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【連載】めろん。31

公開日: : 最終更新日:2019/11/05 めろん。, ショート連載, 著作 , , , ,

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・星野檸檬 11歳 小学生③

 リビングに駆け込んだ瞬間、厭な臭いがした。

 臭ったことのない生ぬるく、何ともいえない錆びた臭い。暗いリビング中、その臭気が漂っている。

「くさい……」

 口と鼻を手で覆い、理沙の名を呼んだ。

「あああああー!」

 自分の大声で私の声が聞こえないのだろうか。だがそのおかげでその姿はすぐに見つけることができた。

「理沙、どうしたの」

 ゆっくりと振り返った理沙の瞳は明らかに怯えていた。

 生まれてからずっと一緒にいるが、恐怖に慄くこの表情ははじめてだった。

「お姉ちゃん……」

 目にいっぱいの涙を溜め、ガチガチと歯を鳴らして震えている。

 ぴちゃり、と足元にぬるい感触を感じ目を落とすと水たまりがあった。どこから漏れているのかと目で追う。

 それは理沙の足元から広がっている。

「やめてよ理沙! ばっちぃ!」

 思わず飛び退く私の目に、違う水たまりが映った。

 暗くてよく見えないが、それはキッチンの中央に広がっている。

 ぴちゃん、ぴちゃん……

 よく聞くと水滴が落ちる音もしていた。

 目を上げた先にはテーブル。いつも家族で料理を囲んで食事をしているテーブルだ。

 水滴はそこから床に落ち、水たまりを作っていた。

 そしてもうひとつわかったことがある。ずっと部屋に立ち込めている臭気は、まさにそこから発生しているということ。

 理沙は叫ぶのをやめたが、震えて立ちすくんだままだった。

 理沙を横切り、恐る恐るテーブルの上にあるものを覗き込んだ。

「なに……これ……」

 丸皿にボール状のものが乗っている。

「メロン……?」

 一見、そのように見えた。だが輪郭が歪だ。

 さらに近づいたところでつま先にぬるりとした感触を覚え、背筋がぞっとした。

 見ずとも嫌悪感を誘う粘りけのある感触だった。これは例の水たまりのものだ。

 全身の毛穴が開くような感覚に痙攣のような大きな震えが全身を走る。

 見るな、と体が叫んでいるような気がした。

 次第に目が慣れ、皿の上のメロンがなんなのかがうっすらと見えてくる。

 ……これは、メロンじゃない。なんだろう、これ。

 メロンではないにせよ、見たことがある形だった。特にこちらを向いている皮のようなものは耳にしか見えない。……耳?

「食べるのに邪魔だから、髪は全部剃っちゃったのよ。ふふ」

 リビングの扉付近から母の声が聞こえ、まるでそれに反応するかのようにソレがごろん、とこっちに向いた。

「うわああああっ!」

 人の顔。自分の声だとは思えないほどの絶叫を上げる。

 足元が滑り、尻から転んだ。

 尻餅をついた表紙に自分のつま先が視界に入り、靴下が赤黒く染まっているのがわかった。すぐにそれが血だとわかった。

 テーブルの下の水たまりは血。血だまりだ。

「ぎゃあああー!」

 私の悲鳴に呼応し、理沙も再び悲鳴を上げる。私の驚きに触発され、自分がなにを見たのかよみがえったのだ。

「あまくておいしいメロン、みんなで食べましょう」

 母だけがこの中で唯一平静だった。叫び続ける私たちに構わず、テーブルの『メロン』に近づくと、カウンターに置いてあった庖丁を手に取り、左手押さえながらガンガンと叩き始める。

 甲高い二つの絶叫と庖丁の刃で頭を叩く音が重なり、まるで地獄の中心にいるような気分だった。生きた心地がしない。

 精神もまたどこかに置き去りにし、思考も止まってしまった。

 にちゃ、べちょ、

 やがてガンガンと叩く音はその種類をかえ、ミンチ肉をこねるような音になった。

 母がハンバーグを作るときに必ずする音だ。

 無意識にハンバーグの絵が浮かぶ。今の状況とはあまりにアンバランスだが、奇しくもここはキッチン。ここでハンバーグは作られた。

「はあい、あーんして檸檬。おすそわけしてあげる」

 母が近づきながら、二個しかないから理沙と仲良くね、と手で摘んだナニカを口に運んできた。

「いやあっ!」

 寸前で正気が戻り、母の手を払う。

「あら~……檸檬、お姉ちゃんなんだから食べ物を粗末にしちゃだめじゃない」

 あ~あ、と溜め息をつきながら母は払った拍子に落としたソレを拾った。

「じゃあ、理沙。お姉ちゃんより先に食べていいのよ、ほら。パパの目」

 うぶっ、と濁った声を漏らし理沙はその場に嘔吐する。

 時折息苦しそうに咳をしながら滝のように吐くその姿を見て、咄嗟にここにいるのは危険だと察知した。

「理沙、こっち!」

 理沙の手を掴み、走った。

「ええ~っ、理沙もいらないの~? こんなにおいひいもごもぐんご……れろ、んも」

 怖い。あの家に、あの空間に、あの母のそばに、一秒でもいたくない。

 訳がわからないがあそこはもう私の知っている家でも、母でもないのだ。

 走りながら涙が流れる。理沙も私に引っ張れながら嗚咽している。

「ママがパパの目玉食べてた……パパの目、パパがママに……」

 錯乱しながらも理沙はついてきた。制服の胸元からは嘔吐物が付着し、異臭を放っていて私まで吐きそうだった。

 どうしよう。私たち、どうしたら……。

 行く当てもなく走りながら、ふと靴を履いていないことに気づいた。

 足は父の血で汚れている。

めろん。32へつづく

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