ホラー小説 / サトシくん
■バイト先の女の子
僕は数週間前から近所のコンビニでバイトを始めた。
そこで働いている2つ上の女の人がいたんだ。
おっとりした雰囲気で、落ち着いた面持ちがとても好印象だった。
仕事も優しく教えてくれるし、怒ったりすることもない。
首くらいまでの黒い髪が店の蛍光灯にキラキラと反射して、僕の目に映る彼女を更にまばゆい存在にしていた。
もしかすると僕は彼女に恋をするかもしれなかった。
……しれなかった。としたのは、その可能性は悲しいことにとても低いからである。
何故なら彼女には恋人がいて、その恋人と同棲しているのだ。
そんなの、付け入る隙なんてあるはずないし、その隙が仮にあったところでビビりの僕にはそこに付け入る根性すらもない。
つまりは高嶺の花。見るだけ、眺めるだけが僕に許された唯一のことなんだ。
「佐々木くん、わたしお弁当の搬入してくるからレジ見ててくれるかな?」
僕が呆けて彼女の艶やかな髪を見詰めていると急にさらりと波打ったように舞い、彼女がこちらを向いた。
「あ、はい! レジ見てます!
「よろしくね」
――なんて可憐なんだ。
僕は彼女と付き合っている恋人が妬ましかった。
羨ましいではなく、妬ましい。
こんなにも可愛くて、素敵な人を恋人に出来て、一緒に住めるなんて……
や、やっぱりエッチとか……
「佐々木君、ごめーんバーコードリーダ取ってもらっていい?」
「あ、はい!」
■彼女の痣
そんな高嶺の華を眺め続けて更に一週間ほどの時が経った。
当然だけど、あいかわらず彼女と僕との距離は変わることは無く平行線のまま。
なにも期待などしていない、などとしつつも些細な事でいちいち期待してしまう自分が恥ずかしくなる。
彼女はというと、彼女も別段これといった変化もなく、いつもと同じ笑顔を僕に……あ、いやお客さんに振りまいた。
「あれ……清水さん」
彼女の名前は清水京花といった。なんてぴったりな名前だろう、やはり美しい人というのは名前からしてそれに現れているのだろうか。
「ん、どうしたの佐々木君」
名前に惚れ惚れしている場合ではないことを振り返った清水さんの目を見て気付いた。
「あ、あの……その痣、どうしたんですか」
僕が指差した先には半袖のユニフォームから覗く白く細い腕があり、袖で隠れるか隠れないかのところが青く変色していた。
それが痣であるということは誰が見ても明らかだ。
「ああ……ちょっと家のタンスにぶつけちゃってさ。ほんっとなにやってもどんくさいよねー私」
清水さんはあはは、と明るく笑い飛ばしてその会話を終わらせた。
ドジなエピソードにしてはすぐに会話を切り上げたがる彼女に、その時はなんの不信感ももたなかったのだが……
■日に日に増える痣
その日を境についつい彼女の痣を見てしまう癖がついてしまった。
人の怪我をじろじろと見るなどと趣味のいいものではないということは重々分かってはいたが、彼女の真っ白い美しい肌にその鈍色の痣は必要以上に目立ったからだ。
「……?」
ふとした時に清水さんの首元にも小さな痣があることに気付いた。
「あれ……」
僕の目に気付いた清水さんは恥ずかしそうにそれを手で隠すとへへ、と笑いジュースの補充に冷蔵庫裏へと小走りに去っていった。
僕は見逃さなかった。清水さんが痣を隠そうとした手の甲にも痣があったことを。
ドジして痣を作った……。
たしか最初に見つけた痣の時はそう言っていた。
ということはあの二つある別の痣もそうなのだろうか。
■休んだ清水
「おはようございます」
大学帰りにバイトに行くと、清水さんではなく普段は早朝に入っているはずのおじさんがパンの期限チェックをしていた。
「あれ……どうも」
あまり話したことのない僕の反応は当然こうなる。
バックヤードに入ると珍しく店長がいた。普段は余りこの時間には来ないはずだが……。
「ああおはよう佐々木君。清水さんが今日お休みでね、代わりに三島さんにシフトに入ってもらったんだ。この時間の作業があまり慣れてないから、教えてあげてね」
「あ、はい……。あの、清水さんはどうしたんですか」
「いや、熱が出たって言ってたなぁ。いつも真面目に頑張ってくれてるし、たまには仕方ないよな」
店長の言葉を聞きながら、僕の脳裏にはふとあの痣が思い浮かんだ。
清水さんは翌日も休んだ。
■恋人からの暴力
数日後、出勤すると清水さんが出勤していた。
ほっと安心した僕が清水さんを呼び、彼女がこちらを振り返った時思わずぎょっとしてしまった。
彼女は眼帯をしていたからだ。
「ごめんね、何日も休んじゃって。風邪だったみたいでさ、治ったのはいいけど今度はものもらいが……」
そう言った彼女の眼帯から少し青い痣がはみ出している。
それは誰がどう見てもものもらいではなく、誰かに殴られた痣だと悟った。
「これからは迷惑かけないようにするからね」
にこりと笑った白い歯。
白白白黒白
歯が一本欠けている。
「あの……清水さん……もしかして、誰かに暴力……」
「違う違う! そんなことないって! 私、ものもらいするとクマが出来ちゃう体質で」
僕が言い終えるのも待たずに彼女は言い訳をした。
彼女は眼帯からはみ出した痣のことを言っているようで、歯が欠けていることを僕が気づいていると思わなかったみたいだ。
そもそもものもらいでクマが出来る体質なんてあるのか?
あからさまにこのことについて聞かれた時のために用意したとしか思えない解答だ。
僕の疑心はそんな彼女の態度を見て確信に変わってゆく。
■通達
「他店の話だけど、深夜勤務や深夜帰宅の女性アルバイトが暴漢に会う事件があったらしい。幸い、軽い怪我だけで生活や勤務に支障をきたすほどではないらしいけど、出来るだけ女性を一人で帰らせないようにというお達しがあったんだ。だから悪いけど佐々木君、今日の上がりの時、清水さんを家まで送り届けてくれないか」
店長の話に思わず僕はガッツポーズを取りそうになった。
まさか仕事場がじきじきに清水さんを家まで送り届けるよう通達するなんて。
「もちろん、清水さんの返事次第なんだけど……どうだろう。最近物騒だから、一つ飲んでくれないかね」
清水さんは申し訳なさそうな顔で僕の顔を見た。
「あ、ああ……僕は全然大丈夫っすよ……。ただ、清水さんが僕についてこられるのが嫌だったら……その、仕方ないですけど」
ここで清水さんが「嫌ですこのひとキモイ」といった意味のことを言っても何ら不思議ではない。ぬか喜びした挙句にそんな断られかたをしたとなるとちょっと立ち直れないかも。
「ホント? 実は一人で夜帰るのって心細くて……甘えてもいいなら一緒に帰ってくれると嬉しいです」
店長が「よし」と一つ声を張ると、僕の肩を叩いて「頼むぞ白馬の騎士」とからかった。
「ちょっと、そんなこと言うから僕が気持ち悪いとかって誤解されるんですよ!」
「ん、お前キモチ悪いのか?」
「ち、違っ」
店長との絡みに笑っている彼女を見て、高嶺の華の彼女と二人で道を歩けることに胸が高ぶった。
その日も無事、定時に仕事を終えタイムカードをガシャリと鳴らした。
続いて清水さんもタイムカードを押すと、「着替えてくるからちょっと待ってて」と僕に声を掛けて更衣室へと小走りで去って行った。
「いいなぁお前、俺も最初そっちのシフト希望だったのに」
僕と入れ替わりにシフトに入った同い年のバイトが去ってゆく清水さんの背中を見て羨ましそうに言った。
「俺の方がバイト決まったの早かったからな。残念」
バックヤードで手を洗いながら恨めしそうにしている彼を笑ってやった。
「キスくらいすんだろ? トーゼン」
「馬鹿いうな。彼氏持ちだぞ、そんな真似できるかよ」
馬鹿な煽りをかけるそいつに格好よく言ってやったが、彼は悔しがることもなく僕の耳元に顔を近づける。
「あのさ、その彼氏ってのになんか暴力振るわれてるらしいぜ。……DVってやつ? ほら、つい最近まで眼帯してただろ? あれも彼氏に殴られたんじゃないかって」
「よせよ、そんなこと……」
ちらちらと更衣室のある通路を気にしながら彼は続けた。
「だからさ、チャンスだと思うんだよ。お前って顔だけはそんな悪くねーじゃん? だからいっそのことその暴力彼氏ってのから奪っちゃえよ。好きなんだろ清水さんのこと」
「ちょ、なに言ってんだお前」
思わぬ言葉に顔が真っ赤になるのが鏡を見なくても分かる。それはつまり傍で見ている人間には更に顕著だということだ。
「バレバレだぜ。お前バイト中清水さんばっか見てるしさ、だから頑張れよ。応援してっから」
「顔が応援してないだろ!」
笑いをこらえながら話すそいつの肩をグーでパンチしてやると、それを合図にしたかと思うようなタイミングで清水さんがやってきた。
「ごめんね、佐々木君。甘えてるのは私なのに待たせちゃって」
「そんな! 待ってたなんて全然! 必要あらば朝までだった待ちますよ!」
笑いを堪えていたそいつの膨らんだ頬が破裂し、はははと笑い声が背中越しに聞こえる。
清水さんはなにごとか理解はしていないが、場の雰囲気にとりあえず笑顔を見せてくれた。
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