【連載】めろん。105
・破天荒 32歳 フリーライター㉚
その瞬間、振り下ろされた鎌が私に突き刺さったのだと思った。
生温かいなにかを浴びたとき、それが自分の血液だと思ったのは当然のことだ。
だがどれだけ経っても痛みや刺激はなく、一瞬だが呆然とした。頭が真っ白になり、状況を理解できなかったのだ。
ふと正気になったのはどれだけの時間が過ぎたころだろうか。おそらく、数秒のことだったと思うが、体感的にはそれよりも数倍長く感じられた。
「……え?」
反射的に防御の姿勢をとっていた私が見上げると、鎌を持っためろん男との間に人影があるのがわかった。
「うっうう……」
聞き覚えのある、だけど聞いたことのない調子の声で目が覚めた。
「弘原海さん!」
「あー……雨宮さん、逃げてください!」
「そんなっ! 弘原海さん……!」
弘原海の肩に鎌が深々と刺さっている。
私が浴びたのは自分の血ではなく弘原海の血だったのだ。
「はやく!」
絶句して固まっていた私の体がびくんと跳ねた。弘原海の喝で呪縛が解けたように体が動くようになった。
すかさず立ち上がり、弘原海に近づこうとすると「私のことはどうでもいい!」と大声で制止された。
「いいからはやくここから離れて! もうひとりいるんですよ!」
その瞬間、鎌男の背中越しににんまりした女の笑顔がこちらを覗き込んだ。女は高齢で頬がこけた顔つきだった。もうずいぶん食べていないのか、まるで骸骨のようで気味が悪いのに、その顔で微笑むから皺がくしゃくしゃになって人外の形相だった。
「がっあっ!」
弘原海が苦しみに呻く、驚いて目をやると脇腹に牛刀が突き刺さっていた。後ろの女が鎌男越しにやったのだ。
「弘原海さ……っ」
「ぐー……! 美津子、お前……」
「えっ」
「なにをしているんですか、はやく逃げなさい! 私に構っていても無駄ですよ。この通りですから持ちません! ……それに」
言おうとして、弘原海は咳とともに血を吐いた。
「がはっ、はっ、もう時間がないです。裏口から逃げられるでしょう。はやくそこから出てください。おそらく……この様子だと今店内にいるのはこのふたりだけでしょう。だから、逃げるなら……うぐぅ!」
さらに深く牛刀が刺さる。切っ先は背骨ちかくまで届いていそうだ。
素人目から見ても、もう助からないのがわかった。
「諦めちゃだめだよ弘原海さん!」
なのに私は真逆のことを叫んだ。それが励みになるはずもないとふたりともわかっていたはずなのに。弘原海も私も。
「いいんです雨宮さん……私はね、本当は綾田さんのことよりもこの人が気になってここへ来たんです。この人は美津子といって、私の妻なんですよ」
えっ! と驚愕する私と美津子というめろん女がその瞬間目が合った。弘原海の告白に呼応するようににたりと笑い、さらに牛刀を握る手に力を込めた。
血を吐き苦痛のうめき声をあげる弘原海をよそに、鎌男が肩に刺さった鎌を引き抜き、こちらを見た。
「めろ~ん」
標的がこちらに移ったことを直感した。
ヤバい。
そう思ったのと同時に鎌男の肩が動く。そして鎌を振り上げながらこちらに――
「逃げろと言っただろう! 言うことを聞きなさい!」
弘原海が素手で鎌の刃を握り、鎌男を止めた。握った手のひらからは赤い血がどくどくと流れ出て、痛々しさに顔が歪む。
「でも!」
「無駄死にさせるつもりですか!」
有無を言わせぬ迫力だった。これがあの温厚な弘原海だろうか。
だがこれ以上弘原海に構っていてはいけない。彼の意思を……命を無駄にしてはいけないと思った。
私がどうにかしようとしたところで、力になれない。いたずらに死人が増えるだけだ。弘原海はそれをわかっていて……
気づくと地を蹴り、弘原海とめろんたちの脇をすり抜けていた。全身に感覚はなく、目に映るすべてがゆっくりと見える。
めろんたちのにやついた顔が緩慢にこちらの動きを追い、反応しようとするのを弘原海が手を伸ばして止める。一瞬のことだったが、それらははっきりと視認することができた。
弘原海は自ら妻だと言った女を引き寄せ、抱きしめるように……いや、抱きしめた。それに答えるように牛刀がさらに深く刺さる。痛みなのか慈しみなのか判然としない、複雑な表情で弘原海は目を閉じた。
弘原海とはこれで最後なのだ。直感的に私にはわかった。
ありがとう、弘原海さん。さようなら……
背でなにかが烈しく倒れる音がして、その直後ゆっくり進んだ世界の時が戻る。
「めろぉおおん!」
鎌男の声だ。美津子と呼んだめろん女は弘原海さんが引き留めているのだろう。いや、めろんは近親者を好んで……
もしかすると弘原海さんは美津子を解放したかったのかもしれない。空腹の呪縛から。そしてどうせ死ぬのならば、自分を食って死んでほしい。そして、自分自身も愛する妻に食われ……
だめだ。
これ以上考えると感情に支配されて動けなくなってしまう。涙でなにも見えなくなってしまう。
あとで……すべてが終わったら存分に悲しもう。
広志とあなたのことをたくさん話そうと思う。知り合った期間は短かったけど、精一杯あなたのことを。
「めろおおーん!」
私は外に脱出できた。
弘原海のいうことを聞いて、あらかじめ出口を調べておいたから。もしも先入観だけで確認せず今に至ったなら、人肉調理場で袋小路になっていたはずだ。
間違いなくおいしくいただかれていただろう。
そして弘原海が言った通り、めろん男は外までは追ってこなかった。私が鎌男の近親者でないからだ。
店から出られたのはよかったが、結局……振り出しに戻っただけだった。
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