【連載】めろん。71
・綾田広志 38歳 刑事㉘
振り返って見上げたそこには住民の男が立っていた。
弘原海とは違う、とても協力的には見えない顔つきだった。
「すみません。驚かすつもりではなかったのですが、私は警視庁――」
「通報する!」
「待ってください、私は」
問答無用の意思がはっきりとベランダ戸を閉める強さに表れていた。
「ちっ」
舌打ちをし、急いで民家をでた。
声をかけられるまで気配に気づかないとは、相当疲れてるな。
東京から車ではるばるやってきて、そこから休みなくずっと気を張っている。今はアドレナリンがでている状態のようなもので実感としての疲れは感じないが、感覚の衰えはしっかりと感じる。
仕方なしに俺はさっきみつけた空き家の庭に身を潜めることにした。
通報する、と言っていたから追ってが放たれるかもしれない。大城のノートに目を通したいが、大人しく朝を待った方がよさそうだ。
――大人しくさせてくれたら、の話だがな。
そう思った俺の予感は的中した。
通報を受けた侵入者捜索隊が夜通し俺を捜した。結果、寝る間もなく俺は転々と身を隠し続けることを余儀なくされた。
朝になればすべていなくなる、吸血鬼だったらいいのに。
心で祈ったが捜索隊は明るくなっても街をうろついている。弘原海の家に行きたいが、この包囲網を掻い潜るのは厄介だ。
どうしたもんか、と溜め息を吐いた。
塀を上ってなんとか身を隠した空き家の二階テラス。仮眠はできそうだが、明るい間に大城のノートを見ておこう。
そう思いながら俺はノートを開いた。
ノートは情報の塊だった。ここへ来てから大城がでくわしたこと、感じたこと、起こったことや気づいたことなど。
突然連れてこられたことによる家族の中での混乱も克明に記してあった。中には俺を案じる一文もあり心が痛む。
ノート全体に、あの時救えなかった女子高生のことが気がかりであるという気持ちがそこかしこにあった。後悔と懺悔の日々の中で、それでも大城は手がかりを集め、家族を救うつもりだった。幼い娘と、愛する妻を。
大城には悪いと思ったが、俺は離婚していてよかったと思った。葵と明日佳はもはや俺とは無関係だ。もしものことがあったとしても、家族としてここへ連れてこられることはないだろう。
だからこそ大城の無念が身に染みる。仇をとったところであいつはもう戻ってはこない。俺はもう、大城を失ってしまったのだ。
「く……」
ようやく滲むようにして涙がでた。
だがその涙もにじむだけにとどまり、流れ落ちることはなかった。まだ泣くな、大城がそう言っている気がする。
目を擦り、気を取り直す。ちゃんと読んで、大城の遺志を継がなければ。
『空き家が多すぎる。住民に対し優に4~5倍の量の戸建てがある。これはいくらなんでも多すぎるように感じる。所感だが、カムフラージュの一環のようにも。実際のところはどうだ』
読み進めるとそんな文言が躍るページがあった。日付を見ると今から2週間ほど前だ。
『空き家を調べてみることにした。なにを推測してももはや考えすぎなどとこの町ではいえない。空き家のひとつに連中のアジトがありました、なんてことだってない話ではない』
そこから大城は目につかない範囲で空き家を一軒一軒調べるようになった。
『網の目を掻い潜るようにはカメラの目を逃れることはできない。やつらはなにをやらかしても駆けつけてくることは稀だ。もしかしたらイケるかもしれない』
さらに翌日
『やってみたが駄目だった。意を決してカメラの視界を横切ってみたらやつらが飛んできた。これまでとは大違いだ。かくして俺の冒険はここで終わってしまったが、収穫はあったのかもしれない。ほとぼりが冷めたらあの家にもう一度行ってみよう』
「あの家……」
そのページの下の余白部分に簡単な地図があった。
俺はそのページを破りとるとポケットにしまった。もしもこのあとノートが奪われたり紛失するようなことがあったとしも、最悪これだけあればいいような気がする。
ほかにもなにかないかと読み進めてみたが、あっという間に最後まで読み切ってしまった。
ただ、その中に『めろん患者は音楽に反応するかもしれない』という一文を見かけた。大城自身もこの説には自信がないらしく、斜線を引いて訂正している。
大城がこれは違うと思ったものだ。俺が気にしていても意味がない。
――が、どういうわけかそれが気になった。音楽? えらく漠然としている。
弘原海に訊けばすこしはわかるだろうか。なにしろ大城の日記には訂正線を入れたっきり、その話題については触れていない。
音楽、か……。
そういえば、ここで大城の家に行った時、大音量でアニメのテーマソングが流れていた。もしかしてあれと関係あるのだろうか。
音楽ならばなんでもいいのか、それとも特定のものなのか。
思考の沼に沈んでいくのと同時に、睡魔が訪れた。
まずい、ここで寝てしまうと連中に見つかった時――
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