像機材も揃っていた。通常、一般家庭では見ることすら叶わないフィルムだが、書斎の機材なら見れるはずだ。

 

 

この時ばかりはテレビマンの父親を持ったことに感謝する健一だった。

 

 

 

書斎に入ると、厭でも目に飛び込む大仰な聞き。ブラウン管の画面がふたつ、ぎょろりとにらみを利かした目のように健一を見つめた。

 

 

本棚には映像関連・放送関連の書籍が並んでいる。趣味の部屋ではなく、仕事部屋といったほうが正確なのかもしれない。

 

 

ボタンやノズルが至る所についた映像編集機器にフィルムをセットし、健一はそれを再生した。

 

 

「……ん?」

 

 

映し出された映像は夜の町だ。

 

 

鈍振村関連の映像かと思っていた健一は肩透かしを食らった。

 

 

「なんだよ。なんの映像だよ」

 

 

ため息と共に頬杖をつく。脇に置いてある灰皿を引き寄せると溜め息と一緒にタバコの煙を吐いた。

 

 

父が警告のために……というのは、杞憂かのかもしれない。

 

 

健一は期待せずにただ夜の町を映す画面を眺めた。

 

 

映像にはリポーターらしき人間はいない。ナレーションもなかった。

 

 

テロップもなければ、BGMもない。

 

 

まるでホームビデオのような映像だった。

 

 

「高いフィルムを無駄遣いすんなよ」

 

 

愚痴をこぼす。健一のぼやきも当然だ。素人が撮影したような映像に、高価なフィルムなど使うなどテレビマンとしてあるまじき行為だった。

 

 

しかし、それならばこの映像は誰が撮影したものなのだろうか。

 

 

健一の脳裏に父が浮かびすぐに消えた。もしも父親が撮影したとすればこんな無意味な撮影はしない。

 

 

ならば誰かが勝手にカメラを持ち去ったのだろうか。

 

 

「そんなわけないか……」

 

 

そうひとりごちながら早送りボタンを押し込む。

 

 

「あれ……なんで」

 

 

確かに早送りのボタンは押している。その証拠にそのスイッチだけがくぼんで戻らない。

 

 

なのにもかかわらず映像のスピードは変わらない。

 

 

健一は何度か繰り返すがやはりなにも変わらなかった。それは巻き戻し、停止も同じだ。

 

 

精密機器なので不具合は往々にしてあるものだ。だが、この症状は未体験だった。

 

 

「こんなこと、あるのか」

 

 

つぶやきながら、観念した健一は画面に目を戻した。

 

 

「…………ん?」

 

 

無心で画面を見つめていた健一は、違和感を覚えた。

 

 

画面は相変わらず夜の町を進んでいる。明かりも付けずに……。

 

 

テレビカメラは暗闇に弱い。人間の目と違い、必要以上に闇を映す。

 

 

肉眼で透けて見えるほどの暗闇でも、撮影したそれは漆黒の闇。明かりがないとなにも見えない――はずだった。

 

 

だが映し出されている画像は、まるで肉眼で見ているかのように鮮明だった。

 

 

透けた暗闇を正確に映し、町を行く。

 

 

健一は感心しているのではなかった。そんな映像の妙よりも、その景色に違和感を覚えたのだ。

 

 

厳密に言えば、『違和感』とは謝った喩えだ。正しくは『既視感』。どこかで見たことのある映像だった。

 

 

カメラは住宅街に入った。一戸建て住宅に挟まれた道を進み、時折モータープールや背の高いマンション、古いアパートなどがあった。音はない。

 

 

やがて映像は公園を横切った。その際、映り込んだ時計の針は8時5分を差していた。画面端にも『PM8:05』と表示がある。

 

 

「うそだろ……」

 

 

健一は固まった。

 

 

ふたつのことに気づいたからだ。

 

 

ひとつは、ずっと映し出されている画像……町の景色が駅の方面から健一の自宅に向かう道であること。

 

 

そして、もうひとつは画面端の表示である。時刻は現在の時刻と同じ。そして、日時は――。

 

 

『1970/9/10』

 

 

今日。

 

 

健一は大きな音を立ててのけぞった。

 

 

録画映像であるはずの映像は、自分の家に向かっていて、そして日付と時刻は今日……現在である。

 

 

つまり、この映像を撮っている者は『いま、ここに向かっている』ということなのだ。

 

 

「あ……ああ、ありえない! こんなこと、嘘だ!」

 

 

父の手の込んだいたずらに決まっている。健一は自分に言い聞かせた。

 

 

それ以外にあり得ないからだ。だがそうしている間にも映像はずんずんと健一の家に近づいてくる。

 

 

「もういい! やってられっか!」

 

 

停止ボタンを押す。反応しない。リジェクトを押す。反応しない。でたらめにあらゆるボタンやノズルを操作するも虚しいだけだった。

 

 

「なんでだ! なんで止まらない!」

 

 

汗が噴き出し、喉が張り付く。瞳孔は開き、鼓動が太鼓のように激しく打ち、なのに地団駄を踏むように重く、早い。

 

 

画像はついに健一の自宅前に着いた。健一はその先を見ずに書斎から飛び出す。

 

 

その時だった。

 

 

ピンポーン

 

 

「…………」

 

 

言葉がでない。本当に来たのか、と自分に問う。答えなど、ない。

 

 

――まさか。そんな、なにが来たというのだ。バカげている。話を聞いたらやってくる? 子供だましだ。そんな怪談、誰が信じるというんだ。

 

 

言い聞かしながら、健一は玄関へと近づいてゆく。

 

 

そして、三和土越しに訪ね人へ語りかけた。

 

 

「どちらさまですか」

 

 

返事はない。

 

 

「あの、どちらさまですか」

 

 

無言。

 

 

「誰だよ!」

 

 

沈黙の中、廊下に健一の怒号だけが吸い込まれた。

 

 

少し間を置き、健一は物音を立てないようドアに近づき、ドアスコープでドア先の様子を窺った。

 

 

「……いない」

 

 

そこには誰も、いなかった。

 

 

やはり、ただのいたずらか。もしそうなら、テレビマンの拓郎らしい、手の込んだいたずらだ。

 

 

だが反面、そこまで手間をかけるということは本気で『やめろ』ということなのかもしれない。

 

 

そう思うと健一は、やはりここで身を引くのが一番いいのかと考えを改めることも視野に入れ始める。

 

 

――こんなに精神を削るなら、諦めてもいいかもな。

 

 

若く勢いで押し切れる健一でも、さすがにこの数日間は堪えた。考えを改めるほどに。

 

 

ため息を吐きながら、念のため外を直接確かめようとドアを開けた。

 

 

目の前に、顔の真ん中に大きな穴が空いた男が立っていた。手にはなぜか色の剥げた鉄の園芸シャベルを持っている。

 

 

健一はその姿に覚えがあった。

 

 

「どんぶりさ――」

 

 

『おかわり、ありますか』

 

 

 

 

 

葛城の死体が、菊池拓郎の自宅そばで発見され大きなニュースとなった。

 

 

なにしろ15年前に失踪したはずの男の死体である。

 

 

そして、入れ替わるように菊池健一の行方がわからなくなった。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

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