【連載】めろん。30
・星野檸檬 11歳 小学生②
「パパが戻ってくるの、理沙が2年生?」
「違うよ、3年生。私が中学生になった年」
「えー遅い~! 寝て起きたら3年生だったらいいのに」
奇しくも理沙はついさっき私が願ったのと同じ願いを口にする。
どうやら姉妹でプリキュアにならなければならないらしい。
突然、理沙が私の脇をくぐったかと思うと意気揚々と鍵穴に鍵を差した。
「でーん! 理沙の勝ち~」
「ずるしちゃだめ。さっき私がタッチしたじゃん」
「しーらなーい」
シラを切る理沙はいたずらっぽく笑った。溜め息を吐き、はいはい、と勝ちを譲ってやる。理沙の顔がさらに誇らしくなった。
「あれ、おうち開いてる」
鍵を回した理沙が不思議そうにつぶやいた。
珍しいことだった。母は下校の時間は仕事に行っているため、戸締りはしっかりとしている。
仮に帰っていたとしても用心のために鍵を開けたままにしているのは稀だった。
「パパ帰ってきてる!」
理沙が嬉しそうに叫んだ。
私もそう思った。帰るのは夜と言っていたが時間が前後することくらいはあるだろう。普段家にいない父が帰っているのならばそういうことも大いに考えられる。
「パパー! ただいまー!」
理沙が勢いよくドアを開け、三和土のヘリまで駆け込んだ。
心情的に私も同じだったが、理沙と同じテンションでいるのが少し恥ずかしかった。はしゃぐ理沙の後ろに続いて控え目に「ただいま」と告げる。
だが家の中は静寂そのものだった。
奥へ向かうにつれ暗さは増し、半開きになったリビングへの扉の隙間は闇の表情をしている。
「いない?」
「まさか、ママが家の鍵を閉め忘れるなんて」
ないことではない。だが母に限って考えにくいことだった。
住宅の密集するこの付近ではたびたび空き巣の被害を耳にする。もともと神経質気味の母は家族の中でも特に防犯意識が高いのだ。
私や理沙が留守番しているときに鍵をかけ忘れようものなら、それこそ烈火のごとく叱られる。
そのおかげで私も理沙も鍵をかけ忘れることは絶対にない。
そんな家族の中にあって、唯一の例外なのが父だ。
父が帰っている以外に鍵が開いているなど考えられなかった。
「どうしたんだろう……」
異変を感じ取ったのは理沙も同じだった。
父が帰っているのだとしたら家には人の気配がなければおかしい。
だが奥に続く闇はこの家に誰もいないと囁きかけるようだった。
「ただいまぁー、ママー?」
今度は私が声をかける。
奥のリビングで椅子を引くような物音がした。
「やっぱり誰かいるよ」
理沙は私の後ろに隠れた。直感的に家のものではないと思ったのだろうか。
その直感に似たものを私も感じた。
静寂の中に微かな足音が聞こえる。体が強張った。
いつでも逃げられるよう、三和土から玄関側に後ずさった。
音もなくリビングの扉が開く。
闇の中から人影の足が見えた。それは家のスリッパを履いていた。
「ママ……?」
「おかえり、檸檬、理沙」
私たちの不安をよそに、それは紛れもなく母だった。
ニコやかな笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
安心しようと、大きく息を吐く。だがなぜか心拍数は上がったままだった。
「ママ、鍵開いてたよ……?」
おそるおそる訊ねる。母はニコニコとしているだけで私の問いには答えなかった。
「いーけないんだぁ~! ママ、忘れたんでしょー」
理沙が嬉しそうに指を差す。普段、怒られる側なため得意げだ。
「ふふ、ふふふ」
背筋に悪寒が走った。
根拠がわからない。なぜ、母を目の前にして私は緊張したままなのだろう。あれは間違いなく母で、ここは私たちの家だ。
なのに、依然私の鼓動は落ち着きを取り戻さない。
「パパ、帰ってるのー?」
「理沙!」
理沙はそうではないようで、母の姿を見てすっかり安心していた。
三和土を駆け上がる足取りがそれを表している。母は不気味なほど動じず、笑みを浮かべたままだ。
なぜこんなにも私たちに無反応なのだろうか。
「なにしてるの? 檸檬も早く上がりなさい。パパがおいしいめろんをお土産に持ってきてくれたのよ」
「メロン! やったあ」
メロン……?
私の疑心に火が灯る。父がメロンをお土産に? 母がそれを私に?
「あー、でもお姉ちゃんはメロン嫌いなのに」
私の心の声を代弁したのは理沙だった。メロンやきゅうりのような、瓜の匂いと味が私は苦手なのだ。
それは父ですら知っている家族の周知事実。それなのにもかかわらず……
「あまくて、おいしいよ。檸檬」
「ごめんね、お姉ちゃん。理沙だけおいしいメロン食べる~」
「待って理沙!」
理沙は嬉々とリビングへと消えた。母だけが廊下に残り、私を無言で見つめている。
「ママ、どうしちゃったの? なんだかおかしいよ」
「檸檬、めろん。あまくておいしいよ」
会話になっていない。こんな母ははじめてだ。
機嫌が悪くてあまり返事をしてくれないこともあるし、話を全然聞いていないこともある。
けれど母の様子はそれとは一線を画していた。
その異変が私を三和土から廊下へと上げない。
「ぎゃああああああああ!」
耳をつんざくような悲鳴に心臓が止まるかと思った。
「理沙!」
理沙の悲鳴だ。尋常ではない声にもかかわらず母は一切動じない。
「ママ、理沙が!」
「あまくておいしいよ」
埒が明かないと思った。靴を脱ぎ散らかし、リビングへと走る。理沙の悲鳴は壊れたスピーカーかのように続いていた。
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