【連載】めろん。93
・破天荒 32歳 フリーライター⑳
坂口は立ち止って左右を見回し、そばにいた住民になにか話しかけた。
口元を押えながらそれを見守る。
そうでもしていなければ心臓が口から飛び出してしまいそうだった。
大丈夫か。本当に信用していいのか。私は騙されているのではないか。
目の前で坂口が走り去ってしまったら。
今話している住民に私の存在を暴露されたら。
どちらにせよ終わりだ。
気が付けばたった今、生殺与奪を握られている。
坂口がこちらを振り向き、目が合った。いつも通りの無表情……考えていることが読めない。
それ自体は普段通りだが、この状況下ではそのようには思えなかった。
坂口はすぐに目を逸らし、向かって左側の方向に指差した。釣られて住民は指先が差す方に顔を向けた。
そして周囲の住民たちに声をかけ、坂口の差す方へとぞろぞろと向かった。
やがて住民たちの姿が見えなくなったころ、再びこちらに向くと手をこまねく。
「嘘を吐いたのね」
坂口は無反応だった。
『あっちでやつらを見た』と住民に吹き込んだろうことは予想できる。意図を察してからは私の緊張も解けた。
坂口は味方だ。時間はかかったが私は心からそう信じることができそうだ。
「なんだその顔は」
「やるじゃん、と思って」
「やめろ気持ち悪い」
行くぞ、と坂口は最後まで付き合わず歩きはじめた。
空は薄暗さを増し、いよいよ夜の入り口に立っている。暗くなれば街を歩くのも目立たなさそうだ。これまでの緊張感を考えれば檸檬たちの元へ戻るのは容易いだろう。
……いや、住民が私を探しているのならばそう簡単でもない。油断はしないほうがよさそうだ。
緩みそうになった気持ちを引き締めるのに私は頬をつねった。痛みで涙が滲み、おかげで緊張が戻ってくる。檸檬の顔を見るまでは私は決して油断しない。
パン、と破裂音が聞こえた。
頬になにか飛んできて付着した。生暖かい。
目の前で坂口の体がぐらつき、沿うようにして歩いていた塀にもたれかかる。
奇妙なほどそれはゆっくりとした速度で見えた。
「ぐっ!」
うめき声をあげ肩を押えた矢先、血が滲む。私はなにが起こったかわからず、気づけば坂口を支えていた。
「なによ、どうしたのよ!」
「隠れろ……!また撃ってくる」
「撃ってくるってなにが」
パンパン、と今度は二度続けて鳴った。反射的に屈み、思わず目を閉じた。
「急げ、君だけでも隠れろ!」
「なんなのよ! なにがどうなってんの!」
そして四度目の音と共に坂口の頬肉がえぐり飛んだ。顔に生暖かい血がかかり、瞬時に頭が真っ白になる。
「あがっ……!」
頬を押えながら坂口は私の腕を掴み、角の影へと引っ込んだ。
「ぐふぅ、ぐそ……!」
坂口は苦痛に歪みながら濁った声で呻いた。
「そんな、どうしよう……救急車!」
「やめぼ」
指の隙間からとめどなく血が溢れ、今にも気絶しそうなほど脂汗でぐっしょりに濡らした坂口は震える手で携帯電話を渡してきた。
「こんな時になによ! それより怪我を」
頭を振り、坂口は真っ青な顔でキツく睨みつける。
そして再度強く携帯電話を私の胸に押し付けてきた。その圧に負け、それを受け取ると血まみれの手で私を指差す。
なにかを言いたげだが痛みで喋られないのがわかった。だがそれでも彼の指と、まなざしから「それを持って逃げろ」と言っているのはわかる。
「そんなことできるわけないでしょ! あんたを置いて……」
坂口は最後まで聞かず、再び道に飛びだした。
「ちょっと!」
すかさず坂口に追従しようとしたところでまた音……そう、あれは銃声。
銃声がまた立て続けに鳴った。
「だめだって! 帰ってきて!」
坂口はこちらをちらりとも見ず、銃声で顔も出せない私に構わず走りだした。
「どういうつもりよ! 坂口ぃ!」
パン、パン、と二度の銃声のあと、不自然な間があった。
私は坂口を置いて逃げることもできず、ただうずくまり耳を塞いだ。無力な私は彼を追うことも、ここから逃げだすこともできずにうずくまるだけだった。
早く終われ。きっと夢だ。
必死に現実逃避をしようとするが現実はどうしようもなく現実のまま。どれだけ念じても、祈っても、ここはベッドではないし夢でもない。
坂口から手渡された携帯電話を握りしめた手が汗ばんできた。力んだままの体は強張り、ぶるぶると震えた。
「雨宮……」
濁った、聞き取りづらい声がしたのはどれだけ経ったころだろうか。顔を上げると空はもう暗く、夜になっていた。
男がひとり立っていた。
まばらに佇む外灯の弱々しい光が逆光となり、その顔は見えない。だがそれが坂口だということは顔を見なくともわかる。
「坂口……」
「呼び捨でにずる……な」
ヒューヒュー、と苦しそうな呼吸をしながらふらふらと近くまでやってきてしゃがみこむ……が、踏ん張りがきかずそのまま地べたに倒れ込んでしまった。
「しっかりして、びょ、病院……」
「檸檬たちを……頼む」
力なく弱々しいその声は、私が知っている憎たらしい坂口のものではない。
厭な予感がして坂口を抱き起こした。
「これも……持っていげ。あいづらに理沙を渡ずな……」
坂口の手にはピストルが握られていた。
「これ……もしかして……」
暗くてろくに顔も見えない。頬が破れて表情だってわかりづらい。それなのに私には坂口がすこし笑ったように見えた。
「弾……2発……だけ……」
そこまで言ったかと思うと腕の中で坂口の体から力が抜けるのがわかった。
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