【夜葬】 病の章 -6-
山田舎の屋敷とはいえ、立派な部屋だった。
蝋燭に火を入れ、残り少なくなったタバコに今日一日の苦労を思い浮かべる。
「ふぅ……やれやれ。なんとかここまで落ち着いたな。それにしても……」
煙を吐き、蝋燭の明かりでぼんやりと照らされた部屋を見回す。
暗い中では細かくは分からないが、村の規模に対して不自然なほど大きなこの屋敷に元は、少しの君の悪さを感じた。
もちろん、元の感じていた君の悪さを形成する大きな要因といえば、さきほど船頭に食わせられた赤い握り飯だ。
梅や花肉などではなく、本当に血を混ぜ込んだ白米。
血液特有のあの粘り気が、米の粘り気と合わさってより喉を通るのを拒む。
ここで飲み込まなければどんな目に遭うかわからない。
生き死にがかかったあの場では、自分にそう言い聞かしてなんとか飲み込むことができたが、もう一度あれを食べろとなれば自信がなかった。
思い出しただけで口の中に錆びた鉄と柔らかい米のアンバランスな触感と味覚が蘇ってくる。
それを無理やりごまかそうと、タバコの煙を口の中いっぱいに含んで吐き出す。
「っぷぅ、本当に気色悪い。こりゃ今夜の夢見が悪くなるわい。俺が米嫌いになったらこの村の奴ら恨んでやるからな」
「父ちゃん、どうした?」
こみ上げてくる不快さを飛ばすために、声に出して愚痴を漏らした元の声に鉄二が反応した。
無邪気な瞳が蝋燭の火と共に揺れ、不機嫌そうな父親に媚びるようにすり寄る。
「なんでもない。それよりもお前、よくあの赤い飯を美味そうに頬張れたもんだなぁ」
「おいしかった。すっげぇお腹減ってたし、白飯は久しぶりだったから」
「久しぶりっちゃ久しぶりなんだがな、味が……」
会話の中で消そうと思っていたはずのあの味がまた蘇り、慌てて元はもう一口タバコを吸った。
「とにかく、今夜はもう寝よう。明日の朝、母ちゃんの家に行ってみような」
鉄二は「うん」と言ったそばから横になると、そのまま寝息を立てて眠ってしまった。
その寝顔を見下ろし、元も蝋燭の火を消すと床についた。
「おかわりありますか」
その声で目を覚ましたのは鉄二だった。
声がきっかけで起きたのは間違いないが、目を覚ました理由はもう一つ。尿意だ。
真っ暗な部屋だが、暗闇から暗闇、薄っすらとではあるが鉄二にはちゃんと見えていた。
小便をしようと立ち上がり、横たわっている元を踏んでしまわないように気をつけながらふすまを開ける。
眠い目をこすりながら、暗い廊下を右左と見回すが便所らしき場所がどこなのか分からない。
仕方なく勘を頼りに廊下を行くと、生暖かい風と一緒にすえたアンモニアの匂いが鼻をくすぐった。
自分の勘が正しかったことに、幼心を満足させながら匂いの方向へと行くと思った通りに便所はあった。
鉄二は用を足しながら、ふとさっき目を覚ましたきっかけになった声を思い出した。
「おかわり……なんとか」
眠りの岸の端で聞いた声。印象的だった『おかわり』という言葉までは憶えているものの、あの言葉の全容は思い出せない。
かといって彼にとってそれほど重要なことでもないので、小便の終わりと共に思い出すのもやめてしまった。
便所を出て、早くまた寝たいと少し急いで部屋に戻ろうとした鉄二は、突き当りまで来たところで自分の部屋がどこだか分からなくなった。
右から来たか、左から来たか。
どっちから来たかすっかり忘れてしまったのだ。
「うーん……どっちからだったかなぁ」
便所にたどり着く勘は冴えていたのに、部屋へ帰る勘はお世辞にも冴えているとは言えない。
なぜなら、悩んだ末に選んだ方向が鉄二の部屋とは逆方向だったからだ。
「えっと確か奥から二番目の部屋だったような」
幼い鉄二は、思ったことをなんでも口に出してしまう。
こんな深夜にも関わらず、子供の声がすればだれか起きてしまうかもしれなかったが、それを鉄二は分かっていない。
幸い、鉄二の悩みの声で起きた者はいなかった。
「誰? そこに誰かいるの?」
いなかったが、もともと起きていた者が反応したのだ。
とある部屋の中から、若い女性の声が鉄二の足を止めた。
「父ちゃんの部屋どこかわかんなくて」
「……父ちゃん? あなたは誰?」
「僕は黒川鉄二。死んだ母ちゃんの村に今日来たんだ」
「そう。じゃあ、あなたは外の人なのね。珍しいわ。そうだ、良かったらこっちに来ない? ちょうど退屈でどうにかなっちゃいそうだったの」
ふすまの向こうにいる女性は、村の外のことが気になるのか鉄二を中に呼び込んだ。
鉄二は勝手に入るとまた元に叱られると思い、中に入るのを躊躇していた。
「どうしたの? 来てくれないの」
「父ちゃんに知られたら叱られるから、僕部屋に戻らないと」
「そんなこと言わずに、ちょっとだけでいいから」
「でも……」
「そうだ。飴があるよ。飴をあげるから、口の中で溶けて無くなるまでお話ししてよ」
飴という言葉に鉄二の顔が明るくなった。
普段から菓子とは縁の遠い暮らしをしていた鉄二には、飴は魔法の言葉に近い。
あとで父親にどれだけ叱られようとも、飴を欲する欲に子供の鉄二が勝てるはずもなかった。
「じゃあ、ちょっとだけなら……」
「うん、ちょっとだけでいいからおいで」
ふすまを開けると、奥で誰かが布団に横たわっていた。
そして、その傍らに座っている女性がいる。
「いらっしゃい。よく来てくれたわ、ありがとう」
ふすま越しに話していたのはどうやらこの女性らしかった。
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