【夜葬】 病の章 -47-
【どんぶりさん】とは、鈍振村で死んだ者を弔う際、神様(福の神さん)に借りていた顔(魂)を返すためそれを除いた屍のこと。その屍は、魂が抜けた容れ物であり幽世に渡る船とした。生前、これを乗り物としているのだから死後もこれを乗り物にするという考えだ。魂が宿らななくなった屍は当然動くことはない。だが、魂の名残で起き上がることがある。それを見張るために死んだ日から一晩は誰かが布団の横で見張っておかなければならない。なぜならば、【どんぶりさん】は誰も見ていないところでしか起きないからだ。魂の名残があるから、人に見られてはダメだという気持ちが働くという。【夜葬】とは、どんぶりさんを一晩見張った翌日の夜に行われる。この時に魂である顔は、福の神さんの使いである鈍振地蔵に還される。それが済めば、晴れて魂は顔という形から解き放たれて幽世に旅立つことができるのだ。屍となった己の肉体を【船】として。鈍振村では古くからこの風習が根付いていたために、村人の姓には必ず【船】か、船を思わせる字が必ず入っている。それが【夜葬】を途切れさせない、彼らなりの信仰でもあったのだ。くり抜いた顔に白米を盛るのは、黄泉への旅路で魂が腹が減らないように。船の燃料(元々は食物を摂取せねばならなかったので)として。ふたつの意味があった。船となった屍は、死して福の神さんの使者へと昇華した魂への敬意も込め、敬称が付けられた。船としての名前に個別のものがあるのはおかしい、という意味でもあくまで器として『丼』と名付けられ、この村の顔のない屍は【どんぶりさん】となったのだ。(敬称というより、親しみを込めた愛称に近い)【夜葬】は、この村にとって死者に対し最大限の敬意を払った葬送儀式なのである。
では【地蔵還り】とはなにか。どんぶりさんと同じく、こちらも鈍振村で死した骸のことを言う。ただ、決定的に違うのは【顔をくり抜いていない】こと。鈍振村で【夜葬】を行わずに死ぬということはつまり、【福の神さんに仇なす行為】と同義。言ってみれば『借りた魂を返さない』という神への冒涜である。魂を抜かずに死した者は、魂の器に悪いもの(悪霊や怨念の類のもの)が入り、死んだあとに起き上がる。ただ起き上がるだけならば、どんぶりさんと変わらないが、どんぶりさんの場合起き上がったとしてもあたりをうろうろとして行方が分からなくなる程度のものだ。それでもほとんどの場合、数日後に少し離れた場所で見つかることが多い。(当然、事切れた状態で。=魂の余韻で動いているだけなので)だが、地蔵還りの場合は違う。魂の容れ物がある状態でそこに違うものが入っているわけだから、しばらくしたら動かなくなることなどはない。そんなことよりも深刻なのが、地蔵返りは『自分と同じ存在(すなわち地蔵還り)を増やそうとするのだ。つまり、地蔵還りは生きている人間を殺すために彷徨う。これは、29人殺すまでやめないという。
【夜葬】は、死者を送る儀式であるのと同時に『死者を地蔵還りにしない』ための儀式でもあるというわけなのである。
ならば、鉄二が推奨し現在の鈍振村で典型になっている火葬ならばどうか。他にも水葬や風葬、林葬、獣葬もある。要は【夜葬】以外の葬送儀式だ。
鉄二は知らない。そして、戦争で世代間が分断されてしまった今の村人も知らない。知っていたのは、みんな死んでしまった老人たちだった。
船坂でさえも、子供の頃に言って聞かされた程度の記憶しかなかった。
だがそれがなによりも、船坂を狂気に向かわせたなによりの理由だったのだ。
そして、それだけではなかった。
鉄二は、改めてそれを思い知ることとなる。
「敬介が地蔵還り……だと」
「そうよ。あの子は、死産だったから」
次第に暗くなってゆく空とゆゆの姿が同化していく。
まるで彼女自身が闇そのものなのではないかと錯覚するほどに、鉄二はゆゆに恐怖に近いなにかを憶えた。
「でもね、生まれた赤ん坊の顔をくり抜くなんてできないでしょ。てっちゃんのおかげで【夜葬】は廃れていたし。お父さんもその時は反対しなかった。でも火葬にするのはかわいそうで……。こんなにちっちゃいのに、焼いちゃうなんてって。私、その日は一晩中敬介を抱いて泣いた。泣き明かしたんだ。そしたらね……敬介が目を開けた」
数百匹にも及ぶ百足が足の先から敬介の頭をめがけて昇ってくるような、強烈な嫌悪感。
それだけではない。
吐き気を伴う不快感も付随した。
「ああ、敬介が生き返った。やっぱり生まれてきたかったんだって思った。だってね? だって、敬介はてっちゃんの子供だもの。村をでていったてっちゃんの変わりになれるのは、てっちゃんの血が通った敬介だけ……」
「お、おっちゃんは……」
「お父さんにはね、福の神さんのおかげで生き返ったって言った。その時はわたしもお父さんだって、敬介が【地蔵還り】だなんて思わなかったから。でも、すぐに異変に気付いたの」
ゆゆは闇と同化しながら、もはやどこにいるのか曖昧になるほど存在感を希薄にする。
鉄二は闇と話しているような気分だった。
「あの子は産まれてから一度も泣いた事ないんだよぉ」
くすくす、と暗闇から含み笑いが聞こえる。
これが現実か悪夢か、次第にぼやけてくるようだった。
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