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【夜葬】 病の章 -45-

公開日: : 最終更新日:2017/10/10 ショート連載, 夜葬 病の章

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『殺せと言ったのに、なぜ殺さなかった!』

 

 

般若のような……いや、もはや般若そのものの恐ろしい形相をした船坂が鉈を振り回しながら鉄二に迫った。

 

 

突然やってくる悪夢のような恐怖に血管が収縮する感覚に陥り、逃げようにもうまく足が動かずもつれるばかりだ。

 

 

『殺せ! 殺せ! さもなくば、貴様を殺す!』

 

 

般若はなおも喚き散らし、夜話に稲光を照らす怪物のごとく、ずんずんと迫る。

 

 

ガニ股でどたどたと走るその様は、すべての人間味を奪われ魂まで妖怪に成り下がっていた。

 

 

『忌児はこの世から消すべし! 忌児はこの世から消すべし!』

 

 

気付けば船坂だったそれは、声までガラガラになり醜い害音に変わり、船坂の面影は毛の先ほども残ってはいない。

 

 

般若の顔は、目は血走って真っ赤になり、黒目は影を焼きつけたように真っ黒で光がない。額からは角がせり出し盛り上がった皮膚からは血が滲んでいる。

 

 

大きく口角を吊り上げ開いた口は、一瞬笑っているようにも見えるが禍々しく覗く牙は人の血肉を欲している。

 

 

これは面ではなく間違いなく人の顔だ。

 

 

「わああ! 助けて……やめてよおっちゃん!」

 

 

鉄二は幼き日の身体に、心に戻っていた。

 

 

圧倒的に弱い物を、圧倒的な狂鬼が挫きにやってくる。

 

 

振り回す鉈がいよいよ鉄二の鼻先に届かんとしたその時――。

 

 

めきっ……。

 

 

突然、般若の額に四角い穴が空いた。

 

 

「えっ……!」

 

 

めきっ、めきっ……。

 

 

今度は立て続けにふたつ、穴が空く。

 

 

そのたびに般若は激痛にうずくまり、よっつめが空く頃にはその場で転がり回っていた。

 

 

「いぎゃぁああ! うひぃいい!」

 

 

鉄二はその場で尻餅をつき、股から尻へと温かい感触が広がるのを感じていた。

 

 

いくつほど「めきっ」という気色の悪い音を立てただろう。

 

 

しばらく転げまわり、激痛に絶叫を上げていた般若が静かになった。

 

 

気が付けば穴が空くあの音も止んでいる。

 

 

呆気に取られ、尻に作った水溜まりに掌を濡らしている鉄二の前で、般若はおもむろに立ち上がった。

 

 

べちゃっ、となにかが肩程の高さから落ちた。

 

 

反射的に鉄二はそれを認める。

 

 

般若の顔だった。丸く、くり抜かれた――。

 

 

「ひぃやああああ!」

 

 

くり抜かれた般若の顔。その目が慄く鉄二をぎょろりと睨んだ。

 

 

「けい……すけ、ころ、せ……けいす、け……ころ」

 

 

その場から逃げたいと鉄二は後ずさろうとするも、自らの小便で足や手が滑りまったく後退できない。

 

 

そんな鉄二を般若の顔と、顔のない般若の胴体が見つめる。

 

 

「たすけ、たすけて……父ちゃん! 美郷おばさん!」

 

 

涙で滲む鉄二の目に映る般若の顔は、いつのまにか船坂のものに戻っていた。

 

 

船坂は乞うような、救いを求めるような、なんとも言えない眼差しで混乱する鉄二を黙って見つめている。

 

 

「ど、どんぶりさん、怖い! 怖いよぅ! 怖いよぉお!」

 

 

鉄二の見ている前で船坂の顔はゆっくりと目を閉じ、そのまま静かになった。

 

 

どんぶりさんになった船坂の身体もまた、ゆっくりと踵を返し鉄二に背を向けたまま、その場を静かに去ってゆく。

 

 

「あ……あ……」

 

 

 

跳び起きた鉄二の頬に朝日が差していた。

 

 

酒の匂いのする悪臭が鼻を衝く。

 

 

「やっちまった……」

 

 

寝小便だった。

 

 

「てっちゃん、起きた?」

 

 

声のするほうを向くと、庭で洗濯物を干しているゆゆの姿があった。

 

 

鉄二はしまった、と布団で股間を隠すもゆゆは鉄二のそんな動作の怪しさを察していた。

 

 

「いいよ。気にしないで。それより、気持ち悪いでしょ? そこにある服に着替えて」

 

 

そこにあると差されたのを見ると、枕元に丁寧に畳まれたシャツとズボンが置いてあった。

 

 

気まずさと罪悪感に包まれつつ、鉄二はゆゆから見えない陰に隠れ濡れた服を着替えた。

 

 

「ふんふん……ラララ……」

 

 

庭からゆゆの鼻歌が聞こえる。

 

 

今日のゆゆも普段通りのゆゆだ。

 

 

――頭が痛い。昨日飲み過ぎたせいだな……。

 

 

船坂の『子供を殺せ』という一種の暗示のような言葉、鉄二に深酒をさせた。

 

 

酩酊状態の鉄二が常識的な判断を見失うのは仕方のないことだった。

 

 

それだけに鉄二は昨晩の自分がなにをしようとしていたのかもあまり思いだせない。

 

 

ただひとつ。

 

 

『子供を殺せ』と言われたことだけが鮮明によみがえる。

 

 

頭痛に頭を抑え、ふと正面を見ると自分が寝ていたものとは違う布団があるのに気が付いた。

 

 

一瞬、誰もいないのかと思った鉄二だったが目を凝らすと、小さな影が見える。

 

 

無意識に鉄二はその小さな影に近寄っていた。

 

 

「ああ、そういえばてっちゃん初めてだったよね。その子は敬介。かわいいでしょ?」

 

 

死んだように眠る赤ん坊がそこにいた。

 

 

枕元にはなぜか、『ノミ』が畳に突き刺されてある。

 

 

「てっちゃん、今日は久しぶりに【夜葬】だよ。誰にも言ってないから、ふたりきり。手伝って……くれるよね?」

 

 

洗濯物にゆゆの姿が隠れるが、太陽の光で影絵のようにゆゆの姿がくっきりと映った。

 

 

鉄二が『ノミ』にこびり付いている血と、『本当に死んでいる赤ん坊』に気付いたその後のことだった。

 

 

「――返事しなよ。てっちゃん」

 

 

 

 

-46-へつづく

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