【夜葬】 病の章 -9-
着物の尻をぐっしょりと濡らした鉄二を抱きかかえ、女性は風呂場へと向かった。
怖いやら、申し訳ないやら、恥ずかしいやら、といった感情をごった煮にした鉄二は額に頬の温もりを感じるほどの距離に居ながら、顔を上げることができなかった。
「ごめんねぇ、坊や。せっかく私のこと捜しに来てくれたのに、驚かせちゃって」
「……おばちゃん、【どんぶりさん】のごはん、食べてたの?」
「ええ。あれがこの村の古くからの風習なの。ほら、仏飯器でお供えしたご飯も食べることが供養になるでしょう? 考え方は其れと同じなのだけれど、やっぱり気持ち悪かった?」
「うん……。びっくりした」
「そうよねぇ、ごめんねぇ」
申し訳なさそうに笑う女性。
大好きな人を困らせてしまったという幼い良心が揺れる。
「僕な、黒川鉄二って名前」
その幼い良心の呵責の逃げどころを弁えているはずもない鉄二が、彼なりにたどり着いた答えが其れだった。
話題を変えたいが気まずさから何を話せばいいのか分からない鉄二の、無意識に出た言葉。
「鉄二、じゃあ『てっちゃん』ね。いい名前。坊やにぴったりだわぁ」
嬉しそうに笑う雰囲気を感じ取り、ようやく鉄二は顔を上げることができた。
優しい表情で笑い、愛おしげに鉄二を見つめる女性を見て思わず嬉しさから彼も笑った。
「そう、てっちゃん。おばちゃんはね、『船家 美郷(ふないえ みさと)』という名前なの。美郷おばちゃん、って呼んでくれればいいわ」
「うん、分かった。美郷おばちゃん」
風呂場で裸にされた鉄二は、美郷に身体を丁寧に洗われた。
昨日の過酷な道のりで汚れていたままだったが、たちまち綺麗になってゆく。
だが美郷はそんな鉄二の体を洗いながら、彼の足を心配そうにさすった。
「まあ、こんなに傷だらけになって。大変だったでしょう? かわいそうに」
「昨日、ずっと山とか歩いてたから。ほら、ここ見て、蛇に噛まれそうになって枝で切ったんだ」
そう得意げにふくらはぎの切り傷を見せて鉄二は笑った。
「町から来たって聞いたけど、やっぱりどこで育っても男の子は男の子なのね。おばちゃん、安心したわ。この村にも子供は沢山いるから、いっぱい友達作ってね」
「冷たい!」
会話をしながら、手桶の水を頭からかけてやると鉄二は足をバタバタとさせた。
「鉄二?」
不意に元の声が風呂場を覗く。
「あっ……」
しまった、とばかりに鉄二は身を縮ませ黙って様子を窺う。
便所だと言って部屋を飛び出したのに、風呂場で屋敷の者に身体を洗ってもらっているところを見られれば叱られるに違いない。
そう思うと鉄二は素直に返事ができなかった。
美郷はそんな可笑しげにそんな鉄二を見ると、風呂場の外に気配のある元に向かって言った。
「てっちゃんのお父さん、ごめんなさい。さっき廊下でてっちゃんの服にお茶を零して汚しちゃったんです。だから風呂場で洗ってあげてまして」
「え? ああ、そうだったんですかい。しかし、どうせうちの倅が前も見ずに走ってたんでしょう? いっちょげんこかましてやりますわ」
「そんなことないから、げんこはやめてあげてくださいまし。私の不注意だったんですよ」
「そうですか? そうおっしゃるんならまぁ……」
元とのやりとりの尻で、美郷は鉄二を見た。
鉄二はただ美郷の顔を口を半開きにして見ていた。
自分を庇って嘘をついてくれたのだと分かったからだ。
「じゃあ、すみません……よろしゅうお願いします。鉄二、体拭いたらとっとと部屋に戻るんだぞ」
「分かった。父ちゃん」
(よかったね)
声に出さず、口をぱくぱくとさせて美郷は鉄二に話しかけた。
鉄二もまた、嬉しそうに口元を手で押さえながら大きく頷いた。
部屋に戻るとしばらくして船頭がやってきた。
船頭は改めて二人に、死別した元の妻、小夏の生家に住まうことを許す旨を告げ、場所を簡単に説明してくれた。
船頭の話によると、小夏の生家である三舟家は家主が数年前に亡くなったため、今は誰も住んでいないという。
小夏は上に姉が二人。
三姉妹はどれも村を出ていて、村には誰も残っていないという。
「わしら昔から村を出たことのない人間には、外がどうなっておるかわからん。若者に外のことを聞かれてもなんにも答えようがないでな。三舟の娘らはそんな、誰もなにも分からん外の町にえらく憧れとった。
もちろん、これまで村を出た人間がいなかったわけじゃあない。
しかし、出た人間は誰一人として再び村に戻ってきたことがない。一体、外の世界とはそんなにも魅力的なものかのぅ」
「いえ……町なんて、ろくなもんじゃありませんさ。どっちを向いても戦争戦争って馬鹿みたいに騒いでて。確かに便利なものも多いし、便利なこともある。けど、そのくせ貧乏人ばっかりでね、油の臭いや工場の音がうるさいばかりのろくでもないところでさぁ」
船頭の寂しげな呟きに、元は答えた。
彼の話は、確かに事実ではあるがそれがすべてではない。
元自身の苦しい思い出ばかりがべっとりと泥油で塗りたくり、実際の町よりも汚れた印象で船頭に伝えたのだ。
「そうかい。なら、三舟の娘らも苦労したんだなぁ。結核とはかわいそうになぁ」
事実がどうであれ、船頭は外に出るつもりはない。
元もそれに気づいていた。
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