【夜葬】 病の章 -28-
一九四五年八月十五日。
四年の長きに渡って繰り広げられた太平洋戦争は、日本の敗北によって終結した。
本土決戦を目前に活気づく国民は、二発の原子力爆弾によって戦意を削がれ、そしてポツダム宣言を受理したと肉声で告げる天皇陛下の声に徹底的に打ちひしがれた。
ラジオの前で嗚咽をあげる人々の中に鉄二はいた。
山育ちのゆゆには泣き喚いている大人たちがなぜそこまで悲しんでいるのか理解できず、ただ周りに合わせて泣いた振りをした。
隣で男泣きに暮れる鉄二の様子を見ながら。
「うう……くそ、くそぉ……!」
東京、大阪、名古屋。それに広島、長崎。
徹底的に破壊しつくされた本土の主要都市。
鉄二らが働いていた地にも空爆はあったが、それらの都市に比べればまだ被害は微少なほうだった。
それでも爆撃で死んだものもいたし、その中には鉄二やゆゆの知った顔の人間もいた。
初めての知っている人間の死に、ゆゆは激しく動揺したが鉄二は動じなかった。
数えるほどにしか、戦災で死した人間はいなかったが鉄二はその度に、動揺し涙を流すゆゆに決まってこう言った。
「戦争で人が死ぬのは仕方がないことだ。人が死ななければ戦争じゃない。なにがそんなに狼狽える? お前らの村の……【夜葬】のほうがよっぽど残酷で異常だ」
鉄二は目に見えて鈍振村を憎むようになっていた。
それはあの村で生まれ育ったゆゆに対しても向けられている証拠でもあった。
ゆゆは【夜葬】という風習が正しいものだと説けるほど、【夜葬】に詳しい訳ではない。
ただ生まれた時からすでにある風習で、箸を右手で持つのと同じくらいに当たり前のことだった。
それを今更、『あれはおかしい』、『異常な風習だ』と言われても戸惑ってしまう。
鉄二自身、鈍振村に移り住んでから受け入れてきたはずなのに――。ゆゆはそう思わずにはいられなかった。
終戦後、鉄二とゆゆは鈍振村に帰った。
村を嫌う鉄二は帰ることを嫌がったが、物も人も不足している時代。
身寄りのない彼を歓迎する場所など町にはない。
結局のところ、この村にしか彼の帰る場所はなかったのだ。
だがそれが、さらに鉄二の心を闇に染めることになる。
「ただいまぁ!」
ゆゆの明るい声が村の空に散らばった。
しかし家から誰も出てくる気配はない。
「あれ……だれもいないのかな」
不思議に思いつつも先に進み、村の景色を望む。
そこでようやくゆゆは、村の現状を知ることとなった。
「ひどい……」
数年間、わずかな老人だけが残った鈍振村は、人が住んでいるとは思えないほどに荒れ果てていた。
知っている家屋は痛み、草木は伸び放題。
畑や田もまったく手入れがされておらず、収穫されなくなって相応の月日が経っていることが分かる。
鈍振神社へつづく石畳の階段も、落ち葉や虫の死骸で埋め尽くされ、在りし日のころを思い出せなくさせた。
「ひどい、ひどいよ……」
玉音放送で敗戦を知らされた時にも涙をこぼさなかったゆゆが、言葉を詰まらせて涙を溢れさせた。
「ああ、ひどい有り様だ」
隣で鉄二の声。
育った村の変わり果てた姿に、さすがの鉄二も感情的になったのだとゆゆは思った。
「なるべくしてなったってことだな。人喰い村の末路にゃお似合いだ」
鉄二の放った二の句は、ゆゆを失望させた。
口ではどれだけ村の悪口を言ったとしても、実際にこの状況を目の当たりにしてそんな冷酷なことが言えるわけがない。
ゆゆはそう思い込んでいた。
それだけにゆゆの受けたショックは大きい。
「な、なにを……なにを言っているのてっちゃん! もうみんな、いなくなっちゃったのかもしれないのに!」
「ここに残ったのは年寄りばっかりだろ。いなくなったってことは残らずみんな野垂れ死んだってことじゃないのか。そうだったとしたら、当然の報いだ。死んでほしいと思っていたし、丁度いい」
ばちん、と乾いた破裂音が響いた。
ゆゆの平手が鉄二の頬を打ったのだ。
「……なにしやがるこのアマ!」
「みんなの悪口は許さない! てっちゃんは村のこの姿を見てなんにも思わないの!」
「思ってるさ! みんな、死ね! 死ね死ね死ねってな! お前もそんなに悲しいなら、死ぬかよ!」
鉄二の目つきが変わった。
伏し目がちに睨みつける目尻は尖り、見つめる黒目は光を吸い込み漆黒の色をしていた。
「っ……!」
その目に本能的に危機感を感じたゆゆは途中だった鈍振神社に続く階段を駆け上がる。
鉄二はゆゆの後を追った。
「待てゆゆ!」
「待たない! てっちゃんが、優しいてっちゃんが戻ってくるまで……待たない!」
「優しい? 馬鹿なこというな! あの頃の俺は、弱かっただけだ。ひとりでは生きていけない、ただの弱者だった!」
「今は違うって言うの? 一緒じゃない」
「なんだと! 貴様、俺を舐めているのか!」
神社の境内を行き、鈍振地蔵が並ぶ奥へと駆けるゆゆ。それに続く鉄二だったが、山暮らしが長く、足のバネとスタミナに長けたゆゆにはなかなか追いつけなかった。
「くそぉ! 待て、待ちやがれぇ!」
社の角の先に消えたゆゆを追いかけ、角を曲がったところにゆゆは立ち尽くしていた。
思わぬ光景に鉄二も急に止まる。
「ゆゆ、お前分かってるのか。この状況で俺に喧嘩を売るっていうこと……」
言っている最中で、ゆゆに動きがあった。
右手を上げると、正面に向かって指を差したのだ。
それがなにかと鉄二が目で追うと、信じられない光景があった。
「ない……。鈴が」
「はあ? 鈴だぁ?」
鈍振地蔵の奥に社があり、短い本坪の鈴があった。
その鈴がなくなり、社に祀られていた福の神さんの銅像も消えていた。
「福の神さんまで! だれがこんな酷いことを!」
「誰がって、そりゃあ日本軍だろ。日本国中の鉄や銅が軍需工場に回されたんだ。この村にも召集がかかったくらいだから、そんなもんも見逃さないだろ」
「けど、神様だよ! そんな罰当たりなことするわけ……」
「本当にお前は世間知らずなんだな。銅像だけじゃない。寺の鐘だって零戦に変わった。神様がついてるなら、日本は勝ってた」
「だから神仏の神具を兵器になんかにしたから……」
「神の力が宿った神具から生み出された兵器なら相手の銃弾やミサイルなんか当たんねえよ。神風って言うだろ。けど、神様なんかいなかった。だから敗けた」
「分かんないよ! てっちゃん、なんで平気なの? なんでそんな風になっちゃったの!」
鉄二は笑みを浮かべながらゆゆに近づいた。
ゆゆはまっすぐ鉄二を見つめながら、鉄二がなんと答えるのかを見守っている。
「丁度いいし、神様なんかいないってこと……お前にも思い知らせてやる」
唐突に突き飛ばされ、ゆゆは転んだ拍子に後頭部を強打する。
霞む視界と歪む平衡感覚。
「て、てっちゃん! なにを……」
「誰もいないんだから、思いっきり叫べ」
ゆゆの腹に何かが乗った。
鉄二が馬乗りになり、ゆゆの自由を奪ったのだ。
「こんな村、俺が潰してやろうと思ってたけど……みんなおっ死んだんならしゃあねえ。お前をめちゃくちゃにしてやるよ。この村の遺物!」
「てっちゃん……やめっ……」
鉄二の蛮行を、顔のない地蔵たちが無言で見つめていた。
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