【夜葬】 病の章 -79-
一九五九年五月十九日。
杉山の夜葬が明けた早朝のことだった。村は、騒然としていた。
村人のほとんどが夜葬が行われていた旧船頭邸に集まっている。みな、一様に憤りと動揺に顔色を染めていた。
怒りに顔を真っ赤に染める者。動揺して真っ青にする者。
どちらも対照的な顔色にもかかわらず、その緊張感で統率されているようにも見える。
みな、口々に報復や、呪いの言葉を口にしていた。
その理由とはこうだ。
「奴ら、どんぶりさんを持っていきおった!」
「なんということだ、福の神さんが怒ってしまう!」
「なんとしても奴らを捕まえねば! どこだ! 追いかけろ!」
そう。
夜葬が行われている最中に、儀式の重要な『船』である『どんぶりさん』が無くなってしまったのだ。
「こんなことは村の歴史上初めてだ! 考えられん!」
気付けば女は泣き、男は野太い鬨を上げている。
「これじゃあ、死者の魂が幽世に還れんではないか」
「船だ、船がいるぞ!」
村人たちは各々、自らの主張に酔うようにして大声で叫んだ。
普段の長閑な雰囲気とはまるで違う、物々しい空気が村全体を包むようだった。
「神様、どうすればいい? 福の神様!」
誰かが『神様』と呼び、それが各人に広がる。黒々とした村人の頭がぐりぐりと蠢き、地響きのようだ。
その地響きのようなうねりに呼ばれるようにして、屋敷の中から人影が現れる。
待ってました、と言わんばかりに村人たちの声がさらに興奮気味に熱がこもる。
「神様!」
「神様!」
「福の神様!」
神様と呼ばれた人物が手をかざすと、蛇口の水を閉めるようにしんと静まり返った。
途端に村人たちの群れは聴衆と化し、福の神の言葉を待つ姿勢に変わる。信仰を体現するような異様な光景の中で、その中心にある『福の神』は静かに口を開いた。
「みんな、落ち着いてほしい。そして聞いてくれ」
福の神は村人ひとりひとりを慈しむように、そして説き伏せるように、切れ長の鋭い目をさらに細くして、見回した。
まるで催眠術のように、村人たちは虚ろな表情で彼を見つめた。
女も、子供も、男も。老いも若きも区別なく。
こんな山奥の寒村にはおよそ不釣り合いな、綺麗でまとまった艶やかな黒髪がさらりと彼のまぶたにかかる。
「神様……また、成長したんじゃないか」
誰かが小声でつぶやいた。それが聞こえたのか、福の神はふふん、とほほ笑んだ。
福の神と呼ばれたその男とは、黒川敬介だった。
「知っての通り、由々しき事態が起こった。あろうことか夜葬に必要などんぶりさんが盗まれた。今回のどんぶりさんは、村の人間ではないとはいえ、村で死んだのには変わりない。なんとしても、取り返さなくてはならない……わかるな」
村人たちは、意見する者も反論する者もなく、倣ったようにうなずいた。
「よし。僕は福の神だ。神の名においてお前たちに命ずる。どんぶりさんを取り返せ。でないと、魂が還れずに『墓守』になってしまうぞ」
「賊はどうしますか」
「彼らも悪気はない。仲間を想ってのことだろう。しかし、だからといって許せる問題でもない」
ふぅ、と一息をつき、すこしうつむくと敬介は再び顔を上げ村人たちを睨むように見据えた。
「殺せ。抵抗しなくても、しても、殺していい」
村人たちは「おおおっ」と雄叫びを上げ、敬介の言葉に士気を上げた。
「ただし、村の外でだ。おそらくはもう外にでているはずだが、もしも村の中で見つけたとしても村では殺すな。村で死ぬとまた夜葬をしなくてはならなくなる。村さえでてしまえば、どこで死のうが『地蔵還り』や『墓守』になったりはしない。いいな」
しかし、最悪の場合も考えねばならない。と敬介は続けた。
「もしも、どんぶりさんを取り返せなかった場合だが……」
敬介の黒目がぶらりとぶら下がるようにして動く。そしてぴたりと止まった先に、殺気立つ村人たちの中でひとりだけ不安に縮こまり、震える男の姿があった。
「代わりのどんぶりさん……『船』が必要だ。その時は、あなたにお願いすることになるよ。宇賀神さん」
「そ、そんなぁ……厭だ……そんなの厭だ!」
「仕方ないでしょう。『あなたが連れてきた賊』だ」
「ち、違う! 確かに案内はしたがそもそもは『黒川元』に……」
「黒川元? それはボクの祖父ですよ。もう他界している」
「じ、じゃあこれは黒川鉄二だ! 鉄二の陰謀なんだ! それに俺は……」
「騙された? そうですか。それじゃあ、仕方ありませんね」
「そう! 騙された! それに俺はもうこの村にずっと暮らそうって思ってるんだ。前に逃げたことは本当にすまなかった。もうあんなことは絶対にしないと誓うよ」
「そうですね。仕方がない。仕方がないので、運命だと思って諦めてください。せいぜい、賊が捕まることを祈ることですね。どんぶりさんが戻らないということは、あなたの死を意味しますから」
そう言って、敬介は生前杉山からもらったシャベルを握り、宇賀神に見せつけた。
「そんな! あんまりだ! そ、そうだ俺も捜す! あいつらを捜すのを手伝わせてくれ!」
「逃げるだろう? 今殺すぞ」
「う……」
敬介は宇賀神の反応を楽しんでいるようにも見えた。対する宇賀神は楽しむなどとんでもない、と言わんばかりに顔をしわくちゃにして真っ青にしている。
「いいか、みんな。このままもしもどんぶりさんが戻らなければ、呪いが『外』にでる。この村のことは多くに知られてはならない。聞くなかれ、口にするなかれ、どちらにせよ呪いが降りかかるぞ。それは福の神によるものではない。死者たちの虚ろいだ」
村人たちは、敬介の説法のような語りに歓声で答えた。ひとり、宇賀神だけがその中で祈ったことのない神に葛城らが捕まることを必死で祈った。
そして、葛城たちとどんぶりさんを捜すため村人たちが散り散りに向かった。
翌日、宇賀神はどんぶりさんになった。
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