【連載】めろん。10
・木下 英寿 19歳 大学生①
『真空~……ッ』
「わああっ! 待って待ってちょっ……」
『波動拳んん!』
ババババッと衝撃が重なる効果音と派手な演出。直後に『K.O』と画面中央にでかでかと敗北を突き付けられる。
あと3フレ、いや2フレあればガード間に合ったのに。コンパネを力なく叩き、恨めしく髪が逆立った軍人キャラを睨む。こいつに600円も使わされた。明日のパン代も突っ込んでしまった。後ろには誰も並んでいないので、連コインしたいところだが生憎財布は空だ。明日の朝はひもじい思いをするのは確定的。
「くそっ! 俺のパン返せ!」
オンライン対戦なので相手は顔も知らないどこかのプレイヤーだ。憎まれ口を放ったところで誰に聞こえもしない。とはいえ、勝てば官軍負ければ賊軍。度を過ぎれば自分が情けなくなるだけだ。後ろ髪を惹かれながら、ゲームセンターを後にした。
大学生は思っていたよりもずっと暇だ。
せっかくできた友達もバイトやサークルで忙しいし、余ってる連中とは趣味も話も合わない。地元の友達は進学と共に続々とひとり暮らしをはじめ、ぼくに構っている暇はない。
……あれ? 大学生が暇なんじゃなく、ぼくが暇なだけなのか?
自転車に跨ったところでそれに気づき、やっぱりバイトでもしようかと考えた。
単位も落とさない自信もあるし、たった600円を失って金欠になってるようじゃダメだ。強い意思を持ちペダルを漕ぎ、帰路を辿ると坂道ですっかりその思いは消えた。
いつもここの登坂で汗を掻く羽目になる。バイトよりもひとり暮らしを優先したほうがよくないか?
そうすればこの坂ともおさらばできるというものだ。
「メロン」
肩で息をしながら駐輪場で自転車を押していると正面の方から突然メロンと聞こえた。
顔を上げると見たことがある中年の女がガシガシと乱暴に自転車にぶつかりながら歩いている。
その顔を見て思わずぼくは目をそらした。人間とは思えない狂暴な顔をしていたからだ。
目は血走って真っ赤に充血し、口角には粘り気のある白い泡が不潔にまとわりついている。眉はVの字に吊り上がっていてなにかに激怒しているのがよくわかる。
とにかく目を合わせてはダメだ。どんな因縁をつけられるかわかったもんじゃない。
前を見ず、うつむきながら歩いていたせいで自転車が他の自転車にぶつかり、倒れた。
「ああっ!」
情けない声が上がり、思わず聞かれたのではと振り返る。女の姿はもうなかった。
『今日、残業だから晩御飯はオリジンで❤』
台所のテーブルにあった書き置きと千円札を見て、もっと早く帰っていればと悔やんだ。1000円あればあと10回もプレイできる。
そんなことをすれば明日の朝食どころか今夜の夕食すらなくなってしまうのに、ぼくの邪念は甘く耳元で囁く。今からもう一回、ゲーセンに戻っちゃいなよ。
「あーー! どうしよう」
300円……いや、500円で抑えれば……。
我ながら小学生のような算段をしていると気づきつつも、ぼくは割と本気でゲーセンに戻るか迷った。
だがゲーセンに戻るということは、またあの上り坂を上らなければならない。それを考えると急激に意欲が減退してゆくのがわかった。
「……やめとこう。オリジンでちょっと抑えて、残った分を明日の戦いに回そう」
うずく気持ちを鎮め、弁当を買いに行くことに決めた。
今帰ってきたばかりの玄関を飛び出し、駐輪場に舞い戻る。ここからオリジンは自転車で5分くらいだ。
「……ん?」
駐輪場にやってくると小学生の女の子がうずくまっていた。時刻は19時前だ。空はまだ少し明るいがまもなく暗く落ちるだろう。
この時間に小学生が外にいてもギリギリおかしくないような気もするが、どこか様子がおかしい気がする。
恐る恐る近づいて見るとぐず、と鼻をすする音と嗚咽が聞こえた。泣いているようだ。
「どうしたの?」
本音を言うとあまり関わりたくはないと思ったものの、同じ団地の住民だと無視してなにかあったほうが厄介だ。どうせ大した訳はないだろうと思いつつ、放っておくことはできなかった。
「ママが……」
「ママ? ママがいない、とか?」
少女は首を横に振った。
ぼくは次の言葉を待ったが、少女はなかなか喋ろうとしない。ふと足元を見ると少女は裸足だった。不審に思い見ると片方の足の親指から赤い筋が見える。血が出ていた。
「あ、怪我してるけど……大丈夫?」
少女は答えない。ただ嗚咽だけが時折聞こえてくる。
やっぱり厄介事に違いない。なんてツイてないんだ。ゲームでは負け、お金はなくなり、夕食を買う前にこれだ。
少女に気づかれないよう深いため息をつき、しゃがみこんで話しかける。
「ここにいたらママが来るの?」
少女は辞んだ。
「じゃあ、おうちはどこ? 鍵が開いてないとか?」
「……帰りたくない」
やっと口を開いたかと思えば理由も言わず帰りたくない、か。足も怪我をしているし、もうすぐ夜だ。ここにひとりにして放置するのも気が引ける。
なぜだかこんな日に限って誰も通りかからないのもまた運の悪さを告げている。
「あー……どうしよう。ぼくがおうちまで送ってあげるよ」
ぶんぶんと首を横に振り拒む少女。それはそうだ。たったいま帰りたくないと言ったばかりなのだから。
「ちょっと待って」
スマホで母に電話をかける。こんな時はどうすればいいか聞けばいいのだ。
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