ハイジャック / ホラー小説
■快適な空の旅を
成田から離陸した奄美空港行823便は特に異常もなく安定した飛行をしていた。
機内は小さな子供を連れた家族、恋人同士、女性だけのグループや、一人で搭乗しているビジネスマン風の男性や年配の夫婦など様々な顔ぶれが見られた。
奄美大島に向かう便なので、比較的ほかの便に比べるとより旅行目的の搭乗客が目立つ。
その中に一人、そんな搭乗客の中にひとり似つかわしくない男がいた。
川上 太郎。46歳。
ビジネスマン風の男性客ならばいるが、川上はTシャツにGパンというラフな服装でやつれた目元をクマで真黒にしていた。
それだけならば特に不思議はないが、似つかわしくないのはその挙動。
しきりにあたりを気にし、貧乏ゆすりをしている。
CAがそんな川上に気付き、体調を尋ねにやってきたのは当然だった。
「お客様、気分が優れませんか?」
心配そうにして覗き込んだCAの顔の下でチキチキとなにかの音が聞こえた。
「?」
川上の後部座席に座っていた女性客の顔になにか液体のしぶきがかかり、話に夢中だった彼女は顔についたそれを指ですくい、それがなにかを確認した。
「……え」
彼女の指先は赤い液体がついていて、それを『血』であると認識したのと同時に大量の《それ》が降りかかる。
「きゃあーー!」
川上の顔を覗き込んだCAは噴水のように首から噴き出す血を抑えながら、カハカハと乾いた咳を繰り返しその場をぐるぐると回っていた。
川上は搭乗客が首から血しぶきを上げるCAに目が釘付けになっている隙に操縦席へと走ってゆく。
■パイロットの決断
川上の行動が起こした機内の異常は操縦士の水元と副操縦士の田端のすぐ知るところとなった。
緊急事態を察した水元はガスマスクをつけると、客席に催眠ガスを放出する手順を行おうとするがそんな水元の耳に「爆発するぞ!」という川上の声が届いたのだ。
「爆発物を持っているのか……」
「おい、ここを開けろ! でないと……」
「痛いぃ!」
女性の声と悲鳴。どうやら彼は爆発物を持ち人質も取っているのだと水元は悟った。
それと女性の痛いという悲鳴。操縦席の向こうにいる男……川上はおそらくすでに女性を傷つけ、『いつでも殺す』という意思表示を示しているのだと判断する。
「水元機長……」
副操縦士の田端は上空一万メートルの密室で、水元を不安げに見つめた。
「入れろ」
■川上の要求
水元から管制官に連絡が入り事件が明るみになったのは、川上を操縦席に入れて10分後のことだった。
コクピット内には水元と田端、それに川上の三人。
川上は爆発物を所持していて、水元の喉元にカッターナイフを突きつけている。
実際に川上が爆発物を所持しているかどうかは怪しい。
普通に考えればそんなものがゲートを通過するわけがないからだ。しかし、だからといって信じずに取り返しのつかないことが起きないとも限らない。
こうなってしまった以上は、できるだけ川上に従うことが最も安全なのだと水元は判断したのだ。
「こんなことをして、君の要求はなんなんだ」
極度の緊張と恐怖で表情を引きつらせながら、水元は振り絞るように川上に尋ねた。
川上は震える口ぶりで「妻と話をさせろ」、そう要求したのだ。
一方、地上管制では「ハイジャック発生」の緊急通報と、一報を受けたマスコミたちが一斉に成田空港へと押し寄せた。
事件は今現在、発生中なので詳しいことはいえないと伝えるも報道陣たちは空ばかりを映し、リポーターは好き勝手なことばかりを伝え、スタジオのコメンテーターは緊張感のないコメントを垂れ流す。
そんな中でコクピットと同じ緊張感を共有しているのが管制室内であった。
続々と警察が駆け付け、川上の要求する「妻」の行方と川上の素性調査が並行して行われる。
そんな中でも交渉にあたった喜井刑事は、川上を刺激しないよう会話を試みていた。
■川上 太郎
時折言葉を躓かせる川上は興奮状態であることは明らかだ。
彼を落ち着かせるために会話を試みる喜井刑事だったが、会話がかみ合わず焦りを感じ始めていた。
ハイジャック発生から70分が経った頃、川上についての情報が喜井刑事の手元に届きようやく川上という男がどういう理由で今回の事件を起こしたのかという真相に辿り着いた。
川上は10年前に事業に失敗し、多額の借金を抱えている。
それをきっかけに妻との関係が悪化したのだという。だが、離婚はしておらず喜井刑事はおそらく姿をくらました妻と寄りを戻したくて、警察の力で探せ……といっているのだ。
「……だが川上よぉ。お前そこで人殺してるんじゃ、かみさんと話ができてももう戻れねぇよ。馬鹿なことしやがって」
喜井刑事はそう呟き、空を見上げた。
資料によると、川上と妻の間には子はなく倒産当時はまだ結婚3年目だったという。
その後川上は職を転々とするがどれも上手くいかず、借金も一向に減らない。
そんな現状に絶望したのだろう。
その絶望の果てに彼は凶行に及んだのだ。
■思わぬ結末
「早く妻を出せ! あと30分で妻を出さなければ乗客もろともこの飛行機を落としてやる!」
「け、刑事さん……お願いします。彼は本気です、どうか彼の奥さんを……」
危機は一切脱してない。だが悪化しているとはいえなかった。
川上の要求がはっきりしている分、総力をあげて彼の妻を探している。
一般人とはいえ、川上の前から去っただけの女性を探すのはそれほど難しくはないはず……そのように考えていた喜井刑事の元へ、ついに吉報が届いた。
「喜井さん、川上の妻が見つかりました!」
「おおそうか! それで彼女は……」
そこまで言ったところで喜井刑事は報告に来た部下の顔色に気付き、言葉を詰まらせた。
「……どうした」
「それが……その、死亡していまして」
「死んでいたのか」
最悪の結果だった。
だが喜井刑事はそれを偽るわけにはいかない。事実を川上に伝えるしかないと覚悟し、そのうえで部下に詳細を尋ねる。
「どこで死んでいた。いつ死んだんだ」
言いにくそうにうつむきがちに時折喜井刑事を見ては、やや小さな声で部下は答えた。
「あの……死体はさきほど発見されました。場所は、川上 太郎の自宅の押し入れ……。特定はできませんが、少なくとも死後5年以上は経っているそう……です」
「川上の家でか?! どういうことだ!」
喜井刑事の脳裏にあり得ないイメージが重なり合ってゆく。
川上の妻はいなくなったのではなく、川上本人が殺した?
自分が殺した妻と話したいからハイジャックをしたのか?
考えれば考えるほど袋小路に陥り、この事件の全容が急にぼやける。そんなわけのわからない理由でハイジャックなんて……
「そんな、馬鹿な……」
喜井刑事は次に川上へかける言葉が一切見当たらなかった。もはや川上を普通の人間と同じように見ることができなくなっていたからだ。
突き抜けるような青い空。
川上と乗員14人、それに乗客493人はこの青い空の下でバラバラに飛び散って死んだ。
「メリークリスマス」
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