【夜葬】 病の章 -31-
福の神はいない。
鉄二の言葉に誰もが天を仰いだ。
いや、実際には天井を仰いだ、が正解だ。
だが、村の者たちは心身ともに疲弊し、憔悴しきっていた。
戦争という人間が人間を殺し合い、奪い合う現実から解放され、敗戦という屈辱をべっとりと背中に塗りたくられた。
――確かに、神などいないかもしれない。
集まった村人は誰もがみんな、美郷が【地蔵還り】となってしまった夜のことを覚えている。
だが戦線に立った者はあれよりも恐ろしいものを知ってしまった。
一目見るだけで太刀打ちできないと思い知らされる巨大な船。
巨大な怪鳥を思わせる恐ろしい戦闘爆撃機。
鬼気迫る目つきの米兵。
これらは一人ではない。鍬を持ったたった一人の女性などよりもよっぽど恐ろしい、死神の大群だった。
しかし彼らは口には出さない。
本当に彼らが恐ろしいと、心の底から感じたものの正体を。
それは、同じ日本軍。
仲間であったり、上官であったり、もっと言えば国そのものがそうだったのかもしれない。
知っている者は目にどろどろとした真っ黒な殺意と、戦意高揚からくるぎらぎらとした輝き。そしてなにより、自らは正義の使者であるという誇りが完全に彼らを怪物にしていた。
それは恐ろしい光景だった。
だがなによりも恐ろしかったのは、そんな彼らと自分が同じ目をしているのではないか、ということ。
あんな目をして、自分は敵兵を。同じ人間を殺そうとしているのか。
自分のうちにいる怪物が恐ろしかった。
目に見えない、とてつもなく禍々しい怪物。それが人を殺し、食ってしまうのではないか。
平和な村でこれまで過ごしてきた村人達は、いやというほどそれを思い知ってしまったのだ。
古くから続く村の風習である【夜葬】。
確かに【地蔵還り】は恐ろしい。【どんぶりさん】が起き上がるのも然り。
「【夜葬】をやめて、どうするつもりだ」
本当はどうすればいいか、という答えを持っているのに船坂はあえて口に出して訊ねた。
生意気な口の利き方をするようになったとはいえ、船坂からすれば鉄二はゆゆ同様、子供みたいなものだ。
そんな子供にこの問の解を求めるなど、卑怯だとわかっていた。
それでも船坂は、自らの言葉でそれを決めることが怖ろしかった。
だから船坂は、答えを知らないふりをして鉄二に訊ねた。
ほとんどがみんな、船坂と同じ気持ちだった。
それをわかっているのか、無意識なのか。
鉄二はそんな彼らを嘲笑するような表情を浮かべて、答えた。
「火葬だよ。みんな、町でそうしてきたろ? 船坂のおっちゃんだって、吉蔵のおっちゃんだって、戦争で死んだ兵士は燃やしてきたんじゃないの?」
誰も何もいわないことを認めた鉄二は、ややあって付け加えた。
「それか、死んだ人なら食べれるんだっけ……?」
「貴様ァ!」
飛び掛かったのは晋三だった。
たった今市郎を亡くし、失意のどん底にいた彼は鉄二の言葉に激高したのだ。
「やめろ晋三! 相手は子供だ!」
鉄二に飛び掛かろうとした晋三を止めたのは船坂と数人の男だ。
離せ、と繰り返し叫びながら晋三は鉄二に殴りかかろうと興奮している。
「そうだ、俺は子供だよ! だから戦わせてもらえなかった! いつでも敵を殺して死ねたのに! 死んだあとで顔をほじくられるくらいながら鬼畜米英にハチの巣にされたほうがましさ! どうなんだよ晋三さん? 正直思ったろ? 『市郎の顔、おいしそうだな』って」
「鉄二ィイイ!」
「鉄二、それ以上挑発するな! なんのつもりだ!」
「なんのつもり? そっちこそなんのつもりさ。結局どうすんだよ、燃やすの? ほじくるの?」
村人たちは興奮する晋三を押さえながら鉄二の問いかけに口を開かなかった。
本音を言えば、誰もが晋三と同じ思いを抱いている。
だが【夜葬】の風習に費やす気力と労力がないのも確かだ。
つまり、鉄二の問いかけは図星だった。
そして、【夜葬】よりも火葬で葬るのが確実だということも分かり切っていたのだ。
焼いて、骨にしてしまえば埋葬するスペースも小さくて済む。だがそんなことよりも、焼いてしまえば【どんぶりさん】として起き上がることもなければ、【地蔵還り】として夜の闇をうろつくこともない。
これから村を再建していかなければならないという目下の命題に対して、もはや【夜葬】は不要なものだと納得せざるを得なかった。
「そこでギャーギャー喚いている晋三さん以外はみんな静かだね。思ってたより賢いんだ」
心の底から村の者たちを侮蔑しながら、鉄二は皮肉を込めた物言いだけに留めた。
鉄二を遠目から複雑な感情で睨みつけているゆゆだけが、何一つとして納得していなかった。
【夜葬】の有無ではなく、元々はよそ者である鉄二の言葉に誰もがなにもいえないことに。
その晩、市郎は火葬された。
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