【連載】めろん。86
・〇〇〇 〇歳 ⑤
テーブルの上に所狭しと並んだそれは、とても料理と呼べる代物ではなかった。
ただ焼いただけ、ただ煮ただけ、ただ蒸しただけ、ただ切っただけ。
料理というよりも食べる手段だけを洗いざらい並べた、という印象だった。
そしてそのどれからも赤い汁が滴っている。肉汁というべきなのか、それとも血……か。
「な……なんの肉だ」
聞くのが怖かった。
鹿だ。猪だ。馬だ。ワニだよ。カンガルーでもいい。
ひと目で牛や豚ではないことだけはわかった。だから変わった肉が手に入ったから、と答えてほしかった。
「なんの……肉は肉だよ兄さん。おいしい肉」
じゅるっ、とよだれをすする音がそばで聞こえる。
「お前はこれを食ったのか」
「ああもちろん。とっても美味しかったよ。だから兄さんにもごちそうしたくて」
「これは…………なんの肉だ」
再度訊く。
どうしても期待する返事がほしかった。心から安心したかった。だから、私は同じ質問を繰り返した。
すぐそばでよだれをすすりながら征四郎は、妻の名を口にした。
「うぶっ!」
胃からこみ上げてくる酸に口を押え、私はトイレに駆け込んだ。
朝食も昼食も、間食につまんだチョコレートでさえもすべて便器にぶちまけた。鼻に酸い悪臭が抜け、苦しさに涙目になる。
恐れていたことが起こったのだ。
それも、心のどこかで『こいつだけは大丈夫だ』と思い込んでいた人物の発症。征四郎はもう取り返しのつかないことになってしまった。
「ねえ兄さん食べないのかい。もしかして夕食は食べてきたのかな。そうだとしたら前もって連絡しなかった僕が悪いね。食べられなかったら無理しなくていいよ、でも……冷蔵庫で冷やしてあるメロンだけは食べていってよ。ねえ、お願いだよ兄さん」
メロン……
「うぶっ、おええっ!」
もうでるものもすべてできってしまい、口からは胃液だけが微かに吐きだされる。
メロンとは頭だ。征四郎の妻の……私の義理の妹の……頭。
震える手で携帯電話を取り出し、とある番号にかけた。
「もしもし、賀川さんですか。弟の征四郎がめろんに罹患しました。……はい、すでに発症し、妻を食べたようです」
征四郎が根回ししたおかげで私たちは鬼子村出身者によるネットワークに辿り着いていた。
以前から広島の鬼子村跡地に罹患者を隔離する施設を作っていると聞いていたが、一貫して私たち兄弟は反対の立場をとってきた。
まだ発症もしていない、罹患の可能性があるだけで正常な人間を家族ごと隔離してしまう施設など人道的にも、社会的にも、まして倫理的に許されるはずがない。
それはごく普通の人間の感情だと思う。
私たち兄弟にもその感覚は備わっていたし、それをおいそれと許せる気にはなれなかった。
だがそれが決定的な間違いだったと、たったいま思い知らされた。
本当の意味で私は想像が足りていなかったのだ。もしも自分の家族が発症したら……という想像が。
「はい。征四郎の自宅です。私はいまトイレに籠っていて……ええ、お願いします」
『兄さん、気分が悪いの? 僕の大事なお肉を食べれば元気になるから出ておいでよ。僕はもうお腹いっぱい食べたから、好きなだけ食べていいんだよ』
あれはもう弟の声じゃない。いや、もはや征四郎であるかも怪しい。
少なくとも私の弟は人の……それも自分の愛している妻の肉を嬉々と飲み下すような人間ではない。不自然に朗らかな様子も知っている姿とは違った。
「く……」
私は涙を流していた。
胃液を吐きだす苦しさの涙ではない。家族を失った涙だ。
征四郎がこうなった以上、次は母親か私だ。
父同然、生きている間に発症しないかもしれない。だが今この場で発症する可能性だってあるのだ。
生きていることが怖くなる。じっとしているだけで気が狂いそうだった。
私が発症すれば誰を食う?
母かもしれない。だがすぐそばにいないことを考えれば部下だろうか。
たった今、この瞬間に発症したとすれば征四郎を食うのだろうか。
「神様……」
祈ったことなど一度もない神に縋った。頭を垂れ、手を組み、拝んだ。
どうか、人間のまま死なせてください。
15分後、賀川がよこした処理隊がやってきた。
慣れた動きで征四郎を鎮圧し、早々に連れて行く。私はただその様を眺めて立ち尽くしているだけだった。
去っていく処理隊と入れ違いにスーツ姿の女が現れ、私のもとに近づいてくる。
「両間伸五郎さんですね。この度はご愁傷様です。私は鬼子子孫会……通称OSKの牟婁(むろ)です。ご傷心のところ申し訳ありませんが、ご同行いただけますか」
力なく目をやると私と同年代ほどの女性だった。差し出された名刺を無気力に受け取り、OSK牟婁栄海(むろさかみ)と書かれたそれに目をやる。
「弟さんのことは残念でした。ご察しかと思いますが現状、伸五郎さんも次期罹患の可能性が濃厚です。悪いようにはしませんのでどうぞ」
「ああ……」
もうどうなってもよかった。どうでもよかった。
ただ、なにも考えたくなかった。考えると狂いそうだった。
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