【連載】めろん。87
・〇〇〇 〇歳 ⑥
端的にそれを喩えるなら、〝地獄〟だった。
征四郎の一件のすぐあと、母は【鬼子村跡】の施設へと隔離された。母は猛反発していたが、すでに一族から罹患者を出している私たち家族に(といっても私を母しかいないが)拒否するだけの権限はなかった。
征四郎は聞くに堪えない顛末を迎えた。
さまざまな実験を繰り返され、最終的に生きたまま解剖された。めろんに罹患した者はもはや人間としてすら扱ってもらえず、ただの実験動物だ。
事実、征四郎は最後まで笑顔を絶やさなかった。四肢をバラされ、臓器を取り出されても、朗らかに笑っていた。
まともな人間なら、正気でいられない。間違いなく気が狂って泡を吹いて絶命するに決まっている。
文字通り、征四郎はもういない。
母と強制的に収容され、すこしして私に地獄が訪れた。
めろんの罹患である。
===
「今も現在進行形だからねえ、『そうして伸五郎おじさんはめろんを克服しました。めでたしめでたし』とはいかないわけなのよ。わかるかな、綾田ちゃん」
話している間、両間の表情はひとつも変わらなかった。
ただ、メガネの奥の瞳だけは見えない。もしかすると、俺が見ようとしていないだけなのかもしれない。臓腑の底から、胸を侵していくようなねばついた恐怖が、俺の目から両間の瞳を隠している――そう思うだけで複雑で不快な心境になる。
だが目の前で挑発的ににやける両間は、めろん罹患者なのだ。気を抜くと食われるかもしれない。俺のことを食い物としか見ていないかもしれない……いや、実際両間はそう言っていた。
喰えそうかそうでないか。
それでしか人を見なくなっている……と。
いま、この瞬間も両間は俺を皿に乗った肉のように見ているのだろうか。
経験したことのない恐怖だった。
殺されそうになったことも死にそうになったこともある。危ない目なら数えきれないほど遭った。
そのどれよりも異質な、経験したことのない種類の恐怖だ。
俺はわかってしまった。両間の瞳が見えないのではない。
俺が両間の瞳を見られないのだ。
目が合うことを恐れいている。
「そんな脂汗ぐっしょりかかなくたってさあ、食べたりしないよ~。だって食べちゃうと今までの努力が水の泡だろう~? 据え膳食わぬは男の恥、っていうけど僕の場合は食うに食えないんだよね」
そう言って両間はじゅるりと唇を舐めた。
股間が縮み上がる。俺は硬く目をつぶることしかできなかった。
両間に連れてこられた部屋で、俺は体の自由を奪われていた。
椅子に座らされ、背もたれに手を縛りつけられている。椅子の足と自身の足も同様だ。
それだけではない。この部屋には俺と両間のふたりきりだった。
おそらく監視はされているのだろうが、食人騒動をもつ両間とふたりきりは精神的に堪える。
「どうしたんだよ綾田ちゃ~ん。さっきから顔面蒼白でさあ」
両間の不気味なまでの能天気さの正体は、めろんを発症していたからだとわかった。相手の神経を逆なでするような態度はめろんの副作用だったのだ。
すくなくとも話の中で語られる両間像と今の両間は齟齬があった。めろんがそれを埋めた。
「なにか喋ってよ~。仲良くしたいんだよ、本当だよ綾田ちゃ~ん。仲良くすればするほど美味しそうになるからさ」
ゾッとした。
会話をすることすら怖気がする。
「……まあいいや。とにかく、そんなこんなでめろんに罹患した僕なのだけれどね。幸い食人衝動がまだなかったのと、発語機能がバカになる前だったから症状を遅らせる処置になったんだよ。なぜって?」
「公安だから……」
「やっと喋ってくれたねえ! そうそう! そうだよ綾田ちゃん!」
オーバーに手を叩いて両間はわざとらしく俺を讃えた。
「OSKは警察を遣うだけの力を持っていたけど、やはり当事者で権限を持っている人間は重宝するってことでね。僕は特別な処置を受けたってわけだ。めろん村を管理しているのもそういうところを評価されてのことだね」
「めろん罹患者にめろん罹患者と罹患濃厚者を管理させるとはな。ゾンビの共食いか」
「ははっ! 皮肉のつもりなら辞めておいたほうがいいよ。食べる気はないけど、ついうっかりひと齧り……なんてこともあるかもしれない」
途端に言葉を失う。
生理的に訴える嫌悪感と恐怖。今の俺はこれに抗う術を持たなかった。
「親睦を深めるためにさ、ふたりっきりでお話してるんじゃないか~。協力してもらうにはこちらの事情も知ってもらわないといけないからね」
「なにが協力だ。強迫の間違いじゃないのか……」
「うまいっ! うまいこと言うねえ、綾田ちゃん!」
反論する気にもなれない。ひとことふたこと言い返すだけで精神が削られるようだった。
「なんのことはないことさ、僕の下についてほしいってだけだ」
「……は?」
「ああ、管轄のことなら気にしなくていい。僕から話は付けておくよ」
「言っている意味がわからない」
「だから僕と一緒にさあ、めろん村を盛り上げようよ! ってこと」
ニタリ、と纏わりつくような笑顔で両間はこちらを覗き見るようにした。
想定外の言葉に俺はまた言葉を失う。
「なぜ俺なんだ」
「めろんの現場をよく知っている人間じゃないとねえ。小宮くんはどうも適任でなかったようでね」
聞き慣れない名前に戸惑ったがすぐに誰のことを言っているのかわかった。
――それは三小杉のことだった。
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