【完結】めろん。110
・星野檸檬 11歳 小学生⑤
まだ夢の中にいるような、まどろんだ瞳でぼんやりと理沙は私を見つめていた。
突然のことに驚いてしまい、声が出なかった。
なんて声をかければいいのかわからない。理沙はもう私の知っている理沙じゃないのだろうか。でも、その顔は見慣れたねぼけた理沙のものだ。
恐怖も緊張もない。眠気まなこの妹。だけど理沙には私が食べ物にしか見えていない……それも美味しそうな。
本当だろうか。本当の本当に、本当なのだろうか。
どれだけ理沙が変わってしまったとしても私には信じられない。私は考えた末、理沙にこう声をかけることにした。
「おはよう理沙」
いつも通りの挨拶。一日の始まり。
理沙は私の声に遅れて反応し、ゆっくりとスローモーションのようにこちらを振り返った。
「……おはよう……お姉ちゃん」
「うん、おはよう。理沙」
「お腹空いた」
理沙の言葉に反社的に身構えた。しかし直後、私は違和感に気づいた。
「いま、なに食べたい?」
「オムライスかハンバーグ。お寿司でもいい」
耳を疑った。私の考えていることが間違っているのではないかと思った。でも、目の前の理沙は目を覚まし、そして私と会話をしている。
会話を、しているのだ。
「理沙、私のこと美味しそう?」
「お姉ちゃん? 好きだけど絶対不味いと思う!」
「理沙!」
思わず抱き着いた。
理沙はめろんになっていない。いや、めろんになっていたけど治ったのだ。
信じられなくて、でもうれしくて、私は理沙を強く抱きしめて泣いた。理沙はわけがわかっていなかったが、私につられて一緒に泣いた。
私はひとりきりじゃない。理沙が戻ってきた。
このことを綾田や蛙子に伝えたい。心から強く、そう思った。
「ねえ、おじさんと蛙子ちゃんは?」
「うん。会いに行こう」
理沙が正気である以上、ここにいる必要はなくなった。
両間には悪いがここから出ることに決めた。
「ごめんね、両間さん……」
綾田や蛙子は烈しく嫌っていたが正直なところ私は両間のことは嫌いでなかった。いつもニコニコしていて人当たりもいい。なにより目が優しかった。確かになにを考えているかわからないところはあるが、あの人が悪人だとは思えない。
でも私たち姉妹にとっては綾田と蛙子のほうが大切だ。
罪悪感を抱えながら私は両間に教わった方法で部屋の外へ出た。
がらんとした廊下が続いている。
寒くなるくらい人の気配がなかった。さっきの慌ただしさでなにかがあったことはわかったが、おそらくそれのせいで人が出払っているのだろう。
「理沙、こっち」
自慢じゃないが私は道を覚えるのは得意な方だ。だからここへ来た道筋もだいたい覚えている。それを戻って行けばここから外に出られるはず。あの変な町に綾田と蛙子、それに坂口もいるはずだ。
「お姉ちゃん、理沙はずっと寝ていたの」
「うん。ねぼすけな理沙だもんね」
「違うもん! でもずぅーっと夢を見ていたの」
「夢?」
「そうだよ。ママとパパと一緒にレストランでごはんを食べてるの。食べても食べてもお腹がいっぱいにならなくて、もっともっとってお料理を注文するんだけど全然ダメ。そうしてたらママはいつのまにかお腹いっぱいって言って眠っちゃって。でもパパがいなくなってて変だったな。私はずっとごはん食べてた」
「……そっか」
「お腹減ったな。なんかないかな」
「じゃあ蛙子ちゃんに美味しいの作ってもらおう」
「ピーマン入れないでっていわないと!」
「そうだね、早く探そ」
「うん!」
綾田と蛙子に会ったら教えてあげよう。きっとふたりとも驚くだろうし、喜んでくれる。今からワクワクしてくる。理沙は〝子守歌を聴かせると治った〟って。
楽しみだな、早く会いたいな。
私は理沙と手を繋いで、あの町へと戻った。チリチリと焦げ付く、なにかが焼けた臭いが漂っていた。
了
最後までご愛読ありがとうございました。現在のところ書籍化の予定はありません。
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