ホラー小説 / 食べる その死
■残酷な現実
妻からの電話は俺の感情を奪うのに充分な内容だった。
喜怒哀楽の全てを失くし、ただ突きつけられた現実を幻だと自分を納得させるのに頭をフル回転させるしかなかった。
「最善を尽くしましたが……」
顔も見たことのない、初めて会う医師がこれまでしんやがどんな風に生きてきたか、しんやがどんな子供だったのかをよく知っているかのような口ぶりでなにかを言った。
「当院に運ばれて来た時にはもう手の施しようもなく……」
……いやいやいやいや、手は施したんだろ。
でも死んだんだろ。
しんやは友達と遊んでいる最中、自転車で競走をしてそのまま道路に飛び出したらしい。
いっちょまえにショートカットしようとしたんだそうだ。
「ずるしようとするから……」
そこまで口に出すと、それ以上は声にならなかった。
「純……しんやが……しんやが……」
妻はベッドに横たわるしんやの手を握り獣のような雄叫びを上げながら俺の服の裾をきつく握る。
俺はというとヨータの葬式の帰りだった為、喪服を着ていた。
この場にこの服でいることが出来たってことは、手間が省けたな。
しんやが死んだということを他人事にしてしまおうとした結果、こんな思考が俺の脳を叩く。
だけどもすぐに罪悪感が大きなうねりを生み、俺に襲い掛かる。
そしてまた俺の感情を奪いにやってくるのだ。
■息子の死と、妻の言葉
しんやは自転車で道路を渡ろうとした時に横から車に跳ね飛ばされた。
その衝撃でほぼ即死で、苦しまなかったんだと医者は言った。
いいのか悪いのか、“綺麗に当たった”おかげで内部の怪我の割には外見はとても綺麗で、ただ眠っているだけのようにも思えた。
「……う……」
寝ているのかと思い、頬を撫でてみると堅く、そして冷たい。
人間だと思って触ってみたらマネキンだった……。
その感覚にとてもよく似ていた。
ただ、今の俺の場合は、【生きていると思って触ってみたら死んでいた】だけだ。
「もう、動かないのか……なあ、しんや」
話しかけるが返事はない。俺の言葉を聞いて妻はより一層泣き叫び、床にうずくまって足をバタバタとさせた。
医者は既に部屋から出ていき、最後の家族の時間をくれた。
嗚咽を繰り返し漏らし、嘔吐するのではと思うほど激しく喉を鳴らす。
かと思えば息を詰まらせたり、時に激しく咳き込む。
この世で最も恐ろしい病にかかったかのように妻は全身で苦痛を現し、俺の現実を更に攫ってくれる。
そんな様子の妻と動かなくなったしんやを交互に見詰めていると急に妻の動きがピタリと止まった。
「ねえ、純……もう食べちゃおっか」
どくん
「もうしんや食べちゃおうよ」
すっかりさっきのヨータのことが頭から吹き飛んでいた俺は、妻のその言葉に先ほどのヨータの姿が脳裏に蘇る。
ヨータの肉、ヨータの内臓、ヨータの脳みそ……
「うぷ……」
俺はついさっき見た光景をしんやに置き換えて想像してしまい、耐えられくなった。
「……え? なにそれ……純、なんで吐きそうになってるの……」
これは……ヨータのおばさんがさっき俺に向けた目と同じ目だ。
まさか妻にまでこの目で見られるとは。
■愛しい肉
「しんや、死んじゃったんだよ。じゃあ食べなきゃ。食べて供養しなきゃ」
「お前までそんな……」
「なんでそんな嫌そうな顔するの? しんやのこと愛してたんでしょ? なのになんでそんなに食べたくないみたいな顔するの?」
妻の表情は驚きから懐疑的な色に代わり、それは夜のネオンのようにあらゆる色へとコロコロと変わってゆく。
今、目の前にある色は、それらの感情を一周し後の【怒り】だ。
「お葬式なんかでしんやの肉を他の人達になんか振る舞いたくない! しんやは私達だけで食べるんだから! ね? いいよね? 純」
俺はさきほどのヨータの場面でも、そこに居る誰もが死人を食べることが常識なのだと知った。
いつの間にかここは俺の知る世界ではなくなっていた。
……いや、知っている世界とよく似ている。ほとんど同じだ。
ただひとつ【死んだ人間の人間を食べて葬る】という点だけを除いて。
だが俺は例えそうであったとしても、「そうですか」と言ってすぐに人の肉など食べることなど出来ない。
それが自分の家族……息子ならなおさらのことだ。
「しんやを食べるなんて……できない」
妻は半狂乱になり訳の分からない言葉を喚いた。しんやの前で今にも暴れ狂いそうな妻をなんとかなだめ、落ち着かそうと色々と話しかけるが埒が明かない。
……本当は、俺もちゃんとしんやの死を悲しみたい。
いや、違う。しんやの死を受け止めたくないから、暴れる妻を抑えることで精いっぱいな今の状況に俺は安心しているのだ。
「じゃあいいわよ! しんやはわたしが食べる! わたしひとりで!」
妻は俺の腕を振り払うとしんやの頬を撫で、愛おしそうに微笑んだ。
その穏やかな表情を見ていると、とてもさきほどまでこのかわいい我が子の亡骸を食べようと言っていたようには見えない。
ミチッ、ミチミチ、ブチ
なんの音かと驚いて妻を見ると、たった今愛しく撫でたしんやの頬の肉を噛み千切り、頬をパンパンに膨らませにちゃにちゃと咀嚼の音を滲ませていた。
あまりの光景に完全に意識が一瞬、飛んだ。
妻が咀嚼するたびに口の端から血が滴る。
「ここはママがちゃんと食べてあげなきゃね……」
しんやのずぼんをおろし、可愛らしい小さな瓜の実に噛みつく。
ごりごり……
「やめろ! やめてくれ!」
まるでそこは地獄だ。
愛しい者が愛しい者を食う。
狂っている、なんだこの世界は!
「ねえ、純……しんや、とってもおいしいよ……? 一緒に食べようよ……」
口元を血まみれにして、妻はにっこりと笑う。
こりこりとしんやのそれをキャンディのように舌の上で転がし、その食感を頼みながらつぎはしんやのふとももに噛みつく。
「うわあああああ!!」
俺はヨータの時よりももっと大きく、狂おしい声で悲鳴を上げた。
「どうされたのですか!?」
それに驚いた医者や看護師たちが足並みのそろわない乱雑な足音をどたどたと鳴らして部屋に入ってきた。
「これは……」
絶句する彼らに俺は涙が止まらない目頭を押さえ、その地獄を見ないように努めながら妻を指差した。
「誰か……どうにかしてくれ……」
これは夢だと思おうとすればするほど、妻がしんやの肉を咀嚼する生々しい音が鮮明になる。
その音だけがこれがどうしようもないほどの現実だと俺に教えているようだった。
とにかく、この地獄から早く逃げ出したい。
俺はそれしかもう考えられなかった。
「……なんだ。ご遺体を召し上がってらしたのですね。言ってくれれば道具をお持ちしましたのに」
「え……」
顔面を血まみれにして息子にかぶりつく妻を見て、あたかもそれがなんでもない平穏な日常の一シーンだと言わんばかりに駆けつけた連中は言ったのだ。
「そのままじゃ内臓や脳を取り出せないでしょう。ハンマーと鋏、ああ、あと鑿お持ちしますね」
「ま、待って……」
ぞろぞろと彼らは部屋を出ていき、またにちゃにちゃという咀嚼音だけが暗闇に残った。
■音
にっちゃにっちゃ、
ぶちぶち
くっちゃくっちゃ
ごくん
めりめり、
ぶぷぷ、ぷちゅ
じゅ、ごく
……にちゃ、
にっちゃにっちゃくっちゃくっちゃ、
「道具、お持ちしましたよ。ああ、もうそんなに食べてしまわれたのですか。どうぞごゆっくり」
連中が置いていった工具に目もくれず妻は一心不乱にしんやに食らいついては食いちぎり、噛んで呑み込み、また食いつき……を繰り返している。
■ハンマー
道具の中にあった先に鉛の塊が重く付いているハンマーを握り妻に近寄った。
「純、しんやの頭を割って脳みそ出して。しんやの脳みそ、絶対おいしいに決まってるから!」
顔、手、胸、髪。
色んなところべっちゃりと血で汚しながら、それが嬉しいのだとアピールするように両手に持ったしんやの肉を頬ずりして笑う。
そしてまたしんやに向き直り、肉を貪り食う。
しんやの身体は至る所が赤い斑点……いや、食いちぎられて赤く陥没した“クレーター”だらけになっていた。
俺は手に持ったハンマーを自分の頭より高く振り上げると、妻のつむじ目がけて思いっきり振り下ろした。
ぐちゅ
イメージと違う地味な音と共に妻は口にしんやを詰めたまま横に倒れ、たちまち新しい血の水溜りを作った。
しんやの血と妻の血が混じり合い、その光景が俺を不思議な気持ちにさせた。
俺はハンマーを床に投げ捨て、道具箱から包丁を出し刃を自分の左手手首にあてがい、躊躇いもせずに思い切り手前に……
■ごちそうさまでした。
「ねえママぁ、パパ、起きないの?」
「しんや、パパはねとっても疲れて眠っているの」
「どうして? 今は朝じゃないよー」
「パパは悪者をやっつけるために戦ってるときに、車にぶつかっちゃったんだよ」
「ふーん……」
「失礼します」
「ああ、陽太君来てくれたんだ……まさやくんにケンちゃんまで」
「当たり前じゃないか。……純、お前らしくないな……」
「ああ、酔っぱらって車にはねられるなんて……」
「酒なんてそんな飲めるタイプじゃねーのに……」
「つい羽目外しちまったんだろうな」
「おじさんあそぼー」
「おお、しんやー大きくなったなぁ……。でも、今日は遊んでやれないんだ」
「だってパパ全然起きてくれないからぁ」
「そうだな……」
「みんな、ありがとう。純もきっと天国で喜んでると思うわ」
「そうかな……」
「じゃあ」
「どうやって食べる?」
食べる 終わり
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