【連載】めろん。6
・玉井 典美 43歳 主婦③
私の住む部屋は団地の中でも奥のほうだった。バカ正直に順路に沿って歩いて帰るよりも、脇の駐輪場から中庭公園を突き抜けたほうが近道だ。
しかし、普段はここの休憩場に座り井戸端会議に花を咲かす主婦を避けたくてここは通らないようにしていた。案の定、公園に差しかかるとぺちゃくちゃメロンメロンうるさいババアどもが臭い息を吐き、唾を飛ばし合っている。
「メロン!」「メロン!」「メロンメロン!」
うるさいうるさいうるさいうるさいううるさあああい
ギリギリと軋む、不快な音がさらに耳障りで余計に気分が悪い。ババアどもは私を見つけ、なにか話しかけようとしてきたがハッと身を反らしてすぐに顔を背ける。
なぜそうしたのかわからなかったが、むしろ好都合だ。
ギリギリギリ
メロンメロンうるさいババアのさえずりは消えたのに、頭の中で石臼をひくような不快音が止まない。
「ああーーーーーー!」
たまらず叫びを上げると、遊具で遊んでいた子供や休憩場のババアたちが一斉に注目する。すぐに睨み返し、目が合った奴から順に玉子を投げつけてやった。
悲鳴と罵声を上げ、散り散りに逃げてゆく。なにを言ったところでメロンとしか聞こえない。バカじゃないの。
『あまくておいしい』
「そう、あまくておいしいのっ」
10個入り玉子のパックは7つが空になっていた。7個も玉子を無駄にしてしまったのだ。
補充をしなければ、と空になったパックの窪みに石を詰めていった。
この石を焼いて、それで焼けばおいしいかもしれない。
「早く帰って食べなきゃ」
意識していないところで声が出てしまった。ちょうどそこへ自転車を止めようとしていた大学生の男が通りかかり、ぎょっとして私を凝視した。私はそれに構わずその横を通り過ぎた。
後ろでガシャン、と自転車が派手に倒れる音がした。
「ただいまあ」
玄関のドアを開けるとどたどたとうるさく小さな足音が迫ってきた。
「メぇーロぉーんん~」
学校から帰っていた茉菜が私を迎えた。大方、買い物に行っているのだと察し、買ったばかりのおやつをせびろうとしているのだ。おやつはお前のくせに。
「メロン?」
茉菜は三和土の手前で立ち止まり、不思議そうな顔で私を見つめた。鬱陶しいガキだ。食べ物の分際で私を睨むんじゃない。
そう思いつつ、袋からメロンを出してやる。すると納得したように茉菜は破顔すると抱き着いてきた。
「邪魔」
茉菜を突き飛ばし、メロンを床に落とす。床にめりこむような重い音と、振動が足に伝わった。
「メロン……」
ああ、もううるさい。自分の娘までメロンメロンって。バカばっかり。
溜め息を吐き、シンク下のキッチンボックスの戸を開ける。観音開きの内側に庖丁が2本、収納してあった。どちらも一般的な家庭用のステンレス庖丁。薄く、軽い。
う~ん……
私は頭を悩ませた。ちょっとこれでは頼りないのではないか。ドロアーを開ける。スプーンやピーラー、卸し金にキッチンバサミ、それにバーベキュー用の金串。
「ああ、丁度いい。これにしよう」
『あまくておいしい』
「茉菜ぁ、ちょっとこっちおいで」
そう呼んでやると、廊下の角から茉菜がこちらを覗き込んだ。
あまくて、おいしそうだなぁ。どうやって、食べようかなぁ。
「おいで茉菜」
「メロン、メロンメロン?」
「うるさいな、死ねよ!」
庖丁を投げる。茉菜をはずれ、壁にあたって落ちた。もう一本投げる。今度は当たれ。
だがまた壁に当たって落ちた。
茉菜はなにを投げられたのか、なにが起こったのかわからず何秒間か固まったのち、床に落ちた庖丁を見た。
「メロン……?」
少し離れたここからでもわかるほど、手足の先から震え、やがて全身をガタガタと刻む。それがまた私の癇に障った。
「早く死ねよ」
キッチンバサミとバーベキュー串を両手に持つ。今度は投げない。しっかりと根本まで突き刺してやる。何度も何度も何度も何度も突き刺して、肉を柔らかくしてから食べる。
『あまくておいしい』
「よだれっ!」
一気に間合いを詰めてこねてやろうと思い、足を踏み込んだところで茉菜は唐突に我に返って反対方向へと駆けた。
「待て肉!」
ええっと、今日はそうだな。クレイジーソルトとレモンだけでいいよね。タレやソースには糖類が含まれてるから、ヘルシーに食べるぞっ!
「ヘルシー……ヘルシー……」
壁際に追いつめ、思いきり振り下ろすキッチンバサミ。肉は反射的にしゃがんだ。しゃがんだ肉のせいでハサミの先が壁に突き刺さった。
「メロンーッ!」
「うるせええなあああ!」
首の周りが冷たい。臭い。なんだこれ。ああ、私のよだれだ。お腹が空き過ぎて目の前の肉に我慢が出来ないんだ。
ああ、肉。肉。肉肉肉肉肉。
「メロンッ!」
肉が私の肉の妄想をしている隙に逃げた。玄関から外に出ようとしている。
逃がすわけがない。鶏も、牛も、豚も、みんな逃げようとしたって食べられているんだ。おいしいお肉はみんなのもの。
肉が外に出るまでに余裕で追いつき、首の、いっぱい血が出るところを噛み千切って血抜きをしながらジュースを飲もう。最高。
肉を捕まえようと足を踏み込んだ瞬間だった。視界で天地が反転し、その瞬間後頭部に衝撃と鋭い痛みが走った。
「うぎぃ!」
足元の水溜まりで滑って転んだようだ。あちこちにバチバチと星が舞う。立とうとするが思うように動けず、世界が揺れた。
流転する世界の中で、ドアが閉まる音だけがはっきりと聞こえた。
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