【連載】めろん。8
・芝崎 拓也 25歳 ウォーターサーバーの営業
……はぁあ~。
ハッと見上げる。暗くなりかけた公園には自分以外に誰もいない。誰の溜め息だ、と見回して、その後で溜め息の主が自分であると気が付いた。
思わず笑ってしまう。上司にもぼーっとしているとよく言われるし、やっぱりそうなのだろう。残念ながら自覚はないが。
手の中でぬるくなった缶コーヒーを飲み干し、腕時計を見る。もう19時前じゃないか。小さく呟いて、僕はうずくまる巨人のような集合住宅を見上げた。
このままでは今月のノルマは達成できない。少し足りない、とかではなく全然足りない。入社して3年目。ノルマを落とせば上司からどやされるだけではない。同期のやつらからも笑われる。そもそも営業なんて性に合っていないのだ。
それでもこの会社を選んだのは、どこでもよかったからだ。特にやりたいこともなく、学生生活の延長で大学に居座り、卒業しなくてはいけなくなったから適当に選んだ。それがたまたま営業職だったというだけだ。
けれど、やってみてわかることもある。僕は向いていない。
普通の会社ならとっくに定時の時間だが、外回りの僕にそんなものは関係ない。いや、関係は大有りだが先週、定時で帰って上司から大カミナリを落とされたのだ。
『営業ノルマも未達のお前が、なんでノルマ達成しているやつらより早く帰るんだ』
俗にいうブラック企業。……だと思っていたが、残業代はでているからマシらしい。
案外、僕よりもひどい会社に就職したやつらも多い。
空き缶を捨てようとゴミ箱を探すがない。最近は公園にゴミ箱が設置されていないことが多いが、ここもそうか。だったら自販機を置くなって。恨めしくジュースの自動販売機を睨みながら、缶をカバンにしまった。
僕の売る物がウォーターサーバーでまだマシだ。運が良ければ10軒回って1件くらいは決まる。高いものでもないし、健康志向の人は割と買ってくれる。それなのにノルマが未達だというのが才能がない証拠なのだ。
――とにかく、あと2件……いや、1件決めたら帰ろう。
営業的にはこの時間に訪問するのはアウトだが、知ったことか。ノルマをこなせと言ったのは上司のほうだ。時間によるクレームくらい会社で責任を持ってほしい。
そう思いながら、僕はインターホンを押した。タイミングよく、階下の蛍光灯が明滅し、僕がいる階にも灯りが点いた。
ザザッ
インターホンのスピーカーから、マイクを繋いだノイズ音がした。
反射的に顔を見上げ、相手が喋るのを待つ。
…………あれ?
普通ならこの直後になんらかの声があるはずだ。例えば「どちらさまですか」とか。
マイクが繋がっている音はしたのに無言とはどういうことだろう。
「あの……お忙しいところ失礼いたします。わたくし、ウォーターサーバーの『純流』をおすすめしておりまして、少しだけお話よろしいでしょうか」
無反応。
通常、ここで何往復かのラリーがあるものだが、ただ無言。
モニターでこちらの様子を窺っているかもしれないので妙な行動もできない。ここはやはり改めると言って去るべきか。
そう思っていると突然、玄関のドアがゆっくりと開いた。
驚いて顔を引っ込めると慌ててドアの隙間にお辞儀をする。
「わざわざお出になってくださいましてありがとうございます!」
挨拶をしつつ顔を上げる。思わず息を呑んだ。
ドアを開けた住民は40代くらいの中年女性……おそらく夫人だろう。ごく普通の平凡な主婦……といった様子のいでたちだが、表情が異様だった。
「ど、どうも……その、おいしいお水の……ですね」
満面の笑み。笑っているだけなら不思議ではないが、笑うようなシチュエーションではない。それにこの笑みは自然のものというより作り笑いの最たるもののように思える。
とにかく不自然。そう例えるしかない笑顔だった。
「メロン」
「えっ、メロン?」
女性が脈絡もなくメロン、と発したかと思うとドアを開け放った。
中に招き入れようとしているらしい。
「い、いえそんなお時間は取らせませんし、ここでその……結構でして」
ニコニコと笑う女性を前に、言葉に力が奪われてゆく。家の中に入れ、なんてちょっと怖い。しかし、ノルマを考えるならここで入ってじっくり話を聞いてもらうほうが得策だ。
それに――
ちらりと空を見る。もう真っ暗だ。逃げたところでもう時間的に話を聞いてくれそうもない。ここで決めてしまえば帰れる。
仕方ない。切り替えよう。
そう決めて、僕は女性に笑顔を返した。
「お邪魔いたします」
女性は招き入れておきながら、三和土に僕を置いてすたすたと奥に引っ込んでしまった。
慌てて靴を脱ぎ、三和土を上がると廊下に水溜まりがある。それになぜかバーベキューの鉄串が落ちていた。
キッチンはごく普通だった。
女性はまな板でなにかを切っている。
「あ、あの……お料理中でしたら改めますが……」
と喋っている最中に女性はくるりとこちらを向き、手に持った皿をテーブルに置く。
「メロン」
「あ、ありがとうございます……」
テーブルに置かれた皿にはメロンが乗っている。なぜか唐突にメロンを勧められた。
椅子に座り、スプーンで果肉をくりぬく。みずみずしい果汁が断面を滑り皿に溜まる。
ジューシーな甘さが口いっぱいに広がり、果汁が幸福感を与える。それほど高くないのはわかるが、おいしいメロンだ。
「おいしいですね、メロン」
「メロン」
さっきから「メロン」しか言わないのは、メロンにただならぬこだわりがあるからなのだろうか。変人なのは違いないが、最初に抱いた印象よりもずっといい人なのかもしれないと思った。
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