【夜葬】 病の章 -57-
ふぅん。
興味なさげなゆゆの返事は窪田の言葉を信用していない証だった。
さすがの窪田もこの展開は予想外だったらしく、ゆゆの挑発的な返事に返す言葉を持たなかった。
「け、敬介が泣いていた……だと?」
「そうよぉ、てっちゃん。なにかおかしい? この子は赤ん坊なんだから、泣くのは当たり前じゃない」
――嘘だ。その子供は一度だって俺の前で泣いたことがない。
心の中で鉄二は叫ぶがそれを声にだすわけにはいかなかった。もしもこの場で言ってしまえば、窪田が敬介の正体を知っているとゆゆに教えることになる。
そうなった時、ゆゆがどのような行動に出るか鉄二には未知数だった。
絶対に夜、ひとりで出歩かないはずの船乗りのゆゆが今ここにいる。それだけで異常な事態。そんな状況で口が裂けても敬介のことは言えない。
だが窪田にはあらかじめ敬介の話もしてある。それがきっとプラスの作用に働くはずだと鉄二は信じた。
きっと、窪田ならばどうにかこの場を切り抜ける。
しかし同時に鉄二は焦りを感じた。
そもそも敬介を殺すつもりだったのだ。ここでゆゆを煙に巻くよりもどうにかして強引に敬介を殺すほうが得策なのか。
となりで次の句を探している窪田を盗み見しながら鉄二はその動向を見守った。
「……ところで舟越さん、あんたぁひとりかい?」
「ひとりに見える? 私にはこの子がいるわ」
「それは失敬。じゃあ言い直しますよ。あんたらだけかい?」
ゆゆは頷いた。
それを認めた窪田が一瞬、鉄二の顔を見る。
その合図で鉄二は察した。
『誰もいないならここでやっちまおう』
鉄二は早急に肚を決めなければならなかった。
つまり、窪田はこう訴えている。
『誰も見ていないのなら、“ふたりとも”殺そう』と。
当初の目的は敬介だけだったが、状況が変わった。ゆゆもここで殺そう。そう言いたいのだと鉄二は思ったのだ。
――そんな! ゆゆまで殺すだなんて……!
鉄二は狼狽えた。
予定にないことが起きるかもしれないとは多少考えていたが、殺す人数が増えるなど想定外だ。しかもそれがゆゆなどと。
「どうしてそんなこと聞くの?」
声音を変えず訊ねるゆゆからは警戒の色が覗けない。
完全に油断しているのは明白だ。
窪田がうなずく。『肚を決めろ』という合図だ。
そう言われたところでひとひとり殺すほどの心の準備を、こんなに短時間でできるわけはなかった。だがここでゆゆを生かしておけばそれもそれで取り返しのつかないことになりそうな予感もあった。
「いやぁね、この村では夜歩いちゃいけないって昔の掟があったじゃないですか」
「そんな掟、もう古いわ。そんなことあなたが一番知っているでしょう? 窪田さん」
「そうですねぇ、確かに。ぼくら新参者が来たせいでそのへんもあやふやになっているというか……。もしかしてぼくたちのこと恨んでいますかい?」
「まさか。とっても住みよくしてくれたと感謝しているわ」
暗くて見えない顔の中央で、赤く裂けるように口元が歪んだ。笑っている。
窪田は鉄二が肚を決めるのと、ゆゆが隙を見せるのを注意深く窺っていた。
窪田がゆゆに向かって飛び掛かるのは時間の問題だった。
ゆゆに飛び掛かり、押し倒したところで鉄二に求められるのは立てかけた鉈を取り、窪田に手渡す――いや、その策で行くのならば鉄二が直接手を下さねばならなくなるだろう。
敬介はその後でいい。所詮、赤ん坊である。女とはいえ、力のある大人から始末せねばならない。そしてそれは迅速を要する。
ゆゆが叫びをあげるまえにとどめを刺さなければならない。
――だがそんなことが俺にできるのか?
鉄二はゆゆが怖ろしい。仮にすべてが上手くいったとして、それで安心することがはたしてできるだろうか。
ゆゆが起き上がりはしないか。福の神に呪われないか。
さまざまな怪異や天変地異が鉄二の中でうずまき、どの結末を取っても死と恐怖しか残らない。
――だったらいっそのこと窪田を……。
窪田がゆゆを押さえている時、裏を返せば窪田の身動きも制限されている。その背後から窪田の頭を鉈で割ってしまえば……。
揺らぐ。
鉄二の中で自分はどうすべきか揺らいだ。
ここで逃げてしまうという選択肢だってある。ただひとつ、回避できないことは『ここでなにも起こらない』ということのみだ。
逃げるのか、ゆゆを殺すのか、窪田を殺すのか。
逃避か。変革か。現状維持か。
永遠とも思える刹那の中で鉄二は選択を迫られた。
そして、現実は無情にもその時を迎えたのだ。
どすん、と足元に響きそうな鈍い音。人が倒れた音だと考えるよりも前にわかった。
「黒川さん! わかってるだろ、やれ!」
「てっちゃん! なにをするつもり? てっちゃん!」
鉄二は小屋に立てかけてある鉈に飛びつき、ふたりに駆け寄ると大きく振りかぶった。
鉄二は逃げなかった。だが覚悟も選択もその瞬間まで決まっていなかった。
ただ反射的に、自らに従ったのだ。
ずんっ!
「ぎゃっあっ!」
まるで南瓜に包丁を突き立てたように、鉄二が思い切り振り下ろした鉈は頭部にめりこみ、途中で止まった。
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