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【連載】めろん。85

公開日: : 最終更新日:2021/03/23 めろん。, ショート連載, 著作 , , ,

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・〇〇〇 〇歳 ④

 最初は冗談かと思った。叱ろうとしたところで征四郎が父親に似てそういう性格でないことを思い出した。頭が固く真面目一辺倒、まったくもって面白みのない男。それが我が家の絶対的な男子像だ。無論、それは私も同じことだった。

『めろんめろん、めろんめろんめろん』

 おどけるでもふざけるでもない、ごく普通の真面目なトーンだった。

 ただ発語の内容が異常なだけで、本人からはふざけているような印象は受けない。……つまり、征四郎は私をからかっているでも挑発しているでもなく、『自分がめろんしか発語できてないことに気付いていない』のだった。

「私の言っていることがわかるか」

『めろん? めろん』

 電話口の征四郎は一方的に喋るではなく、私の言葉に反応して口調を変えた。本人の中では会話ができているのだろうか。それならばまだ希望はある。

 征四郎がめろんに罹患していたとしても、人としての正気を保っているのならば理性が残っているはずだ。

「待ってろ征四郎、いまから行く。それまで待ってろ、わかったな」

『めろん』

 わかった、と言っているような気がした。

 そして私はそう信じた。それ以外に返事のしようがないじゃないか。征四郎が言葉以外正常であるとするならば。

 征四郎には六つ下の妻がいた。子供はいない。征四郎と顔を合わせるたび、「はやく孫を見せろ」と父にせっつかれていたのがまぶたに浮かぶ。どうしてこの状況でそんな場面が思い浮かぶのか、我ながら理解に苦しんだ。

 私と征四郎、我が家の男子はふたりきり。母は大人しいひとで口にはしなかったが、兄弟そろって子供もいないとは、ずいぶん親不孝な息子だと思っていることだろう。実際、父も生前は散々に嫌味をぶつけた。

 征四郎は政略結婚だった。大臣政務官の親戚の娘だという。背が高く、スラリとした美人だった。母と似た無口で大人しい女性だ。

 他人の意思が多分に盛り込まれた、本人らの気持ちは度外視したような結婚だったが征四郎は妻を愛した。妻もまた、誠心誠意征四郎に尽くしている。

 それは誰の目から見ても明らかだったし、とてもふたりが政略結婚だとは思えないほどおしどり夫婦然としていた。

 もしも、征四郎が『めろん』の衝動によって人を喰うとするならば間違いなく妻が犠牲になるだろう。ふと想像してすぐに打ち消した。

 たった一瞬、頭によぎっただけで顔が青ざめているのがわかる。まさか、征四郎に限ってそんなことがあるわけがない。口調は異常だが、征四郎があの妻を殺すわけがない。それがたとえ、呪いであろうが祟りであろうが、それだけは絶対にありえなかった。

 そう信じながら私は征四郎の家へと急いだ。

 多忙な身だ、すぐに駆けつけなければ外部にこのことが露見してしまう。めろんしか発語できなかったとしても、意思疎通はできるはず。なんとか征四郎とこの先のことを考えなければならなかった。

 そう心の中で思いつつ、内心は厭な予感がしていた。早く、早く征四郎のところに行かなければ。逸る気持ちがさらに私を焦らせる。

 それもそのはずだ。征四郎が正気であるということも、愛する妻を殺すわけがないということも、どちらもただの希望的観測だ。なんの根拠もない。

 そして、私は根拠のない事象は信じない性格のはずだった。だから心の奥で本能が叫んでいる。その推測のどれもが無意味だ。自分の目で見る真実だけがすべてだと。

 自分の信条と心情の矛盾を抱えながら夜の高速は凄まじいスピードで私を征四郎の元へ運んだ。

『やあ兄さん。よく来たね』

 インターホンから聞こえた征四郎の声はいつものものだった。私がよく知る、生真面目な弟の声。

『来てくれてうれしいよ。上がって』

「ああ……」

 だがどこか違う。明るい口調と『めろん』から解き放たれた言葉はどちらも胸を撫でおろすべきことだったはずだ。それなのに、不安は拭えず、むしろさらに烈しさを増した。吐き気に似た胸騒ぎのまま、私は玄関のドアを開けた。

 三和土からは誰も見えない。征四郎は奥の部屋にいるようだ。

 普段ならば、彼の妻が必ず出迎えてくれる。何度気遣いは無用と断っても、征四郎の兄だからと頑なに固辞した。

 おかしい。

 胸騒ぎはさらに渦を巻き、蟻地獄のように中心にぽっかり空いた穴の奥へと誘っている。それは途方もない闇に他ならなかった。

「兄さん、奥の部屋においでよ。いま、料理をしているから手が離せないんだ」

「料理? お前がか」

 奥の部屋から鼻歌が聴こえる。奥の部屋はリビングとダイニングがある。料理をそこでしていること自体は不思議ではない。

 不思議なのは……征四郎が料理をしているということだ。

「お前、料理なんてするのか」

「あんまりしない。でも今日は特別だ」

 奥の部屋に続く廊下を、足音を殺して進んだ。自分でもなぜこんなことをしているのかわからなかった。だが無意識に音を立てずにドアを開けた。

「兄さん、もうすぐできるからテーブルに座って待ってて」

 側頭部をぶん殴られたような、強烈な血の臭いに思わず鼻を手で覆った。

「これは……」

めろん。86へつづく

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