【連載】めろん。11
・木下 英寿 19歳 大学生②
『あら~それは困ったわね』
事情を話すと電話口の母は深刻な声音を吐いた。帰ってきてほしいと懇願したが今日だけは無理だと断られ、二重に肩を落とす。
「どうすればいいんだよ。放っておくわけにはいかないだろ」
『あったりまえじゃない! そんなことしたらあんた親子の縁切るからね』
「しないって言ってるだろ! ねぇ~そんなことよりさぁ、どうすればいいのか教えてよ」
電話口の向こうで母は唸った。ぼくはうずくまったままの少女の様子をチラチラと見ながら、ナイスアイディアを待つ。
人が通ってほしい気もするが、変質者などと誤解されることを考えると誰もやってこないほうがいい気もする。
「やっぱり警察に行くのがいいかな」
辛抱できずに提案してみると母はさらに大きな声音で唸った。
『同じ団地の中でのことだからねー。本人が帰りたくないって言っている以上、言いたくないけど虐待の可能性だってあるわけでしょ』
母の言葉を受けて少女の足元を見る。痛々しい血の色が虐待という言葉に真実味を帯びさせた。
『警察を呼んで解決するならねぇ。呼んだことで余計に事態が悪化するのが一番最悪だし……そうだ』
「なに?」
母の「そうだ」という言葉に期待した。
『とりあえずいっぺん家に連れて帰りなさい』
「はあ? そんなの絶対だめだって! それこそ言い逃れできなくなっちゃうだろ」
『だから、私が帰るまでの間だけよ。私が帰ったら、一緒に家に行ってあげるなりできるでしょ。あんたができることはそれしかないんだから、言う通りにしなさい』
でも……と食い下がろうとするのを母は制し、仕事があるからと慌ただしく切った。
無音のスマホを耳にあてたまま、ぼくは少女を見て立ち尽くした。
少女は玉井 茉菜と名乗った。知っているかと思ったが聞き覚えはなく、そういえば30棟以上はあるのだから知っていなくとも当然かと納得した。
茉菜は裸足で怪我をしていたから歩かせるわけにもいかず、ぼくは自分の家まで背負って帰った。
途中でやっと何人かの住民とすれ違ったが、この姿では逆にこそこそとしてしまう。さっきまでとはまるで逆だ。
「ここがぼくの家だよ」
「茉菜の家と似てる!」
そりゃそうだ。同じ団地なので、多少の違いはあれどほぼ同じ間取りのはずである。
茉菜の足を洗い、台所の椅子に座らせた。シャワーで足を痛がったが茉菜は泣かなかった。見た目より辛抱強い子供なのかもしれないと思った。
救急箱を取り応急処置を施そうと足を見て、思わず目を細めてしまった。
「これは……痛かったね」
「すっごく痛かった」
親指の爪が半分、めくれている。触っただけで痛いらしく、消毒液のボトルを見て茉菜は涙目になった。
「やめとく?」
「ううん。我慢する」
度胸があるな。ぼくなら絶対厭だとごねる自信がある。痛いのと怖いのはごめんだ。
ほろほろと涙をこぼしながらも固く目をつむり、唇を噛んで我慢をしている茉菜を前にちょっと自分が情けなくなった。
「はい、もういいよ。急ごしらえだけど、とりあえずこれでばい菌とかは入らないはず」
ガーゼに包帯と、少々大仰と思いつつも念のため手厚くしておいた。大は小を兼ねると言うし、問題はないだろう。
とにかく歩く時は慎重に歩くのと、暴れたりしないことを念押しした。
時刻は20時になろうとしている頃だ。知らない小学生の女の子を家に入れただけでなく、こんな夜にふたりきりだなんて、完全に逮捕される案件ではないだろうか。
そんなばかな、と絶対捕まる、という対極的な主張がぼくの中で葛藤している。とにかく一刻も早く母に帰ってきてほしい。
――あと1時間は帰ってこないよな……。
母が残業をする時は決まって21時ごろに帰宅する。今回も多分に漏れずそうなるのは目に見えていた。だが今のぼくにはたった1時間が途方もなく長く感じる。
「テレビ見る?」
茉菜がうなずいたのでテレビを点け、好きなのを見ていいとリモコンを渡す。とにかく触らぬ神に祟りなしだ。暇しないようご機嫌を取りつつ距離を置こう。絡んでもろくなことはないに決まっている。
お菓子がないかと冷蔵庫を見るとプリンがあった。なにを隠そうプリンはぼくの大好物だ。しかも一個しかない。
「プリンとか……食べる?」
「食べる!」
ああ、そうですか……。
自分で聞いておきながら断られることを期待してしまった。子供相手に忖度を望んでも無意味なのに。
ならばわざわざ訊かなくてもよさそうなものだが、今家にあるお菓子らしいものはこれしかないのだから仕方がない。
泣く泣く、スプーンを添えて茉菜に渡してやる。
「ありがとう! いただきまーす」
景気よく蓋をめくり、スプーンですくったプリンを口に入れる。するとなぜかゆっくりと表情が曇った。
「あれ? おいしくなかった?」
それとも期限が切れていたのかと剥がした蓋を見るが、賞味期限にはまだ余裕がある。
「ううん。そうじゃないけど」
浮かない顔でふたくちめを食べると、小さな声でごちそうさまとつぶやいた。
カップのプリンはまだ8割方残っている。勿体ないので食べてやろうかと思ったが、いくらなんでもそれはだめだと思い留まり、中身を三角コーナーに空けた。
「ごめんなさい。せっかくくれたのに」
「いや、大丈夫……また買うし」
そういう問題じゃない、と言ってすぐに思ったが訂正する空気ではなかった。
早く帰ってきてよ……母さん。
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